つーことは、北条義時さえ、手を付けることが出来なかった三浦義村こそ、北条義時を超える謀将に決定だなw

ウィキぺディアから引用↓

義村は京都の貴族の間にさえ「六権八略」の権謀家として知られていた。
『古今著聞集』には、将軍御所の侍の間の上座を占めていた義村のさらに上座に、
若い下総国の豪族・千葉胤綱が着座し、不快に思った義村が「下総の犬めは寝場所を知らぬな」とつぶやくと、
胤綱は「三浦の犬は友を食らうぞ」と切り返し、和田合戦での義村の裏切りを批判した逸話が記されている。