邪馬台国は伊都と平原遺跡だったらしいぜPart6 [無断転載禁止]©2ch.net
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国≠クニ クニ=市町村
例:日本国の中に、山城のクニや、筑前のクニ、吉備のクニ
<里程編(魏・東夷尺)>
帯方郡
↓海岸水行七千里
狗邪韓クニ(倭人投馬国へ入国)
↓海渡千里
對馬クニ(島の大きさ分の1辺四百余里×2を迂回)
↓海渡千里
一大クニ(島の大きさ分の1辺三百里×2を迂回)
↓海渡千里
末盧クニ(邪馬台国九州本土へ入国)
↓陸行五百里
伊都クニ(女王所在地・首都ワシントン)魏使の到達はここまで
↓(東南)百里
奴クニ(邪馬台国中心・ニューヨーク)
↓(東)百里
不彌クニ
<日程編(倭尺)>
帯方郡
↓(南)水行20日
投馬国(朝鮮半島南部に到着)
↓(南)水行10日・陸行1「日」
邪馬台国(中心都市の奴クニへ到着)
イギリスへ行く旅程=ロンドンへ行く旅程、フランスへ行く旅程=パリへ行く旅程
邪馬台国へ行く旅程=奴クニへ行く旅程
<総距離(総計)>
奴クニまで、〆て一万二千里でした >>806
もともと神社というより賀茂王家の宮なら、畿内の方は神武の時代まで遡るだろう。
まあ、それでも2〜3世紀だとは思う。
あと、鴨王の末裔が阿波、土佐の開祖になっているだろ?
だから阿波にも祭っているわけだよ。 >>803
八千矛命。、、、出雲帝国第8代オオナモチ(帝王の称号)で出雲の西の王家、神門臣家の当主。
正后は宗像家の多岐津媛命。亦云、神屋楯媛命。高津媛命。
(多岐都媛を多宜都媛と表記すると大宜都媛(創作キキ神話)と字儀は同じ)。
父親の宗像のアタカタス命は神門臣家の出身で八千矛命の実の叔父にあたり、イトコ同士の婚姻だった。
、、、天照大神=市杵島媛命(徐福(ホアカリ/ニギハヤヒ(=ニニギ))の2度目の嫁)が寡婦となり(原因は徐福(スサノオ/実行犯は忠良な部下のホヒ)が八千矛を殺害したため)陰鬱にお暮らしの姉の多岐都媛を心配して、
様子見舞いをスサノオ(息子のホホデミ)に頼んだ話だったのでは? >>807
出雲人の伝承に依れば、
出雲の東西の王家の王族らが葛城に移住、開発したのは紀元前2世紀〜1世紀ころ。 >>808
天神地祇がごちゃ混ぜどこまで正しいのかわからん。 >807
>もともと神社というより賀茂王家の宮なら、畿内の方は神武の時代まで遡るだろう。
だから、その根拠を出さなきゃ。 妄想を楽しむのもいいけど。 @阿波 >>807
>あと、鴨王の末裔が阿波、土佐の開祖になっているだろ?
当然そうなる。 だって、倭国(阿波)の人なんだから。
>だから阿波にも祭っているわけだよ。
当然そうなる。 だって、倭国(阿波)の人なんだから。 @阿波 >>811
なんの根拠を求めているのかわからんな。
年代は不明と言っているし。 >>810
天神地祇で思い出したけど、
国津神って少なすぎないか?
普通は家臣というか征服された側が各地に大量にいて、
少数の支配者が勝者として特別扱いされるものだと思うが。 >>813
>畿内の方は神武の時代まで遡るだろう。
この根拠は? @阿波 >>803
狗奴国=長国(県南)
狗奴国=長国の男王卑弥弓呼=建速須佐之男命
狗奴国=長国の男王卑弥弓呼=建速須佐之男命の子=大国主神
その「大国主神」を祀るのが、全国唯一の式内社「八鉾神社」
因みに、北の邪馬台国=粟国(県北) @阿波 紀元前には扇谷遺跡までの日本海沿岸が統一されていたのだから
その経路上にある豊国もまた早くから倭国の支配下に入っていたわけだ。
豊国には王墓がずうっと存在しないのだから単なる米倉みたいなもんで
刃向かうこともなくその時々の権力者に従ってたんだろ。 カミムスビが既に東方拡散してたっぽいし
スサノオより先にオオヤマツミなんてのも東方進出してるし
何波にもわたってそうだね。本格的に国家として東征したのはまた別だけど。 >>814
>普通は家臣というか征服された側が各地に大量にいて、
>少数の支配者が勝者として特別扱いされるものだと思うが。
その通りだけど、いちいち記録しなかっただけじゃないか?
出雲とかは流石に別格として、あとは土蜘蛛とか熊襲とか蝦夷とか、全部そうだろ。 狗奴国=長国(県南)は海人(アマ)族。
朝鮮半島だろうが出雲だろうが若狭だろうが越後だろうが、お手の物なんですよ。
もちろん、関東もね。 @阿波 >>803
@阿波はアホだから何も考えずに馬鹿羅列してるけど
考古学的には銅矛が分布しない阿波に八鉾神社があるわけだ。 >>821
>考古学的には銅矛が分布しない阿波に八鉾神社があるわけだ。
「弥生時代の青銅器の分布」
http://www.geocities.jp/yasuko8787/bb-0.JPG
「銅剣・銅矛・銅戈」も「平形銅剣」も「銅鐸」も全て倭国(阿波)が中心に在る。
これらすべての青銅器分布が含まれているのは倭国(阿波)だけである。
まさに、阿波に「八鉾神社」があるわけだ。
これは、倭の王権が「倭国(阿波)」にあった証拠である。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 >考古学的には銅矛が分布しない阿波に八鉾神社があるわけだ。
で、徳島から出土した銅矛を呈示して? いまのところ銅矛は出土していない。 銅剣の出土のみ。
銅矛じゃないといけないの? @阿波 やはり阿波に銅矛ないわけか。
これは面白いな。
阿波が所属していた祭祀型銅剣の
阿波での年代は何世紀から何世紀なの? 徳島県で現在までに発見されている銅剣数は細形,平形を合わせて源田遺跡の細形銅剣1本,神山町左右山の平形銅剣2本,同じく東寺で平形銅剣3本と美馬郡西祖谷山五社大明神の平形銅剣1本で合計7本となっている。
因みに源田遺跡では袈裟祥文銅鐸 3個も銅剣と一緒に出土している。 @阿波 >>825
>やはり阿波に銅矛ないわけか。
>これは面白いな。
ほんとに面白いね。 【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】 があるなんて。
で、九州に「大国主神を祀る式内社」ってあるの? @阿波 >>825
>やはり阿波に銅矛ないわけか。
>これは面白いな。
ほんとに面白いね。 【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】 があるなんて。
で、九州に「大国主神を祀る式内社」ってあるの? @阿波 >>826
阿波の銅剣は鮎喰川沿いに出土しているわけだけど、
阿波と言えば吉野川が最大河川でしょ?
弥生時代の吉野川流域は誰が支配してたの?考古学的に何か見つかってる? >>829
阿波の銅剣は鮎喰川沿いばかりではなく、美馬郡西祖谷山(高天原?)でも出土しているから、
おそらく阿波国中に分布していた可能性が高い。
卑弥呼統治時代の王都は鮎喰川下流域集落群だろう。
>弥生時代の吉野川流域は誰が支配してたの?考古学的に何か見つかってる?
(旧)吉野川流域では、神武天皇が攻めた「長髄彦」の本貫地は徳島県板野郡板野町川端なので、
(旧)吉野川北岸下流域の鳴門・板野古墳群一帯を「長髄彦」が支配していたのだろう。 @阿波 >>830
阿波説を主張していながら疑問に思わないの?
瀬戸内に分布する銅剣が阿波では吉野川の南で細い鮎喰川流域のみに
集中してるわけで、
じゃあ最大河川の吉野川流域には銅剣よりも強い、あるいは先に住んでいたような
人たちがいたはず。
まさか無人じゃないだろうから、思い当たる弥生遺跡はないの? >>831
※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)
【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・吉水遺跡・拝原東遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地
【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡
【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡
※南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)
【勝浦川流域勢力 弥生時代集落】
勢合銅鐸出土地・田浦遺跡・新居見遺跡
【那賀川流域勢力 弥生時代集落】
若杉山遺跡・福寺山遺跡・宮ノ本遺跡
こういう「邪馬台国勢力」と「狗奴国勢力」を「弥生集落遺跡」で提示できるのは倭国(阿波)だけ。 @阿波 >>832
阿波で見つかった銅鐸って、出土地がはっきりしているのはいくつあるの? >>833
阿波では41遺跡、43口の銅鐸が知られる有数の銅鐸出土地域ですが、
銅鐸埋納と相前後して、記号や絵画とは異なる、思想を表現した「弧帯文土器(直線と曲線の組合せにより表されている)」
が矢野遺跡、黒谷川郡頭遺跡、井出上遺跡から出土しています。 @阿波 102 本当にあった怖い名無し[sage] 2018/02/27(火) 19:15:49.42 ID:
>>101
いや、すべての証拠物がもう既に出土してる
1万%、邪馬台国の場所は確定されてる
いまさら言うまでもなく、奈良だ
徳川の埋蔵金場所も1万%確定しているが完全に無視されとる
何でもかんでも暴けばいいってもんじゃねえ
聖徳太子についても
いまさら教科書に載せないとか片腹痛いわ!w
ホント学者は使えねえ レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。