木曽義仲と源義経と畠山重忠 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>344
芥川は芭蕉好きだから何かしらの影響はあるだろうな 木曽義仲は董卓だと考える人が多いな
最初はいい人だが暴君に変貌したあたりは平清盛が董卓だと思っていたが ヒット&アウェイのほうえつと突進型の義仲は似てないと思う 彭越はゲリラ戦法の正統派だな
こんなんに補給路を脅かされたらたまらんわ
そら劉邦も韓信クラスの評価するわな 彭越に似たような武将は源平時代にいないと思う。
近江源氏がこれに近いことしていたかもだけど。 義仲の戦術が猪突猛進
確かに性格はそうかもしれないが兵法には謀を多用してるだろ
火牛の計に赤旗で平氏に近づいてから白旗に変えて奇襲する欺瞞作戦など いまだ信州の山賊焼きを超える鶏肉を食ったことがない >>357
楠正成いわく兵法の謀りにおいて木曽義仲の右に出るものはいないと。 彭越は項羽の主力と正面からぶつかるような戦い方をしていないんだが。
義仲は平家の大軍を真正面から撃破してるんだから彭越とは全然違う。 彭越の戦い方って実は最強だよね
相手の主力と正面からはぶつからず、相手の補給部隊を襲ってごっそり兵站をいただいてしまう
もっとも相手に別の敵がいないとできない戦い方でもあるけどな >>362
ぜんぜん正面じゃないだろw
不意打ちの奇襲ゲリラ戦術ばかりだろ >>363
そうホウエツ最強。
そして正面突破ではなくてホウエツばりの奇襲ゲリラ戦術を駆使できた木曽義仲最強。 義経の方がホウエツっぽいんだが
義仲は敵の本体相手に戦闘を挑むタイプ
義経は背後や側面からの攻撃が主体 そんなことより火牛の計の真実を知りたい。
500頭の牛を完全にコントロールすることができたなら恐ろしいことだ 『平家物語』にすら書いてないんだから嘘に決まってる。
火牛が書かれたのはずっと後代に脚色された『源平盛衰記』から。 一次史料に火牛のことが書かれているものを見たことがない
あるんだったら教えてほしい そしたら誰がいいだしたのか?
こないだ富山の埴生と倶梨伽羅に行ってきたが火牛の計は完全に歴史の事実として町おこしの材料にされてるぞ。
まあ木曽義仲ファンの俺としては事実認定されたほうが有り難いんだがw >>347
>自分に無いものを持っているから
これが事実である。
そして確信は無いが芭蕉も芥川も実際に木曽義仲に出会えば大嫌いになるかもしれないぞ。
なにしろ同じ文筆家で占められる京の貴族連中が解放者と迎え入れた木曽義仲と実際に面談したとたんに手のひら返しで毛嫌いしはじめた。
現代でいえば木曽義仲みたいのは米国トランプ大統領同様にワープアや底辺労働者などのB層からは絶大な人気を得るだろうが
文系が多い上級国民からは忌み嫌われるだろう。 道の駅にも火牛の像があるけどあれを事実だと信じてる人はいないでしょ 唯一の『頭脳』であった覚明が去って行ったのはそれなのである。 長篠の三段射撃と同じで創作がやたらと有名になった例 >>372
チョンやネトウヨは織田信長好きだけど知識階級の日本人はアンチ信長が多いようなものか 畠山重忠は猪突猛進型とは違うし、なによりも怪力だから非力の義経には似てなさそう。 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
G0WDE >>363
日中戦争時の八路軍が彭越流戦術を受け継いでる。 貴乃花は所詮小粒の大将にすぎないから新宮十郎行家が似合ってる 貴乃花の絶大なカリスマ性は源義経に匹敵する
そしてカリスマだからこそ組織から嫌われる
そこは鎌倉幕府から追放された源義経や木曽義仲と同じ 貴乃花=源義経
御嶽海=木曽義仲
勝手にイメージしてみた 圧倒的な戦術的強さを誇りながらも汚れきった腐敗組織の前に敗れ果てた貴乃花と源義経。
だが世論は判官贔屓で貴乃花親方を圧倒的に支持している
世論調査では貴乃花親方の圧勝
まさに貴乃花親方は源義経だ >>391
今回のヤフコメやTV局の世論調査の絶大な貴乃花支持率は源義経に匹敵してる判官贔屓。
空気が読めないから村組織から追いだされるところも同じく源義経。 もはや平家のごとく伏魔伝である大相撲協会崩壊の露払いになったのは木曽義仲にも通じる
いや義仲も最期は2人だけになったし・・ 木曽義仲が平家打倒の露払いであると歴史の定説になってるが源頼政じゃないか? 義経は軍事貴族として平清盛の様になりたかったらしいが、義仲はどういう構想を思い描いていたんだろう >>394
いつの世も露払いになる人物は嫌われる宿命。 >>398
藤原氏に保護されてあのままいけば奥州王になれそうだったのにな。 >>394
貴乃花親方=木曾義仲
今井兼平=陣幕親方 平家=糞相撲協会
木曾義仲=貴乃花親方
今井兼平=陣幕親方 義経は政宗に転生して念願だった奥州王になれました。
二人と憎めないDQNだったでしょ 義経は戦術家で政宗は謀略家
まっすぐな義経と腹黒い政宗
タイプは違いすぎると思うけど 戦争で何でもありを体現したのは今でも源義経を超える人物はいないと。 京都の公家には木曽義仲は犬が去って豚が来たようなもの 京都の磁場をメチャクチャに掻き乱した木曽義仲かっこすよぎるぜ
やはり貴乃花親方に通じ合う >>363
敵の龍を他の巨龍に退治させるという毛沢東は彭越である 間違えた。
政治力を身につけた木曽義仲が董卓だった 義経合戦履歴
宇治川(木曽義仲)
一ノ谷(平家)
屋島(平家)
壇ノ浦(平家)
六条堀川(土佐坊)
大物浦(源行綱)
衣川(藤原泰衡) 覚明がいる間は連戦連勝だったのに覚明が消えたとたんに滅びた
そんな覚明は何者? 政治力を発揮する参謀ってのは組織をまとめるのに必要なんだよね。
頼朝でいうと大江広元がこれに当たる。戦闘に参加しない行政官。
義経には参謀がいなかったから義仲のような一大勢力を築くことが出来なかった。 誰かの下で働いてこそ無類の強さを発揮するんだろうね 源行家は令旨を全国の源氏に伝えたところまでで使命を果たした >>423
行家は改名せず義盛のままだったほうがよかったかもしれんな なんとなく 『平家物語』どころか『源平盛衰記』にも八艘飛びの話が出ていない。 あれは義経の八艘跳び自体よりもその後能登守が襲い掛かってきた源氏の武者2人を道連れに飛び込むのが好き
敵役として最高に格好いい最後だった
そしてそれらを全て見届だ知盛の「見るべきものは見つ」がいいんだよねえ 義経と教経の対決は屋島・壇ノ浦における名勝負だね。
なお、このライバル同士は太平記で仲良く怨霊になって登場している。 平家物語や源平盛衰記の平家の最期がその後の日本の武者の美学を決めたよね
というか当時確立した武者の美学を表現したのがこれらの作品だったのだろう 同情と憧れが混在しているんだと思う
散る桜や欠落するものに美を見出すのは日本人特有の感性だと思う 知盛の最期の心境は、北斗でいえばラオウみたいな感じだったのかもなw
見るべきものは見つって、わが生涯に一片の悔いなしと似てる感じw 平重盛が長生きしていたらだいぶ状況は変わったのかも知れない 盛っていると言えば、
畠山重忠の鵯越の逆落しでのエピだよなぁ。
馬背負って崖下るとか、どんなファンタジーかと。 >>443
ところがそれはややこしい論争があって
「馬で急坂を降りられるわけないだろ」派が
「馬の前足を担いで降りるほうがまだ現実性がある」と主張。
「物理的には降りられますが何か?」派が
「馬をいたわってそのような行動に出たのだろう」と主張。
「降りられるけど実際はあんな急坂じゃないよ」派は
「つまり馬をいたわることも可能だった」と主張。
つまり畠山さんのしたことは嘘じゃないかもと言われている。 そもそも一の谷の崖を駆け降りたこと自体がなかったとされているから、
馬を担ぐこともなかったというのが結論だと思うけどね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています