【久野】狗奴国は「クノ国」の事である【久能】 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
狗奴国は「クノ国」の事である。
「久野」「久能」を冠する地名が今もたくさん残っている神奈川から静岡にかけて
広がっていた大国の事である。
3世紀の東日本で最も規模の大きな古墳が集まっている「沼津」あたりが
都だったと考えられる。
その中で一番規模の大きな前方後方墳である「高尾山古墳」が卑弥弓呼の陵墓だと
思われるが、最近調査されている。 >>480
>お前らが滅ぼした地だよ。
忌部一族が拓殖した地だよ。 @阿波 >>478
>足高尾遺跡群は沼津北部にある遺跡。
そこも勿論、忌部一族(海人族)の痕跡。 @阿波 阿波咋は哀れやのう。
空海の慈愛に満ちた供養を無視するなんて。
昔の状況に戻りたいのか? クヌ、クナ、カノ、鴨(神)族の特徴は円錐状の山・神奈備を崇拝。
そしてその水源に王=神が住む。
だから「遺跡」なんて考えなくてもいい、その水源にある神社仏閣でいい。
水源に神(王)の住む宮があり、
今でも神社はもちろん、神仏習合を経て仏教のお寺になってたりするはず。
お寺になってる代表的な場所は大阪岸和田の神於(こうの)寺。
神於山という神奈備の水源に天台宗のお寺がある。
そして神於銅鐸(流水紋)が出た。
だから静岡でも神奈備と水源の神社やお寺を考えればいい。
久能山はどうなんだろ、わしは地元民ではないから分らない。 魏志倭人伝には音読みで「ノ」と読める漢字がない。
どうもナもヌもノも「奴」の一字で代用されているようなのです。
ゆえに狗奴国は「クノ国」と読むのが正しい可能性が極めて高いと思われます。 >>485
当時の魏人の発音は分からないんじゃないの?
中国語の発音は時代によっても地域によっても違うらしいし
奴=ド という説もあるよ >>486
しかし魏志倭人伝に音読みで「ノ」と読める漢字がない事は事実。
最初の奴国は福岡の旧名の「ナ国」でイイだろ。
奴婢は「ナヒ」か?
やっぱ「ヌヒ」だろ。
ノも「奴」で代用されている可能性は極めて高い。 >>487
奴婢は中国で奴隷を指す言葉であって日本語の音をあらわす文字ではない
奴婢という中国の言葉にヌヒという読みを当てはめたのは後世の日本人であって
当時の魏人の発音ではないでしょう 上代東国方言では野という漢字を「ヌ」と読んでいたらしい。
本当は「クヌ国」が正しくて、それの当て字で狗奴国になったかもしれんな。
クヌの当て字で日本では久野や久能になった可能性もあるな。 東を南に置き換えたのは
卑弥呼の時代魏が呉を牽制する為に倭国が呉の背後にある必要が有りわざと南に長い国にしたというのを何かで見て一番しっくりきた それならむしろ
丑寅の方角である事実を隠したかった
の方がしっくりくる >>487
方角から考えたら奴国は福岡にならないよ
やっぱりド国じゃないの?
まあ当時の魏人の発音は分からんけども >>490
敵である呉に三国志を贈呈したの?
三国志は魏の重要な国家事業としての歴史編纂だよ 三国志自体は晋の時代
書かれている内容は魏の時代の話だから進呈する頃には呉が存在しない
呉を牽制する為に親魏倭王に任命したでも辻褄は合うと思うよ
九州までは方位は正しくてそこから南に長い国じゃないと呉を挟み撃ちに出来ない
実際は魏に都合が良ければ良いだけなんで
まー俺がしっくりきただけなんで 金印を貰ったのは倭国と大陸の一方の雄、騎馬民族の大月氏国のたった二国だけとか。
親魏倭王、つうのって下賜されたんじゃなくて外交上の贈り物と違うの。
「親しくしましょ」的な。
学者の説はなんか信憑性に欠ける、赤い人が多そうやしね。 >>495
凄い妄想だなw
「お前を王として認める」というのは皇帝の権限だぞ
この立場の違いが分からないのはアホすぎるだろ 金印は二番という意味だからな。
一番、つまり中国の皇帝は玉璽。
だから卑弥呼の金印は後の天皇に潰されてるかも。 まあ、妄想ですがね。漢字が成立する過程にも倭人が関わってたような気がして仕方ないんや。
もともとの大和言葉と漢字を充てる、意味と音だけじゃなく字意も含めて万葉仮名、そして平仮名と片仮名彡まで、漢字を知ったのがいつとか知らんが、其れらをある程度体系化するとか…どんだけ優秀やったんや。
だけど其の過程に関わってたとするとすこし スマンつづき
難易度も軽減しそうやんか
いま常識みたいに教えられてる事のが信じられんねんなあ。 >>497
三種の神器の玉が金印かもしれないという説もあるぞ しかも遥か旧石器時代には日本海を超え各地に黒曜石を流通してたと言う事実が有るし。
大月氏国の始祖は月読命だった説…とまで言うのは妄想過ぎるか。 ブリヤート人はバイカル湖辺りに生まれたDNAを持ってて日本人と別れたとかやろ、そう考えても大月氏国が月読命だった説を裏付けてそうなんやが。 >>500
実は三種の神器の勾玉を「神璽」とも呼ぶ
でも「璽」は玉璽という言葉もあるように、本来は印という意味なんだよな 月読が治めたのは夜の食国。
倭国大乱中の食国だろう。
食国と言及された地が何処かだな。 壬申の乱で負けた難波は奈良時代は寂れていた。
弥生時代、古代の難波はどういう場所だったのか?
下の長唄は、なにわの地が芦原中津國や食国と認識されていたのが分かる。
それを前提に記紀を読み直すと面白い。
聖武天皇の難波行幸に従駕した笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)の詠んだ一首
押(お)し照(て)る 難波の国は 葦垣(あしかき)の
古(ふ)りにし郷(さと)と 人皆の
思(おも)ひ息(やす)みて つれも無く ありし間(あひだ)に積麻(うみを)なす
長柄(ながら)の宮に 真木柱(まきばしら) 太高(ふとたか)敷きて 食国(をすくに)を 治めたまへば 沖つ鳥
味経(あぢふ)の原に もののふの 八十伴(やそとも)の緒(を)は 廬(いほり)して 都(みやこ)なしたり 旅にはあれども >>498
対比してみると漢字、万葉仮名、平仮名、片仮名と文字の価値を深め広げ押し上げたのは倭人だけやろ。
支那の簡体字とか劣化させ過ぎやし、半島では手に負えなくて諦めてるとか上古の倭人はマジで凄いわ。 >>507
熊本ですな
熊本の古代遺跡は独自性の高いものが多い
これはつまり九州の他の地域とは異なる文化圏であった証拠
となれば敵対関係を考えるのが自然 魏志倭人伝に狗奴国は邪馬台国の南にあると書いてある。
ヤマトの南の和泉、河内だろうな。
狗奴国の官、狗古智卑狗。
河内彦。武埴安彦の祖父、河内青玉繋。 >>510
>魏志倭人伝に狗奴国は邪馬台国の南にあると書いてある。
邪馬台国は阿波國北部。 狗奴国は阿波國南部。
狗奴国には若杉山の「丹山」があったので、それが紛争の種。 記紀でいうところの「国譲り神話」 @阿波 >>509
熊本こと球磨なら狗「馬」国のはずだろ。
>>511
和泉、河内はヤマトの西だから、お話にならないけど、
阿波国南部って具体的にどこ? 纒向の西は今の大和川辺りだろ。
和泉も河内もそこから南に広がっているわ。
静岡は尾張三河と同じ東海勢力。
邪馬台国、大和朝廷側だな。ヤマトの南でもないしね。
東海に広く分布する秋葉明神。
この正体が気になるわい。 >>512
>阿波国南部って具体的にどこ?
※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)
【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・薬師遺跡・吉水遺跡・田上I遺跡・拝原東遺跡・椎ヶ丸〜芝生遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・天神山遺跡・金泉寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地
【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡・石井遺跡
【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡
※南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)
【勝浦川流域勢力 弥生時代集落】
勢合銅鐸出土地・田浦遺跡・新居見遺跡
【那賀川流域勢力 弥生時代集落】
若杉山遺跡・加茂宮ノ前遺跡・福寺山遺跡・宮ノ本遺跡
【海部川流域勢力 弥生時代集落】
芝遺跡・大里遺跡 [ˈknuːmˈkuːfuː] KNOOM-koo-foo (我はクヌム神に守護されている)
なぜ私がピラミッド建設の理由と方法を知っているのか分かった
人類史は想像を絶するな
『月読』の由来(or時代or期間)を知ってる人がいたら何か書き込んで 月読は日見彦と同一。狗奴国の卑弥弓呼。
暦を司るのは、王の特権だな。
ちなみに邪馬台国、卑弥呼側には暦がなかったと魏志倭人伝に書かれている。
狗奴国卑弥弓呼が倭国の正統の王だったんだろう。
月読が治めたのは夜の食国。 畿内とか四国とか何を考えてるのか理解できんわ
魏志倭人伝を読めば九州しかありえないのは分かるはずだが >>518
実はそんなことはどうでも良かったりする
変換キーの擦り合わせが本命だから
これは実に良スレ >>518
>魏志倭人伝を読めば九州しかありえないのは分かるはずだが
九州のどこ? @阿波 >>520
いいからお前は出てくるな
お前は病気なんだよ 狗奴國くなこく、奴はド、ナ、ヌ…ズ、ヅと転訛しててもおかしくないん違うの。
クズ國か、クナ國のクナ人などは余り聞かんのやが、国栖人は今も国栖奏を宮中に献ってるやんか。魏志倭人伝の何十カ国だかは、ほぼ同一民族の分派と考える方が自然やろ、國と言うより大きなムラ、クニやったとしか思えんのやが。 >>514
熊野なら狗馬奴国のはずだろ。
狗奴国の読みは「クナ国」「クヌ国」「クノ国」のいずれか。 狗奴()國は紀伊半島辺りから大和奈良辺りまで、いや四国一帯に広くネットワークを持ってたヒトたちの事やろな。熊襲隼人国栖人らホーミー的に吠声、喉声を操って高らかに唄ってたんやろ。 狗奴國はやっぱりクズ國やな。紀伊半島熊野あたりのヒトや場所だけで括るってるとなんか見落としてしまうかも。
其のヒトたちは四国(主に南部、阿波辺り)から紀伊半島辺りで自然の恵みを受けて遥かな時を過ごしたゎやろな。
狗奴國はクズ國、国栖人のクニやろ。
ソースは俺や。妄想や。またはロマンと言うてもええかな。 飯し食べたか?
奴、ド、ヌ、なら、ドゥ…ズ、ヅに転訛しててもおかしく無いと思うわ。
國の中国読みはクオク、クドゥクオクやったとしても充分に有り得るやろね。
熊野を狗熊奴國と無理やり置き換える必要も無い話やろね。 高い知性は呪いみたいなものだから自慢してはいけないし威張ってもいけない
でも侮辱されるわけにもいかない
だから謙虚に内輪で〜が基本で、オープンの際には自虐的にユーモア交じりになーる
狗奴国は2ch(今は5chか)に似てる気がする ズ、は古代の中国人の聞き取りで、ドゥ、に聞こえた音に奴と言う字を充てただけかもな。 狗奴国、クナ国。
クナはクニの語源だろう。
津はの。
国津神はクナの神かもね。
大国主、素クナヒコ名。
国津神がいたのは芦原中津國かな。
魏志倭人伝に記述された狗奴国は邪馬台国の南とある。
ヤマト盆地の南の、和泉〜河内だろう。
狗奴国の官、狗古智卑狗は河内彦。 狗古智卑狗は
魏志に先立つ魏略において
狗右制卑狗となっている。これは
クゥヂァィピク
であり
コウヅアンヒコ
高津安彦
タカチアンヒコと誤読されたなら、、、
武埴安彦!になるのだ! クフ夫は光の速度をかなりの精度で計測していた
ガラスは砂由来
直径10メートル程度の光学レンズくらいは楽に作れたはず
月経やら生理やらで月に対する執着はあっただろうし、満ち潮、引き潮の原理も知っていたんだろうなぁ
月面が真っ白なのは神の悪戯か?
……そのクフ夫に尊敬されていたらしい連中がクズ犬レベルにまで叩き落されるという事は、
やはりこの世には○○が存在しないということだ
九連倫のbT、五大盲点
五つの非在定理の第一章「○○非在定理」 隼人も、はやいひと、はいひと、とか言うけど吠声(はいせい)の吠える人かもな。国津神も、くずぬかみ、やったかも。
熊襲から隼人と国栖、国巣、葛が派生して九州、四国、畿内へと移動していったん違うの。
南九州の一大勢力が葛城氏の元で隼人が、はやいひと、ならいち早く熊襲から分派した部族じゃないのか。 大和言葉は漢字じゃ判断出来んけど…やまと山人はなんかシックリ来るな。
ただ、わざわざヤマトと呼ぶ辺りに海人からの派生やと思った。
はいとは吠人と言う意味やと思うわ。
ヤマト山人、これは本当にシックリ来る。 だいたい狗奴國を本当にクナコクと読んでたのか…。
>>529
此れだと吉野から紀伊半島の熊野あたり一帯が狗奴國やったかも辻褄が合う。 じゃあ北九州以外は全て狗奴国だったってことか?
……まあ大陸全土の協力があれば押し負けるのは仕方ないが 九州北部から水行二十日、水行十日、陸行一月までしておきながら、
まーーだ九州北部にいるんだからなあw
ちょーウケるwwww 手漕ぎボートだし待機時間も含めた日数だから普通じゃね?
陸行だって灌木を掻き分けながら山あり谷ありを歩いてるし夏だから湿気と暑さでなかなか前に進まないだろ
しかも荷物もたくさんあるし 一大率という出先機関をわざわざ作ってる時点で
投馬国邪馬台国までが九州北部で収まっているとは思えない
途中から日数表記に変わっていることからも
当時比較的交流が盛んだったと思われる九州北部から
離れたところにあったと考えるのが妥当 邪馬台国が九州から畿内にまたがる瀬戸内沿岸連合なら
邪馬台国到着自体は九州内 女王国はその先で解決 やっぱり邪馬台国は畿内だろ
そうでなければ狗奴国が大きくなりすぎる クノ、は、クの、やったんかもな。クの國なら分国と言うのも有ったと思うわ。
それは、列島の各地に結ばれた、クの人、らのネットワークを表してんの違うの。 高野山密教の連中とかがどこまで把握しているのかが問題だな
まあおそらくほとんど分かってないんだろうが >>547
それはこのスレでは禁止ワードになりましたとさ 歴史系のスレには高確率で真性キチガイが涌くけど、面白い共通点として
いくら叩かれてもへこたれない
という性質がある
根絶は難しいな 1だが、俺はシレーッと見ているだけだけど、あんまり基地な事を書くと、マジに怒りだす人もいるからね。
で、俺がやってると思われるの。
もう、どんだけ〜って感じ。
だから、ヤバいときはおやめ下さいと一応ダメ出しはします。 久野なんて地名は全国にやたらある。
それが全部狗奴国の勢力圏だなんてことはありえない。
我が国統一されてながいけど日本中のあちこちに
ニホンとかヤマトとかヒノモトとかの地名がやたらあるわけじゃないだろ
----------
狗はクかコ、奴はナ・ノ・ヌのどれかだから
クナ・クヌ・クノ・コナ・コヌ・コノまでが許容範囲。
子音違いの球磨郡や熊野、桑野は論外。
母音違いの狩野・加納・毛野も避けるべき。
ただし現代地名の久野じゃなくて古地名じゃないと。
古地名ってことでいえば断然、蓋然性が高いのは久務国造の「久務」だろうな >>552
ウソですね。
全国にないです!(キッパリ
ずばり「クノ」の二文字だけの地名は静岡〜関東+長野を除くと、
山口と三重くらいしかありません。
久務国造は狗奴国が日本武尊に滅ぼされた後に、大和政権が置いた役職で、
狗奴国の王族の後裔である可能性は低そうです。
狗奴国の王族は都の足高尾遺跡群で日本武尊の火攻めにあって、
ほとんどが焼け死んだものと思われます。
焼津の語源は日本武尊による、焼いて焼いて焼き尽くすという戦法の焼き尽くすから
焼津と名付けられたのです。 焼けるように暑い港だからじゃないの?
夏に焼津行ったらめちゃくちゃ暑くて死ぬかと思ったよ 違うんです。
事実は残酷で、日本武尊の火攻め戦法の「焼き尽くす」から「焼津」と
名付けられたのです。 まあ木造建築物は定期的に焼いた方が経済的には好都合だけどね
新築になるし 東海は出雲山陰と並び大和朝廷の主体だな。
纒向遺跡の外来系土器で一番多いのは東海系。
静岡は初期の大和朝廷の一員、邪馬台国側ということだな。
狗奴国ではない >>559
何度も読んでますが何か?
ずばり「クノ」二文字だけの地名は静岡〜関東+長野を除くと、
山口と三重くらいしかありません。
全国にないです。
全国にありませんので(キッパリ! >>557
単に愛知県の土器が纏向に入っただけだろ。
邪馬台国連合と狗奴国の国境は天竜川。
高尾山古墳からは滋賀あたりまでの土器の出土はあるのに、
奈良以東の土器の出土はなかったそうだよ。 信濃、美濃は勢力圏に入っていたくさいが、北関東は入ってないだろう
毛野氏は邪馬台国の側だったと思われる >>561
>単に愛知県の土器が纏向に入っただけだろ。
東海忌部だね。 伊勢忌部や東海忌部が奈良盆地の開拓にやってきたのさ。 奈良盆地は沼地だから最終開拓地となったんだね。 @阿波 >>505、八雲とか出雲って本当は意味が全然違うと思った。
夜久毛多都。伊豆毛夜幣賀岐。都麻碁微爾。夜幣賀岐都久流。曾能夜幣賀岐袁。
八雲立つ出雲八重垣妻籠めの、、、此れは須佐之男命が詠んだと言う和歌の万葉仮名。
夜久毛多都:やくもたつ…八雲立つ、原文とはかなり違うけど、夜くも(食国)とは読めんかな。須佐之男命と月読命は伊邪那美から産まれたんやな。
偉そうな学者の解読はどうも穿って見てしまうわ。狗奴国て誰が其う読んだんや() 出雲地方で元々信仰されていたのは、姫神である幸神、東から来て(西ではない)文物をもたらしたクナトの神、そしてその二神の子サルタヒコ。
それがオオナムチに取って代わられるんだな。
オオナムチによる出雲地方統一の結果だろう。
杵築大社の天井図。八雲が一つ欠け七つしかないだろ。
あれは、紀元前後出雲地方の内乱の結果、神庭にいたサルタヒコ一族が追放されたからだろう。
大量に埋め捨てられた銅矛銅鐸。
出雲地方と元々交流があったのは、淡路島を中心とした環大阪湾。
出雲地方と環大阪湾が仲良くしていた時代が、イザナギイザナミの国生みの時代だな。紀元前まで。
東から来て文物をもたらしたクナトの神。
環大阪湾の勢力の可能性が高い。
加茂岩倉遺跡との同笵銅鐸を見ると、サルタヒコ一族は畿内各地に逃げ延びた可能性が高い。 >>568
逃げ延びたというか、大陸に途方もない大きな国があって、
想像を絶するほどの数の兵士がいる国だと知ってたので、
九州瀬戸内に防人を置き、首都移転の意味で葛城を中心に畿内各地に移住したのだろう。 日本を脅かすような水軍を動員できる国は唐までない。 ヤマタノオロチは、元々は丹後半島だろう。
紀元前後王が殺されて、一族が畿内で逃げ延びた。
丹後半島に遅れて、1世紀には淡路島、池上曽根遺跡などで鉄工房が始まる。
その後一部伊吹山辺りに移った可能性がある。
伊吹山、ヤマタノオロチの神霊が住むと言われているな。
彦根の稲部遺跡でも鉄工房が見つかっている。
ヤマタノオロチ族と風宮の神との関係が気になるな。
級長津彦命
級長戸辺命
しなは息が長いという意味。
息が長い、吹子、鉄と関係あるかもしれない。
丹後半島に遅れて、畿内淡路島や池上曽根、彦根で鉄工房が始まるからな。
伊吹山、和歌では一途な想いの代名詞。
畿内に逃げ延びたヤマタノオロチ族は、助けてくれた勢力に恩義を感じていたのかもな。
伊吹山の神は、大和朝廷と最後の最後まで戦い抜いている。
環大阪湾の倭人、丹後半島を追われたヤマタノオロチ族、出雲の神庭を追われた出雲族が協力して作ったのがクナ。 サルタヒコ。
出雲族の姫神幸神と、倭人の彦神クナトの神(素クナヒコ名)の子。
倭人と出雲族の同盟の証。
月夜見にして大国主、卑弥弓呼。日見彦。暦の一子相伝者。
倭国大乱で殺されて、日本列島から暦が無くなる。
大国主とスクナヒコナの国造りは、出雲族と倭人によるクナ国建国の話だろうな。
スクナヒコナの最後は淡路島に弾かれ、或いは潮岬から逃れるとある。
大阪湾近傍にいたのは間違いない。
猿田彦で注目すべきは最初に出会った場所。
天の八衢。
道が幾つにも別れる処、方違。
面白いことに上町台地と泉北丘陵の間に方違神社がある。なにわ、和泉、河内、淡の境。
その近傍にイシズ川。
猿田彦が溺れたとされるのが、阿邪訶の海。
方違神社のすぐ北がアサカ、浅香。
浅香の北がオサカ、大阪。
浅香の南、泉北丘陵にコサカ、小坂。
伊勢と同じものが揃っているんだな。
凄い偶然。
更にサルタヒコはヒラブカイに挟まれて亡くなるとある。
またサルタヒコが消えたのはイスズ川の川上。
泉北丘陵、イシズ川を遡った地に平井と深井という弥生時代から立地が変わっていない集落がある。
平井と深井の間が弥生時代の鈴の宮遺跡。
サルタヒコは最後はこの辺りに逃れていて、亡くなったんだろう。 >>571
>しなは息が長いという意味。
息が長い、吹子、鉄と関係あるかもしれない。
いや、海の潜る阿波の海人(あま)のこと。 @阿波 >>571
>しなは息が長いという意味。
息が長い、吹子、鉄と関係あるかもしれない。
いや、海に潜る阿波の海人(あま)のこと。 @阿波 サルタヒコの遺言。倭国大乱の犯人を教えてくれる。
「底どく御魂」「つぶたつ御魂」「あわさく御魂」
底、独、常、立 、阿波咋
国常立神、天香山の山頂に祀られている神。
鬼門に封じ込まれた神。
天岩戸の向こう側に追いやられた神だろう。
阿波咋、阿波で石器作りをしていた集団が、阿波の海人の倭人の勢力を乗っ取ったんだろうな。 >>65
其れな、有ると思います。
縄文の三内丸山遺跡の流通っぷりは想定を遥か越える広範囲…と言うか旧石器時代からでしょ。
東から畿内入りした人らもそのぐらい古くからの付き合いやし。 こういうスレで日付を気にする方がむしろおかしいだろ 古代エジプトしかり近代ヨーロッパしかり古代日本しかり現代日本しかり
意識をどこか遠くへ飛ばしていた方が国が富む不思議
家族や親戚や御近所さんをガン見すればするほど誰しも腐っていく
猟奇カルトに落ちない限りにおいてはスピ系や考古学者は増やすべきなんだろうな しかし難しいよなぁ
教師やお医者さんはガン見せざるを得ないからな
全部越境にすると誘拐やら事故死の確率が増えるし燃費も悪くなるし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています