木曽義仲と源義経と畠山重忠 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>262
別に綸旨で滅んだわけじゃない
他の武家が北条を滅ぼしたから滅んだだけだ
その証拠に後醍醐はすぐに武家に追われたじゃないか .
天皇を超越した唯一人の日本人。
その名は北条義時 木曽義仲が法住寺合戦で皇族殺した前例を作ったのが北条義時の助けになったはず。 >>263
綸旨には武家を従わせる効力があるということだよ
北条が日本のトップで天皇を超越した存在ならば
綸旨に従う者などいるはずもない >>265
また基地外が来たなw
円恵法親王は法衣を脱いでしまったために誰も法親王だと気付かず
人違いで殺されたと史料に書かれてあるのに
史料を提示されても史料が読めず
木曽義仲は円恵法親王の打ち首をさらしたといってる基地外w >>265は他スレで暴れている基地外
121日本@名無史さん2017/12/10(日) 23:28:34.56>>127
そもそも前代未聞である宮中に攻撃命令を出したのは木曽義仲だからw
別に殺しても仕方ないという感じだったんだろ
だから円恵法親王の打ち首をさらした
↑
この書き込みにたいして愚管抄を提示して
円恵法親王は法衣を脱いだために法親王だと気付かれず人違いで攻撃された
打ち首をさらした事実はないと指摘した
「八條宮〔円慧法親王〕ハ具シタリケル人アシク。衣袈裟ナンドヲヌガセ申テ。
紺ノ帷子ヲキセ奉リタリケレバ。走リカカリテ武者ノキラントシケルニ。
ウシロニ少将房トテチカクツカハレケル僧ハ。院ノ御所ニ候源馬助俊光ト云ガ兄也。
ソノ僧ノ兄ト云テ手ヲヒロゲタリケル。カイナヲ打落スマデハ見キト申者有ケリ。(愚管抄)」
この基地外は愚管抄を提示されても尚、
木曽義仲は皇族を意図的に殺し打ち首を晒して皇族殺しの前例を作ったと
愚管抄の内容を真っ向否定して暴れ回っている
さっさと必ず「一次史料引用の上で」反論しろ 井沢のせいだと思うが一次史料否定するバカ増えたよな >>267-268
おきキチガイ!
どこにトンズラしてたんだ?
俺に指摘されるまで円恵法親王の存在自体を知らなかったキチガイがwwww >>267-268
おいキチガイ!
どこにトンズラしてたんだ?
俺に指摘されるまで円恵法親王の存在自体を知らなかったキチガイがwwww
俺に指摘されてからネット検索してやっと気づいたんだろキチガイwwww >鎌倉時代に殺された皇族って誰?
>木曽義仲が殺した皇族って誰?
↑
このレスだけで>>267-268がどんだけニワカキチガイか分かるわw
こいつは法住寺合戦で円恵法親王が木曽義仲の兵士に殺された歴史的事実を知らないで鎌倉時代を語るニワカキチガイwwww
どうせ俺に指摘されるまで円恵法親王の存在自体を知らなかったんだろ?
こいつは話を逸らすことで己の無知さを隠そうと必死www >鎌倉時代に殺された皇族って誰?
>木曽義仲が殺した皇族って誰?
↑
キチガイの北条義時スレのキチガイレスだけで>>267-268がどんだけニワカキチガイか分かるわw
こいつは法住寺合戦で円恵法親王が木曽義仲の兵士に殺された歴史的事実を知らないで鎌倉時代を語るニワカキチガイwwww
どうせ俺に指摘されるまで円恵法親王の存在自体を知らなかったんだろ?
こいつは話を逸らすことで己の無知さを隠そうと必死www >鎌倉時代に殺された皇族って誰?
>木曽義仲が殺した皇族って誰?
↑
キチガイの北条義時スレのキチガイレスだけで>>267-268がどんだけニワカキチガイか分かるわw
こいつは法住寺合戦で円恵法親王が木曽義仲の兵士に殺された歴史的事実を知らないで鎌倉時代を語るニワカキチガイwwww
どうせ俺に指摘されるまで円恵法親王の存在自体を知らなかったんだろ?
こいつは話を逸らすことでニワカである己の無知さを隠そうと必死www >鎌倉時代に殺された皇族って誰?
↑
キチガイのキチガイレスだけで鎌倉史を何も知らないバカでアホでゴミで無能だと一目瞭然! またまた鎌倉時代に皇族は殺されていた事実を俺に指摘されて話を逸らしてトンズラ逃亡かな?
だって、こんなバカなんだぜwwwwwwwwww
↓
>鎌倉時代に殺された皇族って誰? とりあえず新スレ立てて、そこで二人とも思う存分やってくれないかね
今の状態はみんなの迷惑 >>280
おお、ずいぶんと皇族は源氏にも平家にも殺されてんじゃねかよ これで鎌倉時代に殺された皇族って誰?なんて馬鹿げた口きく知恵遅れもいたもんだぜ。 >>281
平家が以仁王を殺したのは木曽義仲より前だぞw 皇族殺しどころか天皇殺しは前例があるけど。
宮中を正面から攻撃したのは木曽義仲が史上初じゃないか? 義仲に相当する戦国武将は信長だが義仲のほうが数段格上。 >>269
自分の解釈だけが正しくて、自分に都合の悪い史料は曲解していくスタイルなのだろう 源義平、木曾義仲、源義経は好きかな・・・
という俺の先祖は攝津源氏系だけど・・・
でも、頼政のおっちゃんを襲った悪源太義平は何か憎めない・・・
多分、河内源氏、八幡太郎義家以来の源氏の棟梁のしかも長男としての”想い”は純粋だったのではないかなぁ・・・
俺も長男だから何か感慨深いものがある・・・ 鎮西八郎為朝はどうよ
義平が義経なら為朝は義仲ってイメージがある >>290
頼政?義賢じゃないの?
既出だろうけど
大蔵館のあれは義平が主犯とされているけど
すべて畠山重能の陰謀 >>292
頼政襲撃ってのは平治の乱のことではなかろうか 平治物語だと頼政は見限ったが平家にも荷担せず中立でいたところ、
義平が暴走して攻撃を仕掛けたため義朝に敵対したことになってる。
その意味ではアホな奴だなと思わないでもないが、でも憎めないと言う意味に俺は理解した。
とうの本人が出てこないと話にならんな。 ちなみに俺は291だ
為朝に関するコメントも待ってるぜぇ 当時の武士道では考えられない(今でも国際法違反だと非難轟々浴びるのは間違い)
どんな卑怯な戦術も厭わなかったのが源義経の強さ。 でも所謂卑怯な戦術とされている壇ノ浦の漕ぎ手狙いは嘘だという事実 京都にべったりな義経が鎌倉を拠点とする頼朝や東国武士団と相容れるわけがない 後白河院は義経と結託しようとしていたし、義経も天下取りの野心があったと言われている 木曽義仲の野人ぶりに比べたら
いくらか源義経が貴人に見えてしまう >>302
近年 そういう見方が出てきたね。歴史番組でもやってたな。頼朝の義経への非情な仕打ちは、この文脈なら納得が出来る。
義経の驕慢な性格の故に頼朝の不興を買ったわけではなく、義経の頼朝への対抗心が原因だと。
義経には人望も政治手腕もないから、「第二の源義仲」に終わるのは目に見えてんだがねえ。
まあ、 都知事さんと同じく 自己過信と超勘違いがあったんだろうか? >>305
頼朝は苦労を知っているからね
鎌倉の頼朝と甲斐の武田と木曽義仲が源氏の棟梁として並立する危うい情勢が続いていたから 「寿永の宣旨」で鎌倉政権は朝廷に公認された、というわけで鎌倉幕府創設の時期をこの1183年に求める見解が以前からある。
しかし、あれ(寿永の宣旨)を先入観なしで平読みするとそんなこと書いてないんだね。 「そういう風に読めなくもない」程度だ。
で、何が言いたいかというと、これも近年の解釈では 義仲の入京に危機感を感じた頼朝が朝廷に「頭下げた」のが寿永の宣旨だという見方が出てきた。
とりあえず「反乱軍」指定から解除されたわけだし。(同時に「東国独立路線」は消えちまった。←上総広常の路線の否定)
甲斐の武田も形式的には頼朝の御家人だが、実際は客将・同盟国みたいなもんだ。
義仲上洛軍にも参加しているし。 頼朝の焦りが寿永の宣旨を奏請させたという見方は俺も支持している。 義経には自分も正統だという自負と後白河院に対する過信があったらしいからな 話は変わるが木曽義仲を大河ドラマにしようとする運動があるみたいだが。
大河ドラマ「源義経」だけでも1年を引き伸ばすのには精一杯で無理があったのに。
もし「木曽義経」だけで大河ドラマを構成しようとすると半年で放送が終わってしまう。 「木曽義経」でなく「木曽義仲」だった。
「悲劇の源氏 木曽義仲と源義経」みたいなタイトルで大河ドラマにすればいい 源義経一代だけの構成でも無理があった。
木曽義仲一代だけの構成ならもっと無理がある。
そこで本来は2人セットで〜キングオブKY 転落の勝利者の人生〜として構成すべきだったのだ。 新田義貞と木曽義仲が被るな
登場の仕方と言い死に様と言い 2人とも一度は栄光を掴んだのに、結局 ライバルの頼朝 尊氏の引き立て役に終わった。
これじゃあ死んでも死にきれん。やっぱり2人とも大河の主役にしてやらんとな。
>>309
「源義経」観てないから知らないが、「北条時宗」や「徳川吉宗」で一年引っ張ったこともあったんだぜ。
平将門や山本勘助 武蔵坊弁慶(大河ちゃうけど)でも1年やり切った。
ようは脚本家の腕次第。 >>脚本家の腕次第
木曽義仲って大蔵館の事件と旗挙げ後しか史実としては知られてないから
その間、脚色は思うがままだよな
それはさておき、語りは松尾芭蕉でいいかな? 『松尾芭蕉 奥の細道』で大河ドラマにして木曽義仲をふんだんに登場させるべき。 「元禄繚乱」だったかな? 近松門左衛門が語りだったな。もう松尾がナレーションで、
前半は義仲、後半は義経、終盤は日蓮と蒙古大襲来というスペクタクル大河でいいや。 第1回めは何故か薬子の変から、とか。 木曽義仲はホウエツ(漢字変換できず)こそ似てるよ。 >>319
近松門左衛門が語りだったのは「八代将軍吉宗」 董卓だな
覇権を握るもすぐに没
覇権崩壊の原因も似てる 董卓の部分は分からんでもないが
木曽義仲が諏訪大社や木曽御嶽山を信仰してた点が戦国武将なら武田信玄や武田勝頼との繋がりがあると思うわ
しかも木曽義仲の部下の海野氏は真田幸隆の先祖。
ここも俺が木曽義仲に甲州武田軍団の匂いを感じる点である。 覇権を握ったのはいいが、それを維持する方策がなかった
武力重視杉で、経済官僚がいなかったからかね
半面、光秀は周到でその点の策略もあったが
時間を与えてもらえず、裏切りと秀吉にしてやられた感じかな >>326
木曽義仲の家来の子孫の多くが武田信玄の家臣になってる。
その一人が木曽義仲直系子孫の木曽義昌。 あらためて木曽義仲の人生を見ると
木曽の山奥から現れた日本史の中の超異常人物だろ。
同時代のアンチヒーロー的な平清盛やダークヒーロー的な源頼朝とも違う
また似てはいるが源義経とも違う木曽義仲は超異常人物 大本を中心とした明治の教派神道の間で源義経が日本国の魂のごとく崇められてた。
江戸時代は徳川家康が好む源頼朝がエコ贔屓されてたが。 義経は判官贔屓で人気が出たんだよね
義経記が誕生したのは室町時代のことだが、
すでに源平盛衰記あたりから義経の物語が出来はじめてる。
江戸時代には腰越状が習字のテキストに使われたり、
芝居でも義経が意味もなく出てきてお客さん大喝采とかだった。 そう考えると源義経は日本の象徴みたいになってしまってる。
ただ俺が依怙贔屓してるのは木曽義仲だが 義経も義仲同様に野心家で後白河を後ろ盾にして天下取りを狙っていたという
頼朝が警戒するのも無理はない 武家の政治を作ったのが頼朝で美学を作ったのが義経だってNHKで言ってたな 江戸時代は徳川家康が崇拝してた源頼朝が依怙贔屓されておった。 織田信長の平清盛愛は異常
徳川家康の源頼朝愛は異常
松尾芭蕉の木曽義仲愛は異常
出口王仁三郎の源義経愛は異常 >松尾芭蕉の木曽義仲愛は異常
新井白石とか芥川龍之介とか何故か文豪に木曽義仲好きは多い。 >>344
芥川は芭蕉好きだから何かしらの影響はあるだろうな 木曽義仲は董卓だと考える人が多いな
最初はいい人だが暴君に変貌したあたりは平清盛が董卓だと思っていたが ヒット&アウェイのほうえつと突進型の義仲は似てないと思う 彭越はゲリラ戦法の正統派だな
こんなんに補給路を脅かされたらたまらんわ
そら劉邦も韓信クラスの評価するわな 彭越に似たような武将は源平時代にいないと思う。
近江源氏がこれに近いことしていたかもだけど。 義仲の戦術が猪突猛進
確かに性格はそうかもしれないが兵法には謀を多用してるだろ
火牛の計に赤旗で平氏に近づいてから白旗に変えて奇襲する欺瞞作戦など いまだ信州の山賊焼きを超える鶏肉を食ったことがない >>357
楠正成いわく兵法の謀りにおいて木曽義仲の右に出るものはいないと。 彭越は項羽の主力と正面からぶつかるような戦い方をしていないんだが。
義仲は平家の大軍を真正面から撃破してるんだから彭越とは全然違う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています