日本史上最強の謀将は北条義時じゃないか? [無断転載禁止]©2ch.net
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朝廷殺しの北条義時も手を出しにくかった三浦一族を抹殺にした 後の伊勢宗瑞に滅ぼされたのも、この三浦の流れなのかな。 源頼朝=マムシ
北条義時=キングコブラ
毒の威力が違う どこが?
結局は源氏も北条義時に滅ぼされたわけで
なんつうか初代から8代目までの北条は向かうところ敵なしだった。 後鳥羽は実朝を手駒として扱おうとしていた目論見があったと言われているし、実朝の暗殺説はこれを根拠にしているのかな 少し修正。
平清盛=マムシ
源頼朝=キングコブラ
北条義時=オオアナコンダ
マムシの毒もコブラには通用せず。
コブラの毒もオオアナコンダには通用せず。 平清盛=ハブ
源頼朝=マムシ
北条義時=ヤマカガシ
毒の威力が違う
毒性が強ければ強いほど目立たなくなる 息子「たち」だな
政子、阿波局、義時、時房の悪の四天王はこの頃は一体だからな 阿波局は結城朝光に密告して、梶原景時追放のきっかけを作っているね 景時にしたら北条家なんて眼中になかったんだろうな
しかし、三浦義村が呼びかけた連判状に北条時政・義時の名前がないのが心憎いw >>332
梶原を始末したのは北条時政配下の駿河の武士団だからね
関与してはいないという体裁だったけど、秘密裏に動いていたんだろう
なんて手際が鮮やかなんだろう 北条家が一人勝ちした歴史の結果を知っている側からすると北条家が景時を倒したのは別に不思議でもなんでもないんだけど、
実際はこの時点では圧倒的に景時が強力だからな
・北条家は将軍頼家の外戚
・景時は、頼朝、頼家二代にわたる執事(No2)
・景時は、頼家の乳父
・景時は、侍所別当
これは相当差があるよね、客観的には .
朝廷貴族を蹴散らして太政大臣に上り詰めた平清盛の毒も源頼朝には通用せず
平家を皆殺しにした源頼朝の毒も北条得宗には通用せず
この北条得宗の無敵感といったら。 >>335
得宗家の最大の敵は寿命だろう。歴史上これだけ短命な一族も珍しい。
後漢王朝の帝王を見ているようだ。 鎌倉時代が北条時代に表記変更とか
ただ120年程度 今承久の乱について勉強している学生です。
後鳥羽上皇はなぜ公暁ではなく北条義時を追討しようとしたのですか?
そしてなぜ北条政子は義時の味方をしたのですか? >>338
公暁は個人的な逆恨みで将軍を殺害した僧侶だし、何の立場も権威も無いよ
後鳥羽は幕府の解体を目論んでいて、北条義時を名指しして追討の院宣を出したのは義時が幕府の事実上の主導者だったから
政子は弟の義時と協力し合って幕府を運営していたわけで 幕府の御家人からみて頼朝の妻だった政子は女帝のような圧倒的存在
北条のためではなくて夫が作った幕府を守るために行動する 頼家が跡目継いだ時は二十代の若僧の政治力でどうにかできるほど簡単な情勢ではないからな
荷が重すぎた
まあそう考えると、時頼、時宗、貞時と20代であれだけできたのは大した政治手腕だよな
まあ貞時さんも最後は力尽きてしまったようだが >>342
時頼や時宗本人の政治的才覚ももちろんあるが、
北条氏の分家たちが北条得宗家を守る盾になって、
藩屏の役割を果たしてくれたことが大きい
(名越などを除く)
頼家の場合、源氏の分家たちが藩屏となって頼家を守ってくれなかった
頼朝が弟の範頼、義経、甲斐源氏の安田や一条らを、
自分の脅威とみなして粛清しまくった反動が来たといえる 義経も安田義定も挑発的な行動をとっていたし、頼朝としては源氏一門が信じられなかったんでしょう
源氏とはそういう血筋 北条一族はなんだかんだでいざって時は結束するからね
それが強みだね
日本の場合大概の一族が落ちこぼれを生むもんだがここは名越でさえ裏切らなかった 権力闘争には強いんだが毛嫌いされてたのは金王朝に通じる 義時が策謀の人というのは承久の乱の時の泰時への指示を見てもかなり誤解があるな。 「草燃える」で松平健が演じた北条義時はゴッドファーザーのマイケルがモデルなのかな >>346
鎌倉幕府が僅か四十日余りで崩壊したのもそれだったのかも 高時は単なる暗愚ではなく病弱で虚無感を漂わせた人物という見方が定着しつつある 滅亡後は北条時行や残党が根強く蜂起し続けていたから支持基盤は強かったんじゃないか >>352
自民党を見てる気分だ
おそらく、あっという間に支持率急落で崩壊してしまうだろう 太平記でも徳が無くなった指導者は一瞬にして消えるとさ 義時最強だと思うがなぜあんなに強かったのか自分も謎に思ってる
母方の一族はいない
嫁の一族は自分で滅ぼしたりしてるし伊賀氏はそんなに強い印象はない
娘は公家に嫁がせてるし、要するに有力な婿はいない
つまり、時政にくらべて助けとなる武家が縁者にそれほどいない
でも何かあるとなんだかんだ御家人に守られていつも勝っている
そこが謀略力ということで天才扱いされるんだろうが
頼朝と一緒に旗揚げし頼朝の側近として活動してたことから
