【久野】狗奴国は「クノ国」の事である【久能】 [無断転載禁止]©2ch.net
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狗奴国は「クノ国」の事である。
「久野」「久能」を冠する地名が今もたくさん残っている神奈川から静岡にかけて
広がっていた大国の事である。
3世紀の東日本で最も規模の大きな古墳が集まっている「沼津」あたりが
都だったと考えられる。
その中で一番規模の大きな前方後方墳である「高尾山古墳」が卑弥弓呼の陵墓だと
思われるが、最近調査されている。 >>445
だから奴国は濃国(那国)なんだよ
美濃・信濃・恵那・伊那・・・
その南(東海〜関東)にあったのが狗奴国 >>445
複数の音を区別せずに同じ音として扱うのは珍しくも何ともないよね
同じ日本国内ですら方言として北から南まで広範囲に残ってるくらいだし
まあ、転音なんて世界中どこの国にも普通にあるんだけど >>446
まあ、間違いなく、
恵那、伊那、浜名の「ナ国」か、
美濃、信濃の「ノ国」の、いずれかだろうな。
二つ目の奴国は。 >>449
いずれかじゃないんだよ
音というのは転じるのが普通だから「ナ国」も「ノ国」も同じなの
「この野郎」と書いても発音は「コヌヤロー」だったり「クヌヤロー」だったりするわけ
もちろん「クノヤロー」もある
あまり文字や音に執着しすぎると真実が見えなくなる >>447
そりゃ関係あるでしょ。
奈良(ヤマト国)が盟主で、名古屋(オワリ国)と奴国は属国なんだから。 狗奴国の官である狗古智卑狗を菊池彦と読めば、熊本ですね
奴国(福岡市)の南が邪馬台国(福岡県山門)
邪馬台国の南が狗奴国(熊本)
東の海千里先にある倭種の国は本州
帯方郡から邪馬台国まで1万2千里(うち奴国(福岡市)までで1万6百里)
邪馬台国が畿内になるなら、中国四国瀬戸内海の描写があるはずだが、なし >>452
>狗奴国の官である狗古智卑狗を菊池彦と読めば、熊本ですね
で、狗奴国は熊本のなんという弥生集落遺跡群なのかな? @阿波 魏志倭人伝に書かれている邪馬壱国が九州北部なのは間違いないよ
どんな読み方をしてもそれ以外あり得ないし発掘された遺物もそれを証明している
ただ狗奴国がどこなのかは議論があるね
女王の尽きる処にある奴国の南と読める
つまり奴国は女王国(邪馬壱国?)傘下の国々の中でも端に存在する「辺境の国」と考えられる
奴国が2回登場する理由など >>454
>魏志倭人伝に書かれている邪馬壱国が九州北部なのは間違いないよ
で、邪馬壱国は九州北部のなんという弥生集落遺跡群なのかな? @阿波 魏志倭人伝の「邪馬壱国」とその後に著された数種の文献の「邪馬台国」は別の国だろうな
倭の五王以降の日本列島の支配国である「ヤマト国」を卑弥呼の時代の倭国首領国であった邪馬壱国と同じ国だと誤解してしまった
だから魏志倭人伝の邪馬「壱」国は誤記だと判断し「ト」の音である「台」の字に直してしまったのだろう
つまり魏志倭人伝以降に著された史書は正確性に欠けるので魏志倭人伝に頼るべきと思う >>456
>魏志倭人伝に書かれている邪馬壱国が九州北部なのは間違いないよ
だから、「倭国首領国であった邪馬壱国」は九州北部のなんという弥生集落遺跡群なのかな? @阿波 >>452
熊本説も説得力があるんだよな
九州南部は北部とは異なる文化圏だったから争いがあっても矛盾は無い
というより言葉も違っていた可能性が高いから和合できるわけがない >>458
>九州南部は北部とは異なる文化圏だったから
だから、「九州南部の文化圏」はなんという弥生集落遺跡群なのかな? @阿波 考えると、縄張りなんか持たない関西のやくざと似た感じかも。
縄張りより彼方此方に部族の人間が枝の拠点を持ってたとか。 狗奴国人は南方系渡来人なのか北方系渡来人なのか
邪馬壱国を打破した狗奴国がヤマト王権を立てたのか
ヤマト王権に征服されたのが狗奴国なのか
何しろ狗奴国の情報が無さすぎ
まあ、大国支那にしてみれば陸続きじゃない倭国なんて大した興味も関心も無かったんだろうな 和の国じゃなくて
わー!の国だったってことか
謎が解けたよ 熊本なら狗「馬」国のハズだろ。
注意力が足りないね。 その程度は大した違いじゃないよ
それより熊本や熊野などは江南系のクマ族由来という説が面白い
紀伊などはキ族由来だそうだ >463
世界最大の大陸国家3個と同時に戦うような民族が
たった数万人の朝鮮移民に一方的に虐殺されるとかありえるか?
瞬殺して終わりだろ
複数の誤解に基づく相互過剰防衛の瞬間的累積発展のワンシーンを切り取って記録しただけなのでは? >>465
で、江南から熊本や熊野に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢字の金石文は?
で、江南から熊本や熊野に渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
. 狗奴国の都は弥生後期から古墳前期にかけて栄えた大規模集落遺跡である足高尾遺跡群である。 狗奴国は邪馬台国の南。
ヤマトの南の和泉と河内。
狗奴国の官、狗古智卑狗は河内彦。
河内青玉繋。武埴安彦の祖父。 >>470
>狗奴国は邪馬台国の南。
ヤマトの南の和泉と河内。
で、和泉と河内の弥生末期集落遺跡ってどこ? @阿波 泉北丘陵の西側の縁は一面弥生遺跡が続いている。
当時と立地の変わっていないと思われる集落もある。
池上曽根遺跡、四ツ池遺跡、平井遺跡、鈴の宮遺跡、毛穴遺跡etc
ネット時代なんだから自分で調べたら? >>472
>池上曽根遺跡、四ツ池遺跡、平井遺跡、鈴の宮遺跡、毛穴遺跡etc
中世の遺跡(平井遺跡)も含めてるんだけど? なんかバラバラでパッとしない遺跡だね。 狗奴国じゃないね。 @阿波 >>473
中世の遺跡もあるが、弥生時代のもある。
そこは弥生時代から集落の中心が変わっていない処だな。
隣に垂仁天皇の時代に作られたため池がある。
大規模水田地帯だな。
巨大古墳の下敷きになった集落もあるだろう。
一面弥生時代の遺跡だらけ。
河内も同じ。 >>474
河内の大部分は纒向から見たら、南だぞ。
和泉は更に南。
地図を見ろ >>475
>中世の遺跡もあるが、弥生時代のもある。
そんなチンケなところが狗奴国なわけない。 しかも西。 @阿波 >>479
阿波咋は黙れよ。
お前らが滅ぼした地だよ。 >>480
>お前らが滅ぼした地だよ。
忌部一族が拓殖した地だよ。 @阿波 >>478
>足高尾遺跡群は沼津北部にある遺跡。
そこも勿論、忌部一族(海人族)の痕跡。 @阿波 阿波咋は哀れやのう。
空海の慈愛に満ちた供養を無視するなんて。
昔の状況に戻りたいのか? クヌ、クナ、カノ、鴨(神)族の特徴は円錐状の山・神奈備を崇拝。
そしてその水源に王=神が住む。
だから「遺跡」なんて考えなくてもいい、その水源にある神社仏閣でいい。
水源に神(王)の住む宮があり、
今でも神社はもちろん、神仏習合を経て仏教のお寺になってたりするはず。
お寺になってる代表的な場所は大阪岸和田の神於(こうの)寺。
神於山という神奈備の水源に天台宗のお寺がある。
そして神於銅鐸(流水紋)が出た。
だから静岡でも神奈備と水源の神社やお寺を考えればいい。
久能山はどうなんだろ、わしは地元民ではないから分らない。 魏志倭人伝には音読みで「ノ」と読める漢字がない。
どうもナもヌもノも「奴」の一字で代用されているようなのです。
ゆえに狗奴国は「クノ国」と読むのが正しい可能性が極めて高いと思われます。 >>485
当時の魏人の発音は分からないんじゃないの?
中国語の発音は時代によっても地域によっても違うらしいし
奴=ド という説もあるよ >>486
しかし魏志倭人伝に音読みで「ノ」と読める漢字がない事は事実。
最初の奴国は福岡の旧名の「ナ国」でイイだろ。
奴婢は「ナヒ」か?
やっぱ「ヌヒ」だろ。
ノも「奴」で代用されている可能性は極めて高い。 >>487
奴婢は中国で奴隷を指す言葉であって日本語の音をあらわす文字ではない
奴婢という中国の言葉にヌヒという読みを当てはめたのは後世の日本人であって
当時の魏人の発音ではないでしょう 上代東国方言では野という漢字を「ヌ」と読んでいたらしい。
本当は「クヌ国」が正しくて、それの当て字で狗奴国になったかもしれんな。
クヌの当て字で日本では久野や久能になった可能性もあるな。 東を南に置き換えたのは
卑弥呼の時代魏が呉を牽制する為に倭国が呉の背後にある必要が有りわざと南に長い国にしたというのを何かで見て一番しっくりきた それならむしろ
丑寅の方角である事実を隠したかった
の方がしっくりくる >>487
方角から考えたら奴国は福岡にならないよ
やっぱりド国じゃないの?
まあ当時の魏人の発音は分からんけども >>490
敵である呉に三国志を贈呈したの?
三国志は魏の重要な国家事業としての歴史編纂だよ 三国志自体は晋の時代
書かれている内容は魏の時代の話だから進呈する頃には呉が存在しない
呉を牽制する為に親魏倭王に任命したでも辻褄は合うと思うよ
九州までは方位は正しくてそこから南に長い国じゃないと呉を挟み撃ちに出来ない
実際は魏に都合が良ければ良いだけなんで
まー俺がしっくりきただけなんで 金印を貰ったのは倭国と大陸の一方の雄、騎馬民族の大月氏国のたった二国だけとか。
親魏倭王、つうのって下賜されたんじゃなくて外交上の贈り物と違うの。
「親しくしましょ」的な。
学者の説はなんか信憑性に欠ける、赤い人が多そうやしね。 >>495
凄い妄想だなw
「お前を王として認める」というのは皇帝の権限だぞ
この立場の違いが分からないのはアホすぎるだろ 金印は二番という意味だからな。
一番、つまり中国の皇帝は玉璽。
だから卑弥呼の金印は後の天皇に潰されてるかも。 まあ、妄想ですがね。漢字が成立する過程にも倭人が関わってたような気がして仕方ないんや。
もともとの大和言葉と漢字を充てる、意味と音だけじゃなく字意も含めて万葉仮名、そして平仮名と片仮名彡まで、漢字を知ったのがいつとか知らんが、其れらをある程度体系化するとか…どんだけ優秀やったんや。
だけど其の過程に関わってたとするとすこし スマンつづき
難易度も軽減しそうやんか
いま常識みたいに教えられてる事のが信じられんねんなあ。 >>497
三種の神器の玉が金印かもしれないという説もあるぞ しかも遥か旧石器時代には日本海を超え各地に黒曜石を流通してたと言う事実が有るし。
大月氏国の始祖は月読命だった説…とまで言うのは妄想過ぎるか。 ブリヤート人はバイカル湖辺りに生まれたDNAを持ってて日本人と別れたとかやろ、そう考えても大月氏国が月読命だった説を裏付けてそうなんやが。 >>500
実は三種の神器の勾玉を「神璽」とも呼ぶ
でも「璽」は玉璽という言葉もあるように、本来は印という意味なんだよな 月読が治めたのは夜の食国。
倭国大乱中の食国だろう。
食国と言及された地が何処かだな。 壬申の乱で負けた難波は奈良時代は寂れていた。
弥生時代、古代の難波はどういう場所だったのか?
下の長唄は、なにわの地が芦原中津國や食国と認識されていたのが分かる。
それを前提に記紀を読み直すと面白い。
聖武天皇の難波行幸に従駕した笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)の詠んだ一首
押(お)し照(て)る 難波の国は 葦垣(あしかき)の
古(ふ)りにし郷(さと)と 人皆の
思(おも)ひ息(やす)みて つれも無く ありし間(あひだ)に積麻(うみを)なす
長柄(ながら)の宮に 真木柱(まきばしら) 太高(ふとたか)敷きて 食国(をすくに)を 治めたまへば 沖つ鳥
味経(あぢふ)の原に もののふの 八十伴(やそとも)の緒(を)は 廬(いほり)して 都(みやこ)なしたり 旅にはあれども >>498
対比してみると漢字、万葉仮名、平仮名、片仮名と文字の価値を深め広げ押し上げたのは倭人だけやろ。
支那の簡体字とか劣化させ過ぎやし、半島では手に負えなくて諦めてるとか上古の倭人はマジで凄いわ。 >>507
熊本ですな
熊本の古代遺跡は独自性の高いものが多い
これはつまり九州の他の地域とは異なる文化圏であった証拠
となれば敵対関係を考えるのが自然 魏志倭人伝に狗奴国は邪馬台国の南にあると書いてある。
ヤマトの南の和泉、河内だろうな。
狗奴国の官、狗古智卑狗。
河内彦。武埴安彦の祖父、河内青玉繋。 >>510
>魏志倭人伝に狗奴国は邪馬台国の南にあると書いてある。
邪馬台国は阿波國北部。 狗奴国は阿波國南部。
狗奴国には若杉山の「丹山」があったので、それが紛争の種。 記紀でいうところの「国譲り神話」 @阿波 >>509
熊本こと球磨なら狗「馬」国のはずだろ。
>>511
和泉、河内はヤマトの西だから、お話にならないけど、
阿波国南部って具体的にどこ? 纒向の西は今の大和川辺りだろ。
和泉も河内もそこから南に広がっているわ。
静岡は尾張三河と同じ東海勢力。
邪馬台国、大和朝廷側だな。ヤマトの南でもないしね。
東海に広く分布する秋葉明神。
この正体が気になるわい。 >>512
>阿波国南部って具体的にどこ?
※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)
【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・薬師遺跡・吉水遺跡・田上I遺跡・拝原東遺跡・椎ヶ丸〜芝生遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・天神山遺跡・金泉寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地
【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡・石井遺跡
【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡
※南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)
【勝浦川流域勢力 弥生時代集落】
勢合銅鐸出土地・田浦遺跡・新居見遺跡
【那賀川流域勢力 弥生時代集落】
若杉山遺跡・加茂宮ノ前遺跡・福寺山遺跡・宮ノ本遺跡
【海部川流域勢力 弥生時代集落】
芝遺跡・大里遺跡 [ˈknuːmˈkuːfuː] KNOOM-koo-foo (我はクヌム神に守護されている)
なぜ私がピラミッド建設の理由と方法を知っているのか分かった
人類史は想像を絶するな
『月読』の由来(or時代or期間)を知ってる人がいたら何か書き込んで 月読は日見彦と同一。狗奴国の卑弥弓呼。
暦を司るのは、王の特権だな。
ちなみに邪馬台国、卑弥呼側には暦がなかったと魏志倭人伝に書かれている。
狗奴国卑弥弓呼が倭国の正統の王だったんだろう。
月読が治めたのは夜の食国。 畿内とか四国とか何を考えてるのか理解できんわ
魏志倭人伝を読めば九州しかありえないのは分かるはずだが >>518
実はそんなことはどうでも良かったりする
変換キーの擦り合わせが本命だから
これは実に良スレ >>518
>魏志倭人伝を読めば九州しかありえないのは分かるはずだが
九州のどこ? @阿波 >>520
いいからお前は出てくるな
お前は病気なんだよ 狗奴國くなこく、奴はド、ナ、ヌ…ズ、ヅと転訛しててもおかしくないん違うの。
クズ國か、クナ國のクナ人などは余り聞かんのやが、国栖人は今も国栖奏を宮中に献ってるやんか。魏志倭人伝の何十カ国だかは、ほぼ同一民族の分派と考える方が自然やろ、國と言うより大きなムラ、クニやったとしか思えんのやが。 >>514
熊野なら狗馬奴国のはずだろ。
狗奴国の読みは「クナ国」「クヌ国」「クノ国」のいずれか。 狗奴()國は紀伊半島辺りから大和奈良辺りまで、いや四国一帯に広くネットワークを持ってたヒトたちの事やろな。熊襲隼人国栖人らホーミー的に吠声、喉声を操って高らかに唄ってたんやろ。 狗奴國はやっぱりクズ國やな。紀伊半島熊野あたりのヒトや場所だけで括るってるとなんか見落としてしまうかも。
其のヒトたちは四国(主に南部、阿波辺り)から紀伊半島辺りで自然の恵みを受けて遥かな時を過ごしたゎやろな。
狗奴國はクズ國、国栖人のクニやろ。
ソースは俺や。妄想や。またはロマンと言うてもええかな。 飯し食べたか?
