久野と久能、どちらが多いかで派生の順番は大体分かるかも
久野のほうが多そうだからやっぱり 久野 → 久能(久努)なのかな?
久努さんという苗字は見たことが無いが


>>241
当時は中国、朝鮮の方が先進国でしたから、日本に漢字をもたらせた彼らを神聖視していた可能性はあると思いますが……
霊峰富士が望める場所に久野、久能が居座っていた事、狗奴国と邪馬台国の対立、などを考えると、
個人的な推測ですが久野氏は古代地中海文明と何らかの繋がりがあったのではないかと思えます
秦氏というのは古代中国の大豪族ですので、技術と最新の知識を持ち込んで日本の朝廷に歓迎されたのだと思います
wikipediaなどによるとその支流が久野氏だと書かれているような文献もあるようですが
それならその秦氏を押しのけて久能山という名前が付けられるのは不自然な気がします
それに明らかに静岡周辺に密集しており、桶狭間後に愛知に移住しています
また、秦氏が日本入りしたのは朝廷の権威が確立してから(西暦700年以降)ではないでしょうか

関西より西はヒサノが多いそうです(キュウノと読むのもいます)
黒田官兵衛の部下にもヒサノがおり、都市整備の能力が優れていたそうです
どこで学んだのかは知りませんが