頼朝死後、個人的なカリスマ性があったんではないかと思っている 頼朝の後ろ盾や御台所の実家である事だけに依存する無力さや脆弱さを自覚していたからこそ配慮や根回しに事細かかったんだと思う
血気盛んな他の東国武士とは毛色が異なる >>359
母方の一族は三浦につながっているからな
おかげで盟友だかライバルだかよくわからない三浦義村という男との関係ができた 三浦氏なくして鎌倉幕府なしとは頼朝自身が認めている 三浦義村とは終始緊密な協調関係を保っていたけど、常に情勢を左右するキーマンであり続けたから付き合い方には頭を悩ませていたんじゃないか 実朝が宋にいくと言い出すってことは、将軍がいなくても義時がいれば
鎌倉が動くという状況になってたんだろうなその時点で >>364
たぶん、義澄
弟の時房が義連を烏帽子親としてるから
宗時ー杉本義宗
義時ー三浦義澄
時連ー三浦義連
という関係だと推測 どうみても黄金期は三浦義村だろ
義時死後も相当長生きして泰時に影響を及ぼし続けた
その反動が宝治合戦なわけで 伊賀宗光のクーデターに巻き込まれそうになって政子から睨まれていたけど、泰時政権下でも大きな顔ができたからね 細川重男の本を読んでるけど
どうも細川重男は北条義時=謀将説に対して、なんだか懐疑的な感じだね
時政に反抗したのを重要視してるのかもしれない 細川重男は北条愛が強すぎて、その分間引いて読む必要がある。 永井晋の鎌倉源氏三代なら読んでる
詳細且つ分かりやすい良書だった これ程までに優秀な家系ってないんじゃないか
源氏は割と問題児だらけだよね だが徳川15代に比べれば北条は粛清に明けくれて安定性に欠けていた。
もちろん足利15代や源3代に比べれば優秀だが >>381
徳川時代は戦国大名を経由して組織の時代が行きついた結果だからな
北条時代はまだ武士の草創期で個人の力量の時代
その時代を戦乱にしなかったこと自体が指導者の力量だろう 家康が源頼朝を敬愛して鎌倉幕府をプロトタイプとして参考にしていたから、叛乱分子を転封なり改易するなりして芽を摘む手法は似ているんじゃないか 北条は初代から8代目までが無敵。
9代目から狂い始めた 義時は頼朝の薫陶を受けた
泰時は頼朝と義時の薫陶をうけた
時頼は泰時の薫陶を受けた
時宗から先はオヤジが早く死に過ぎたな 北条貞時も自我に目覚めて獅子身中の虫の平頼綱を討ち取っているから、傀儡として終わらなかっただけ力量はあるんだろうな 貞時は誰の庇護も得られない状況で頼綱を討ち取ってんだぞ
力量は半端じゃないよ 高時はああ見えて大器晩成型だろう
早熟であったなら北条政権崩壊は防げたかもな やたら政子を持ち上げるけどウーマンリブなのか
義時の持ち駒の一つでしかないだろ こっちから攻めろと言ったのは義時じゃなくて政子と大江広元 姉弟仲良く協力し合ってるのが良い
頼朝の恩に報いるように鼓舞したのも感動的 政子は勘が鋭く腹が据わっている
義時は怜悧
いいコンビだったと思うよ >>357
日本で最初の易姓革命は継体天皇、もしくは蘇我馬子な。
まあ、理屈言うと、後鳥羽院→後高倉院は兄弟だから易姓と違うがな(馬子も)
山本七平みたいなアホが承久の乱持ち上げ杉で珍解釈が生まれた。 あくまでも迎撃戦
舐め腐った上皇に一発食らわせてやったまで 政子は持ち上げられすぎだよな
実際は義時の手駒だ
政子の動きで義時の損になるもの一個もない
義時の都合のいい時に出てきて必要ないときは出てこない
和田合戦の時の政子の空気ぶりわらえるw 阿野時元討伐やら禅暁の処刑やらの時の政子の空気ぶりもな 基本的に大事件は北条義時と三浦義村を軸に動いているよな 外交とか戦略とかインテリジェンスに関しては大江広元が頼朝の右腕だったからな
承久の乱や和田合戦でも幕府重鎮として重きを為している 平賀討伐も義時が一存で命令下してるな
その後の宇都宮でもめたとき義時亭におもむいてわびいれてるのわかる 政子が指示を出した事と言えば時政の専権に対抗するべく、北条義時と三浦義村を向かわせて源実朝を保護させた時かな 泰村の代で反得宗勢力に一転してしまったこと、泰村というよりは弟の光村が好戦的だったこと、安達の謀略、色々あるね >>404
将軍とくっつきすぎた
もっと得宗にしがみつくべきだった
安達みたいに
まあこれは三浦と安達との戦いだよ ありとあらゆる政敵を屠り、上皇や夷狄にも打ち勝った最強の氏族 弟の時房も執権泰時を補佐したので義時政子が亡くなっても幕府は強固だった 混乱に乗じて源範頼を失脚させた黒幕って北条時政だったの? 曽我兄弟の仇討ちの結果、伊豆の大豪族工藤祐経が討ち取られ、遠江に地盤がある範頼が粛清
結果、駿河を押さえていた時政の勢力が伊豆、遠江に拡大し、今の静岡県全域に広がった
時政の影が見え隠れするね 三浦や北条などの武士団を重んじる一方で、甲斐源氏や自分の兄弟たちを危険視する頼朝と、目の上のたん瘤の源氏の宿老を排除したい北条時政の利害は一致していたんだと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています