日本史上最強の謀将は北条義時じゃないか? [無断転載禁止]©2ch.net
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>鎌倉時代に殺された皇族って誰?
↑これでお前の無能ぶりがしれわたっとるわ >鎌倉時代に殺された皇族って誰?
>木曽義仲が殺した皇族って誰?
↑このキチガイは俺が円恵法親王が殺された証拠を提示するまでは何も知らなかったニワカキチガイwwwww どうせ俺に指摘されるまでは円恵法親王の存在自体が初耳だったんだろキチガイ??? 鎌倉時代に殺された皇族って誰?
↑
このレスがこいつの知識の無さを暴露している。 >>212
女の中の女である姉ちゃんと良いコンビだったな 天照大御神=北条政子
須佐之男命=北条義時
この構図だよな
やはり日本は女神様が一番偉い国なのだ 巴御前にしても北条政子や阿波局にしても、女性が強いよな 北条義時は20世紀でいえば共産主義国家の指導者。
スターリンみたいだ。 幕府は共産主義体制に近い気がする。
とくに江戸幕府。 治天院を島流しにしたのはやはりやり過ぎだよ
やってることは足利義満よりはるかに悪質 後鳥羽がやったことがとても良いとは思えないし、平安時代に逆戻りなんて出来るわけないだろ 朝廷と真っ向勝負した木曽義仲や北条義時に比べれば織田信長なんてカス >>223
島流しは淳仁天皇や崇徳上皇の先例があるし、 北条側からみればケンカ売られた側だから、
その首謀者に相当な厳罰を下さないと味方してくれた東国武士(彼らも朝敵になっちまった)に示しがつかない。
貴族・寺社勢力が未だ大きな勢力を持っている状況下では上皇の首を刎ねるわけにもいかないので、
3上皇配流・皇統チェンジは いい塩梅の処置だと思う。
北条氏というのはその後も含めてバランス感覚のある政治家一族だと思うね。 >>228
ほんと北条家は一族として政治力が高いよね
朝廷では後鳥羽に反対する勢力も根強いことをちゃんと把握していて
敗戦後はその勢力に政権を渡す形にしているから朝廷側でも基本的に幕府に感謝しこそすれ敵対心なんてないんだよね
要するに無謀な戦を仕掛けた後鳥羽一派が諸悪の根源でにもかかわらず朝廷を存続させてくれた幕府ありがとうという空気に持って行ったのが上手いよね
これ、朝廷潰して幕府の西日本直轄なんてやったらかなり面倒なことになったはず
そういう無理なリスクをなるたけ負わないのが北条流だよな 人望の差異というか、後鳥羽の鶴の一声よりも北条の大演説に心打たれたんでしょ
北条のいざとなれば糾合して、人心を掌握する能力に長けているのは後の蒙古襲来の時でも活かされている 今の日本史学会では、1333年に突如幕府が滅亡した理由は謎ってのが定説らしいね
かっては後付けで滅亡が必然だったように言われていたが、最近の研究はそんな単純な結論にはならないのだとか
突如一瞬にして滅亡ってこと自体がいろんな偶然が重なった結果ということを示唆していると思う >>229
教科書では承久の乱によって鎌倉政権の支配が西国にも及ぶようになった、と教えている。
これ間違いではないが、かなり注釈がいる。 京方から募集した荘園に東国武士が大量に移住し、
「プチ幕府」ともいうべき六波羅探題が京都にでーんと居座って朝幕の力関係は逆転したが、
朝廷・寺社は以前 膨大な荘園と公領(国衙領)を有する「西国国家」だった。
北条氏は後鳥羽院から取り上げた長講堂領も後に返還してるし、余程のことが無い限り朝廷には
“内政干渉”をしない。 北条義時は公家側の評判もまずまずだった。
北条氏は 新興勢力たる武士の代表としてその勢力拡大に努めたが、同時に旧支配勢力との利害調節にも苦心した。
後に足利直義が北条政権を見倣った政治を志向したのはこういうことだろうと思う。 232訂正
京方から募集した × → 京方から没収した >>231
新田義貞が滅ぼしたんでいいんじゃないか? >>230
政子の演説は凄いわ
あれを頼朝の後家がのたまわるんだぜ
そら男なら火がつくわ
あれはやはり頼朝の御台所であり天照大御神ポジションである政子の言葉だからこそ意味があるのよね
個人的にあの演説は日本史上最高の演説だと思う >>206->>210
マジで聞くわ
鎌倉時代に殺された皇族って誰?
平安時代末期に皇族であると誰も思わず人違いで討たれた円恵法親王は
「鎌倉時代」に「木曽義仲」によって「打ち首を晒された」と
100レスも書き込んで恥ずかしいことを言い続けた恥ずかしい基地外
そして承仁法親王のことは指摘されるまで知らなかった基地外 >>237
また現れたのか基地害?
俺に指摘されるまで法従寺合戦で木曽義仲に円恵法親王が殺されたこと知らなかったんだろ基地害? >>237
また恥も外聞もなくあらわれたのか基地害?
俺に指摘されるまで法住寺合戦で木曽義仲に円恵法親王が殺されたこと知らなかったんだろ基地害?
円恵法親王の存在自体を知らなかったんだろ基地害 >>237
また恥も外聞もなくあらわれたのか基地害?
俺に指摘されるまで法住寺合戦で木曽義仲に円恵法親王が殺されたこと知らなかったんだろ基地害?
俺に指摘されるまで円恵法親王の存在自体を知らなかったんだろ基地害
>鎌倉時代に殺された皇族って誰?
↑
だからこんな無知丸出しのレスができるもんな >>237
また恥も外聞もなくあらわれたのか基地害?
俺に指摘されるまで法住寺合戦で木曽義仲に円恵法親王が殺されたこと知らなかったんだろ基地害?
俺に指摘されるまで円恵法親王の存在自体を知らなかったんだろ基地害
>鎌倉時代に殺された皇族って誰?
↑
だからこんな無知丸出しのレスができるもんな >>237
また恥も外聞もなくあらわれたのか基地害?
俺に指摘されるまで法住寺合戦で木曽義仲に円恵法親王が殺されたこと知らなかったんだろ基地害?
俺に指摘されるまで円恵法親王の存在自体を知らなかったんだろ基地害
>鎌倉時代に殺された皇族って誰?
↑
だからこんな無知丸出しのレスができるもんな >>237
また恥も外聞もなくあらわれたのか基地害?
俺に指摘されるまで法住寺合戦で木曽義仲に円恵法親王が殺されたこと知らなかったんだろ基地害?
俺に指摘されるまで円恵法親王の存在自体を知らなかったんだろ基地害
>鎌倉時代に殺された皇族って誰?
↑
だからこんな無知丸出しのレスができるもんな基地害 >木曽義仲が殺した皇族って誰?
↑
この無知丸出しのレスだけで>>237の基地害が法住寺合戦で円恵法親王が木曽義仲の兵士に殺されたことを知らなかったと分かるわwwww
知らないのに知ったかぶりで質問するから俺に真実を指摘されて大恥をかいたわけだよ。 あとは人違いだったとか基地害が逃げ口上で言い訳してるけど関係ねえよ
木曽義仲側が法住寺合戦で円恵法親王を殺したのは動かしがたい事実だ
それを人違いだとか〜で逃れようとしてる基地害がいる
人違いだろうがなかろうが法住寺合戦で円恵法親王が殺されたのは歴史的事実だぞ基地害 >法住寺合戦連投キチガイ (238以降)
>堪え性無し復活キチガイ (237)
そこの2人、おまえらうざいから 自分らのブログで喧嘩しとれ。
2人ともどうせ在日朝鮮人やろ。 粘着性と他人の迷惑一切無視のところが
2人ともよう似とる。 仲良く死ねマジで。 >>235
後鳥羽としては宣旨に於いて義時個人を名指しにする事で揺さぶりをかけ、幕府の内部分裂を図ろうとしたらしいがね
政子らがこの戦争は逆心を起こした院に対して全国の武士団が頼朝公の恩に報いる為のもので、義時を守る事が武家を守る事に繋がると明示したのが効果絶大だった 後鳥羽は後白河に比べて知能が足りなかった。
もっといえば頼朝のカリスマ性をなめ切っていた。 日本史において、1200年代という大昔に、皇帝(院)の命令よりも演説が人を動かす原動力になったということは、もっと評価されていいと思う そしたら『ゴッドマーザー北条政子』のスレを立ててくれ
いい加減に天皇も恐れぬ北条義時の最狂をかたってくれ 朝廷と全面戦争した木曽義仲や北条義時に比べれば織田信長はニワカ厨房に持ち上げられてるだけのカス小物 >>248
>後鳥羽は後白河に比べて知能が足りなかった
日本史板でさんざん池沼・低能扱いされてきた後白河を誉めたレスは人生で初めて見たw
>>251
時代背景も政治状況も全く違う人物を較べてホルホルする北条ヲタってキモすぎw
おまえさんは「天皇を超越した唯一の日本人 北条義時」スレの方がよくね? >>253
政治家の評価は結果だからな
なんだかんだで生き残り、最後は頼朝を征夷大将軍にはしなかった後白河と、
軍事的に武家に完敗するという朝廷存続に関わる大失態を演じた後鳥羽では
後白河が上と評価せざるを得ないわ 後白河は今様狂いだが朝廷貴族としては普通だろ?
何を勘違いしたのか政治を手を染めた後鳥羽こそ無能だな 後白河は皮肉を込めて日本一の大天狗と呼称されたから
義経はとんでもない人を過信してしまった 個人的能力は歴代皇室の中でも最強だと思われるんだがな後鳥羽は
政治ってのはやはり単純ではない >>251
日本共産党は北条義時と木曽義仲を党父として讃えるべき。 >>254
結果論で言うなら、平氏政権や鎌倉政権を作っちまったのは後白河なんだけどなw
まさか、「征夷大将軍に任命してないから幕府ではない!(キリッ!)」の人ですか?
人格としては最低の後鳥羽を弁護するつもりはないが、 討幕計画を用意周到に練った後鳥羽
(詰めが甘々だったがw)
行き当たりばったりの後白河や 出たとこ勝負・あとは野となれ山となれの後醍醐では、
政治力に差があると思うね。 昭和時代は後白河が過大評価されるきらいがあり、実は自分も
その一人だったww
後鳥羽が院宣を過信しすぎたのが承久の乱の敗因だが、 それは現代的感覚の敗因分析で、
平安末期はやはりまだまだそういうものが絶対視される風潮があったんだろうと思う。
500年後の日本人が現代の我々に足して「なんで象徴天皇制にこだわってたのか、よくわからん」と
見るかもしれん。
鳥羽伏見戦での錦旗の効力やポツダム宣言受諾の裕仁のツルの一声も理解できるギリギリの世代である我々は
まだ「後鳥羽上皇の過信」を冷静分析できる最後の世代ではないか? 義時も勇猛果敢と思いきや落雷を祟りなんじゃないかと恐れ慄いた程だったらしいからな
そんな神性をも伴った権威にも果敢に立ち向かったからこそ立派なわけで ああ北条義時は陰陽師を重宝してたみたいだな。
また三島大社の信仰も厚かった。 >>251
もしかしたら鎌倉時代は朝廷なにするものぞ!という気風が武士の間では盛り上がってたのかもしれない。
その武士の朝廷への対抗精神が源頼朝に鎌倉幕府を誕生させる原動力となったんだろ。
もちろん火付け役は木曽義仲だが。
16世紀戦国時代あたりだと朝廷の権威なんか失墜しきってるから打倒すべき目標にすらならなかったんだろ 朝廷対武家で階級闘争的な視点で見られる事が多いから
実際に東国武士は東夷と呼ばれて犬の様に蔑まれていたから 鎌倉期は幕府が親王将軍を迎えたり協調しつつもジレンマを抱えたままだったからね 源氏による朝廷支配が完成するのは江戸時代からだから。 武家>朝廷を決着づけたのは明らかに義満だよ
以後の朝廷は完全に武家に養われる存在になり下がった
だいたい五摂家の人間が将軍から偏諱もらうありさまだからなw >>272
ただ完全に生殺与奪権を奪い取る支配下に置いたのは江戸幕府だけな。 いや、完全に生殺与奪権を奪い取る支配下に置いたのは室町幕府である。 室町幕府は同じ京都にいたこともあって、
公家衆も将軍家に伺候するぐらいだったからな スレチになるが、日本史上最強の謀将は足利義教。 最後は暗殺されたが、それが無ければ
北条義時を超えている。 暗殺されたから最強ではなくなった。
自分で認めるじゃないかw
謀においては徳川家康だろ? 大江広元・・・。 武士でなくていいんなら、藤原良房だな。 三浦義村、大江広元、そして実の親北条時政、最後は後鳥羽院、こういう海千山千の連中相手に勝ち抜いた義時こそ最強 >>285
そうだな
でも、それって後世からみた判断だからな
同時代の人間は2人が常に一体かどうかはわからなかった
和田は義村をあてにしてたし、後鳥羽院も義村はこっちにつくと確信してたようだしね
それに義村が寝首をかこうとしたことがなかったかどうかはわからないからねえ つーことは、北条義時さえ、手を付けることが出来なかった三浦義村こそ、北条義時を超える謀将に決定だなw
ウィキぺディアから引用↓
義村は京都の貴族の間にさえ「六権八略」の権謀家として知られていた。
『古今著聞集』には、将軍御所の侍の間の上座を占めていた義村のさらに上座に、
若い下総国の豪族・千葉胤綱が着座し、不快に思った義村が「下総の犬めは寝場所を知らぬな」とつぶやくと、
胤綱は「三浦の犬は友を食らうぞ」と切り返し、和田合戦での義村の裏切りを批判した逸話が記されている。 >>287
義村は義時の腹心だろw
ただ、同時代の周囲の人間はどうやらそうは思っていなかったというのが2人の恐るべき点でw
梶原景時弾劾以来、義村はほんと都合いい時に都合よく動いてるよね もともと三浦家と北条家は子どもを互いに送り合い対等な婚姻関係を結んだ緊密な同盟関係 >>289
そんなこと言ったら比企と北条も同じだぞ
当時の同格の豪族は互いに嫁のやり取りしあってたから大概が親戚の間柄だ
それだけじゃ決め手にはならんのよね 比企一族、畠山、稲毛一族、和田一族、みーんな北条家の親戚だなw 時政は特に政略結婚に積極的だったから
只、頼朝に関しては政略結婚というよりは政子にせがまれたかららしいがな >>292
そのほぼ唯一の例外が北条家を栄光の座へと押し上げたわけだから歴史ってのは面白いよね 和田合戦含めて三浦義村の去就が常に情勢の鍵を握っているから、伊賀宗光のクーデターでも義村を巻き込む計画だったらしいから、政子も何度も義村に警告して心中は不穏なままだっただろう >>294
あれ最後は政子が義村の館に乗り込んで直談判で説得してようやく収まったからな
あそこで引き下がったので義村は泰時政権下で別格の存在としてでかい顔ができた
義村らしい立ち回りとも言える 三浦義村つーと、大河「草燃ゆる」の藤岡弘の印象が強いな、史実はどうか知らんが、
ドラマでは親友であり、ライバルであり、同格の描き方してたな。承久の乱後、相手に猜疑心を抱きながら、
大人の対応で幕府のために手を握る、というラストだった。(互いに不敵な笑みを浮かべて酒を酌み交わす)
事実 その後の三浦氏は政権ナンバー2として北条に次ぐ勢威を誇るのだが、周知の通り北条時頼ー三浦泰村の代で滅亡。
善村の代はなんとか逃げ切った感があるね。 宝治合戦では、三浦方は温厚だけど優柔不断な泰村と血の気の高い光村で割れてたからな
北条方も時頼が穏健派なのに対して安達がかなり強硬的だった 比較的に短命だったが三浦一族を絶滅にした北条時頼もさすが梟雄の血を受け継いでた。 時宗も貞時も果断な処置に成功してる
特に貞時のは相当困難な上からのクーデターだったから見事だ
その貞時すら晩年はままならないようだったが
そして高時はうまくやれなかった
時勢なのか器量なのかはわからんけど 司馬一族も有能な人間多かったよね、初代皇帝の前までは
初代皇帝の後はカスの集まりになってしまったけどw 三浦一族を文字通り絶滅させちゃった北条時頼も恐ろしいね 大河ドラマでは比企能員の嫁ハンが「北条は蛇みたいな一族」とか言ってて、妙に頷いた記憶がある。
というわけで、懐かしいオープニング投下
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