鴨王が大国主の末裔という伝承もあることはあるが、やや懐疑的になってきた。
というのは、鴨王の玉依姫の夫が事代主らしいのだが、他の伝記も多いため、要するに鴨王の父親は不明ということらしい。

賀茂建角身命が 丹波の国の神野の神伊可古夜日女を娶って生んだ子の名を玉依日子と玉依日売がいた。
川遊びしていた玉依日売は川上より流れ下る丹塗矢を持ち帰って床の辺に置いておくと遂に孕んで、男子を生んだ。
そして、この子(可茂別雷命)が成人したとき、 外祖父の建角身命は、
八尋屋を造り、
八戸の扉を竪て、
八腹の酒を醸(か)みて、
大きな家を建て、その家にこもって酒を醸し、人々をつどい集めて、七日七夜の宴を行った。
「汝の父と思はむ人に此の酒を飮ましめよ。(お前の父と思う者にこの酒を差し上げよ。)」=[誓酒(ウケヒザケ)の儀礼]、
そして子神は杯を捧げ持って父に奉ろうと、屋根の甍を衝き抜けて天へ昇っていってしまいました。
それによって、父の正体("丹塗矢")は、火雷命(ほいかづちのみこと)であることが分かります。そして子神は、外祖父の名にちなみ、可茂別雷命と號(なづ)けられています。

この賀茂別が鴨王なのだが、正体不明の父親がここでは天津神であるということになるらしい。
事代主は国津神なので、全く違う伝承が存在することになる。
ちなみによくわからない夫が実は事代主だったという話は、百襲姫などにも見られるので、一つの類型というか、よくある話だったのだろう。
縁起を担いで事代主ということにしただけかもしれない。