木曽義仲と源義経と畠山重忠 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>391
今回のヤフコメやTV局の世論調査の絶大な貴乃花支持率は源義経に匹敵してる判官贔屓。
空気が読めないから村組織から追いだされるところも同じく源義経。 もはや平家のごとく伏魔伝である大相撲協会崩壊の露払いになったのは木曽義仲にも通じる
いや義仲も最期は2人だけになったし・・ 木曽義仲が平家打倒の露払いであると歴史の定説になってるが源頼政じゃないか? 義経は軍事貴族として平清盛の様になりたかったらしいが、義仲はどういう構想を思い描いていたんだろう >>394
いつの世も露払いになる人物は嫌われる宿命。 >>398
藤原氏に保護されてあのままいけば奥州王になれそうだったのにな。 >>394
貴乃花親方=木曾義仲
今井兼平=陣幕親方 平家=糞相撲協会
木曾義仲=貴乃花親方
今井兼平=陣幕親方 義経は政宗に転生して念願だった奥州王になれました。
二人と憎めないDQNだったでしょ 義経は戦術家で政宗は謀略家
まっすぐな義経と腹黒い政宗
タイプは違いすぎると思うけど 戦争で何でもありを体現したのは今でも源義経を超える人物はいないと。 京都の公家には木曽義仲は犬が去って豚が来たようなもの 京都の磁場をメチャクチャに掻き乱した木曽義仲かっこすよぎるぜ
やはり貴乃花親方に通じ合う >>363
敵の龍を他の巨龍に退治させるという毛沢東は彭越である 間違えた。
政治力を身につけた木曽義仲が董卓だった 義経合戦履歴
宇治川(木曽義仲)
一ノ谷(平家)
屋島(平家)
壇ノ浦(平家)
六条堀川(土佐坊)
大物浦(源行綱)
衣川(藤原泰衡) 覚明がいる間は連戦連勝だったのに覚明が消えたとたんに滅びた
そんな覚明は何者? 政治力を発揮する参謀ってのは組織をまとめるのに必要なんだよね。
頼朝でいうと大江広元がこれに当たる。戦闘に参加しない行政官。
義経には参謀がいなかったから義仲のような一大勢力を築くことが出来なかった。 誰かの下で働いてこそ無類の強さを発揮するんだろうね 源行家は令旨を全国の源氏に伝えたところまでで使命を果たした >>423
行家は改名せず義盛のままだったほうがよかったかもしれんな なんとなく 『平家物語』どころか『源平盛衰記』にも八艘飛びの話が出ていない。 あれは義経の八艘跳び自体よりもその後能登守が襲い掛かってきた源氏の武者2人を道連れに飛び込むのが好き
敵役として最高に格好いい最後だった
そしてそれらを全て見届だ知盛の「見るべきものは見つ」がいいんだよねえ 義経と教経の対決は屋島・壇ノ浦における名勝負だね。
なお、このライバル同士は太平記で仲良く怨霊になって登場している。 平家物語や源平盛衰記の平家の最期がその後の日本の武者の美学を決めたよね
というか当時確立した武者の美学を表現したのがこれらの作品だったのだろう 同情と憧れが混在しているんだと思う
散る桜や欠落するものに美を見出すのは日本人特有の感性だと思う 知盛の最期の心境は、北斗でいえばラオウみたいな感じだったのかもなw
見るべきものは見つって、わが生涯に一片の悔いなしと似てる感じw 平重盛が長生きしていたらだいぶ状況は変わったのかも知れない 盛っていると言えば、
畠山重忠の鵯越の逆落しでのエピだよなぁ。
馬背負って崖下るとか、どんなファンタジーかと。 >>443
ところがそれはややこしい論争があって
「馬で急坂を降りられるわけないだろ」派が
「馬の前足を担いで降りるほうがまだ現実性がある」と主張。
「物理的には降りられますが何か?」派が
「馬をいたわってそのような行動に出たのだろう」と主張。
「降りられるけど実際はあんな急坂じゃないよ」派は
「つまり馬をいたわることも可能だった」と主張。
つまり畠山さんのしたことは嘘じゃないかもと言われている。 そもそも一の谷の崖を駆け降りたこと自体がなかったとされているから、
馬を担ぐこともなかったというのが結論だと思うけどね。 >>442
重盛って、いわれてるほどの人格者でもなかったって説もあるな・・ >>447
自分の無力感に苛まれていたらしいね
調停役として清盛の暴走を止めていたらしいけど 清盛はラオウ、重盛はトキみたいな性格だったのかな?w 義経記を読んだわけではないが、大河ドラマの義経は面白かった。
奇想天外な話ばかりで。 ドラマで必ずと言って良いほど見せ場となる「安宅関の勧進帳」は義経記にその場面がないという事実 大河義経結構面白かったよね
丹波哲郎の遺作ともいえる源三位頼政が良かった 破格の待遇を受けつつも、勇気を振り絞って挙兵に踏み切ったのは最後に武士として花を咲かせたかったか、余程物思う部分があったんだろう 幕府と言う発想がそもそもないだろうし、
樹立しても周りが従うとは思えないが。 リオ・平昌五輪2016−2018個人種目獲得メダル数
北信越5県 金=4 銀=3 銅=3 計=10
関西6府県 金=0 銀=1 銅=0 計=1 >>459
信濃よりはもう少し平野の広い越後幕府でもよかったかも
てか義仲軍って、上洛後に酷くなったのであって、城長茂(資職)を破って越後国府にいたころは
頼朝軍と大差ないまともな軍隊だったんじゃなかったのか?
一万騎はあったみたいだし 関東と言う辺境に基盤を築いた頼朝は凄いよ
逆に京都や平泉みたいな主要都市で育った義経には東国武士の気持ちは分からなかったと思う 秀衡が抗戦しても同じでしょ
阿津賀志山に大防塁を築いた国力は侮れないけど
結局は鎌倉のケタ違いの動員力に負ける 吾妻鏡読んでると、範頼も義経と似たような性格っぽい
義経のほうが早く挙兵に参加しただけ
頼朝との関係は最初は良好だったかも >>470
範頼の方が政治感覚が研ぎ澄まされていて慎重さがある様に感じるけど、性格的には別の面があったのか? 範頼って宗盛の源氏版って感じじゃない? 義経や教経よりデブで凡庸なおっさんって感じw 範頼は軍事でも政でもバランス良く有能だったと思うけど、頼朝や義経に比べると器用貧乏だと思う >>471
乱暴者だった模様
吾妻鏡 寿永3年2月1日条
蒲の冠者範頼主御気色を蒙る。これ去年冬、木曽を征せんが為上洛するの時、
尾張の国墨俣の渡に於いて、先陣を相争うに依って、御家人等と闘乱するが故なり。
その事、今日すでに聞こし食すの間、朝敵追討の以前、私の合戦を好み、
太だ穏便ならざるの由仰せらると。 >>474
義平は義経とともに先陣切って戦う突進型の猛将、朝長は頼朝にとって政治顧問みたいな役割だろうか。
義経が京武者で関東の荒くれものとソリが合わなかったのに対し義平は生粋の坂東武者だから、
似た者同士の義平と義経が対立するという構図がありえたかも。 朝長は官位的に頼朝が嫡子に据えられるまで後継候補だった
頼朝が嫡子化したことで波多野氏が義朝陣営から離脱した
ライバルだよ
源氏ってちょっと目を離すとすぐこれだからね 源義光の頃から血みどろの殺し合いをし続けるのが源氏 >>476
正体とかキャラクター性が掴みにくい人だけど、立場的にかなり危険人物として見られいたのは確か
鉈切丸って言う舞台では範頼が主役にして悪役だったな 義平って敗戦後に平清盛を暗殺しようとして失敗したんだっけ
仮に生き永らえても不幸な末路を迎えそう 範頼って建久4年に何かやらかしてるよね
建久4年て8月に範頼自害、岡崎大庭出家、12月に安田粛清でしょ 甲斐源氏や帝と接点があったんでしょ
義経と同様に野望があったのかも知れない >>468
いつごろから?
秀衡の代からあるとしたらそれはそれで凄いけど 南奥州に勢力が伸びたのは基衡の代だけど
防塁築けたのかね >>475
宗盛って清盛の次男じゃなくて三男なんだね
重盛と宗盛のあいだに基盛って人が居たって最近気付いた 宗盛が酷い酷いっていうけど、
都落ちのときに後白河が逃亡するなんて予想できなくても無理はない。
本土決戦のときに天皇が厚木に逃げてアメリカ軍に投降してました
みたいな話だからな あるけど証明しようがないし盛り上がる話ではないなあ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています