井伊彦根藩の状況

井伊直弼の横死後、長野主膳に責任を被せて処刑したのも無駄で、大獄の報復として10万石削られる。
第2次長州征伐に藩主自ら出陣するも、初戦で壊滅。他も負けたのに「譜代筆頭のくせに情けない」と嘲りを受ける。
直弼の政敵だった、慶喜が将軍に就任。さらに大政奉還で徳川家に統治権が無くなる。

この状況でも、家老級には大坂城に詰めて徳川家に忠義を示した人もいたが、中級藩士以下は積極的に新政府に
味方することを進め、鳥羽伏見にも新政府側に参戦。
藩主も新政府側に立ち、中級藩士の取り立てなど藩政改革を進めるとともに、戊辰戦争にも参加。功績を認められ、
かなりの褒章を受ける。

なお、井伊直弼のせいで嫌われて侯爵になれなかった、というのは嘘。幕府に10万石削減されたせいで、侯爵に
必要な石高が足りなかっただけ。