奴、ド、ヌ、なら、ドゥ…ズ、ヅに転訛しててもおかしく無いと思うわ。
國の中国読みはクオク、クドゥクオクやったとしても充分に有り得るやろね。
熊野を狗熊奴國と無理やり置き換える必要も無い話やろね。 高い知性は呪いみたいなものだから自慢してはいけないし威張ってもいけない
でも侮辱されるわけにもいかない
だから謙虚に内輪で〜が基本で、オープンの際には自虐的にユーモア交じりになーる
狗奴国は2ch(今は5chか)に似てる気がする ズ、は古代の中国人の聞き取りで、ドゥ、に聞こえた音に奴と言う字を充てただけかもな。 狗奴国、クナ国。
クナはクニの語源だろう。
津はの。
国津神はクナの神かもね。
大国主、素クナヒコ名。
国津神がいたのは芦原中津國かな。
魏志倭人伝に記述された狗奴国は邪馬台国の南とある。
ヤマト盆地の南の、和泉〜河内だろう。
狗奴国の官、狗古智卑狗は河内彦。 狗古智卑狗は
魏志に先立つ魏略において
狗右制卑狗となっている。これは
クゥヂァィピク
であり
コウヅアンヒコ
高津安彦
タカチアンヒコと誤読されたなら、、、
武埴安彦!になるのだ! クフ夫は光の速度をかなりの精度で計測していた
ガラスは砂由来
直径10メートル程度の光学レンズくらいは楽に作れたはず
月経やら生理やらで月に対する執着はあっただろうし、満ち潮、引き潮の原理も知っていたんだろうなぁ
月面が真っ白なのは神の悪戯か?
……そのクフ夫に尊敬されていたらしい連中がクズ犬レベルにまで叩き落されるという事は、
やはりこの世には○○が存在しないということだ
九連倫のbT、五大盲点
五つの非在定理の第一章「○○非在定理」 隼人も、はやいひと、はいひと、とか言うけど吠声(はいせい)の吠える人かもな。国津神も、くずぬかみ、やったかも。
熊襲から隼人と国栖、国巣、葛が派生して九州、四国、畿内へと移動していったん違うの。
南九州の一大勢力が葛城氏の元で隼人が、はやいひと、ならいち早く熊襲から分派した部族じゃないのか。 大和言葉は漢字じゃ判断出来んけど…やまと山人はなんかシックリ来るな。
ただ、わざわざヤマトと呼ぶ辺りに海人からの派生やと思った。
はいとは吠人と言う意味やと思うわ。
ヤマト山人、これは本当にシックリ来る。 だいたい狗奴國を本当にクナコクと読んでたのか…。
>>529
此れだと吉野から紀伊半島の熊野あたり一帯が狗奴國やったかも辻褄が合う。 じゃあ北九州以外は全て狗奴国だったってことか?
……まあ大陸全土の協力があれば押し負けるのは仕方ないが 九州北部から水行二十日、水行十日、陸行一月までしておきながら、
まーーだ九州北部にいるんだからなあw
ちょーウケるwwww 手漕ぎボートだし待機時間も含めた日数だから普通じゃね?
陸行だって灌木を掻き分けながら山あり谷ありを歩いてるし夏だから湿気と暑さでなかなか前に進まないだろ
しかも荷物もたくさんあるし 一大率という出先機関をわざわざ作ってる時点で
投馬国邪馬台国までが九州北部で収まっているとは思えない
途中から日数表記に変わっていることからも
当時比較的交流が盛んだったと思われる九州北部から
離れたところにあったと考えるのが妥当 邪馬台国が九州から畿内にまたがる瀬戸内沿岸連合なら
邪馬台国到着自体は九州内 女王国はその先で解決 やっぱり邪馬台国は畿内だろ
そうでなければ狗奴国が大きくなりすぎる クノ、は、クの、やったんかもな。クの國なら分国と言うのも有ったと思うわ。
それは、列島の各地に結ばれた、クの人、らのネットワークを表してんの違うの。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています