日本史上最強の謀将は北条義時じゃないか? [無断転載禁止]©2ch.net
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義時最強だと思うがなぜあんなに強かったのか自分も謎に思ってる
母方の一族はいない
嫁の一族は自分で滅ぼしたりしてるし伊賀氏はそんなに強い印象はない
娘は公家に嫁がせてるし、要するに有力な婿はいない
つまり、時政にくらべて助けとなる武家が縁者にそれほどいない
でも何かあるとなんだかんだ御家人に守られていつも勝っている
そこが謀略力ということで天才扱いされるんだろうが
頼朝と一緒に旗揚げし頼朝の側近として活動してたことから
頼朝死後、個人的なカリスマ性があったんではないかと思っている 頼朝の後ろ盾や御台所の実家である事だけに依存する無力さや脆弱さを自覚していたからこそ配慮や根回しに事細かかったんだと思う
血気盛んな他の東国武士とは毛色が異なる >>359
母方の一族は三浦につながっているからな
おかげで盟友だかライバルだかよくわからない三浦義村という男との関係ができた 三浦氏なくして鎌倉幕府なしとは頼朝自身が認めている 三浦義村とは終始緊密な協調関係を保っていたけど、常に情勢を左右するキーマンであり続けたから付き合い方には頭を悩ませていたんじゃないか 実朝が宋にいくと言い出すってことは、将軍がいなくても義時がいれば
鎌倉が動くという状況になってたんだろうなその時点で >>364
たぶん、義澄
弟の時房が義連を烏帽子親としてるから
宗時ー杉本義宗
義時ー三浦義澄
時連ー三浦義連
という関係だと推測 どうみても黄金期は三浦義村だろ
義時死後も相当長生きして泰時に影響を及ぼし続けた
その反動が宝治合戦なわけで 伊賀宗光のクーデターに巻き込まれそうになって政子から睨まれていたけど、泰時政権下でも大きな顔ができたからね 細川重男の本を読んでるけど
どうも細川重男は北条義時=謀将説に対して、なんだか懐疑的な感じだね
時政に反抗したのを重要視してるのかもしれない 細川重男は北条愛が強すぎて、その分間引いて読む必要がある。 永井晋の鎌倉源氏三代なら読んでる
詳細且つ分かりやすい良書だった これ程までに優秀な家系ってないんじゃないか
源氏は割と問題児だらけだよね だが徳川15代に比べれば北条は粛清に明けくれて安定性に欠けていた。
もちろん足利15代や源3代に比べれば優秀だが >>381
徳川時代は戦国大名を経由して組織の時代が行きついた結果だからな
北条時代はまだ武士の草創期で個人の力量の時代
その時代を戦乱にしなかったこと自体が指導者の力量だろう 家康が源頼朝を敬愛して鎌倉幕府をプロトタイプとして参考にしていたから、叛乱分子を転封なり改易するなりして芽を摘む手法は似ているんじゃないか 北条は初代から8代目までが無敵。
9代目から狂い始めた 義時は頼朝の薫陶を受けた
泰時は頼朝と義時の薫陶をうけた
時頼は泰時の薫陶を受けた
時宗から先はオヤジが早く死に過ぎたな 北条貞時も自我に目覚めて獅子身中の虫の平頼綱を討ち取っているから、傀儡として終わらなかっただけ力量はあるんだろうな 貞時は誰の庇護も得られない状況で頼綱を討ち取ってんだぞ
力量は半端じゃないよ 高時はああ見えて大器晩成型だろう
早熟であったなら北条政権崩壊は防げたかもな やたら政子を持ち上げるけどウーマンリブなのか
義時の持ち駒の一つでしかないだろ こっちから攻めろと言ったのは義時じゃなくて政子と大江広元 姉弟仲良く協力し合ってるのが良い
頼朝の恩に報いるように鼓舞したのも感動的 政子は勘が鋭く腹が据わっている
義時は怜悧
いいコンビだったと思うよ >>357
日本で最初の易姓革命は継体天皇、もしくは蘇我馬子な。
まあ、理屈言うと、後鳥羽院→後高倉院は兄弟だから易姓と違うがな(馬子も)
山本七平みたいなアホが承久の乱持ち上げ杉で珍解釈が生まれた。 あくまでも迎撃戦
舐め腐った上皇に一発食らわせてやったまで 政子は持ち上げられすぎだよな
実際は義時の手駒だ
政子の動きで義時の損になるもの一個もない
義時の都合のいい時に出てきて必要ないときは出てこない
和田合戦の時の政子の空気ぶりわらえるw 阿野時元討伐やら禅暁の処刑やらの時の政子の空気ぶりもな 基本的に大事件は北条義時と三浦義村を軸に動いているよな 外交とか戦略とかインテリジェンスに関しては大江広元が頼朝の右腕だったからな
承久の乱や和田合戦でも幕府重鎮として重きを為している 平賀討伐も義時が一存で命令下してるな
その後の宇都宮でもめたとき義時亭におもむいてわびいれてるのわかる 政子が指示を出した事と言えば時政の専権に対抗するべく、北条義時と三浦義村を向かわせて源実朝を保護させた時かな 泰村の代で反得宗勢力に一転してしまったこと、泰村というよりは弟の光村が好戦的だったこと、安達の謀略、色々あるね >>404
将軍とくっつきすぎた
もっと得宗にしがみつくべきだった
安達みたいに
まあこれは三浦と安達との戦いだよ ありとあらゆる政敵を屠り、上皇や夷狄にも打ち勝った最強の氏族 弟の時房も執権泰時を補佐したので義時政子が亡くなっても幕府は強固だった 混乱に乗じて源範頼を失脚させた黒幕って北条時政だったの? 曽我兄弟の仇討ちの結果、伊豆の大豪族工藤祐経が討ち取られ、遠江に地盤がある範頼が粛清
結果、駿河を押さえていた時政の勢力が伊豆、遠江に拡大し、今の静岡県全域に広がった
時政の影が見え隠れするね 三浦や北条などの武士団を重んじる一方で、甲斐源氏や自分の兄弟たちを危険視する頼朝と、目の上のたん瘤の源氏の宿老を排除したい北条時政の利害は一致していたんだと思う 頼家とその息子全員こいつが殺したよな
なのに誰も問題にせず自分はのんびり頼朝の墓の下で眠ってる
ある意味すごい 畠山重忠も冤罪で死に追いやってるからな
この件で相当な反感を買ったらしいが 清盛=信長
頼朝=秀吉
頼家=秀頼
時政=家康
義時=秀忠
こんな感じか? 清盛=信長=角栄
頼朝=秀吉=竹下
頼家=秀頼=小渕
時政=家康=小泉
義時=秀忠=安倍
400年周期 頼朝恩顧の御家人たちは源頼家よりも北条が推戴した実朝を選んだんでしょ
頼家側近たちと反目して、追い詰められた北条は三浦や和田に協力や賛同を求めた 畠山は源平合戦の折に三浦義明を討ち取ってるから、因縁めいたものはありそう 頼家の息子は全員殺したが娘は鎌倉殿のあとをつがせてる御台所として
もし比企氏の娘なら北条を敵とする娘を権力の座につけてるわけで
こういう大胆さが北条義時らしい 頼朝が亡くなったことで事態は逼迫したけれども、頼朝の権威と御台所の実家としての立場は活かしていたからな 政子=息子や孫を殺される
阿波局=息子を殺される
畠山妻=夫を殺される
平賀妻=夫を殺される
稲毛妻(死去)=夫を殺される
無事なのは足利ぐらいか
姉妹も大変だな 頼朝亡き後の混乱を収め、生き残る為には仕方なかったのでは
リーダーの鑑に見えるけど 和田義盛なんて頼家から北条討伐命令されたのに
無視して北条にたれ込んでたからな
比企討伐に加担してたから当然だが 和田とも当初は利害が一致していたんだよな。一方的に反目する諸侯を討ち平らげたのではなく、まだまだ力が弱かったから御家人の賛同あってのものだった 苦境に立たされて一旗揚げようと思ったのか、泉親衡の叛乱を裏で糸引いていたのは和田義盛と言われているね よっぽど頼家とバックの比企が嫌だったんだろなみんな
小笠原だって頼家に近い実直な武士って感じなのに見捨ててるし 今でも男の派閥って好き嫌いで決まって嫌いな奴とは
口も聞かないってある
昔だったら殺しあってもおかしくない >>435
平氏政権は清盛の晩年にすでにガタが来て諸国源氏が挙兵してたからだけど
(清盛は墓前に頼朝の首を備えよと言って死んだ by「平家物語」)
頼家の場合は鎌倉幕府にガタが来てたわけではないんだよね
その後も続いてるし 「吾妻鏡」には源頼家は典型的な馬鹿殿様に描かれている。
ここまでバカなら、降ろされても仕方ないと思えるような描写だ。
平宗盛は、平和な時代ならそれなりに有能な貴族として人生を全うしたと思う。 頼家は義時の妾に子供ができた時に祝いの品を送ってる
とわざわざ吾妻鑑が書いてたな
多分そこそこの仲だったと思う頼家と義時
比企が正室なのにそういう状況なわけでさ 比企氏征伐、源頼家の廃位・幽閉は、北条氏だけではなく、宿老の大江広元を
始め大半の御家人の支持のもと実行された。
つまり、頼家は北条氏の権力欲の犠牲になったのではなく、明らかに鎌倉殿と
して不適格で、御家人の総意によって排除されたということだ。
このころの北条氏は大多数の御家人と歩調を合わせており、突出して横暴なことは
していなかったように見える。 合議制の上に成り立ち、御家人同士の連帯を重んじていたからな
梶原景時の追放も北条時政や阿波局の工作活動があったにせよ、景時が孤立化しているという盲点を突いたものだった >>441
あの署名者の中に北条一門が1人も居ないのが心憎いよねw 比企能員も署名しているからな
頼家も自分が廃位の危機にあるという認識なんてなかったのでは >>443
あの連判状みて自分の危機だと思うような政治的才覚があったら、御家人の不満を招くことはなかったろうからね
頼家が認識することはなかったと思う
むしろ、ここで御家人のいうこと聞かないと自分の立場がやばくなると思っただろうね
んで、警戒すべき北条は署名してなく逆に比企が署名してんだから
比企も北条が主導してたら警戒したろうけど表で動いてるのは三浦や結城だから警戒せず署名したんだろな
いずれにしろ北条が何枚も上手なのがはっきりわかる あれ北条が署名してたら梶原の
これは千幡派の陰謀だ!
説が通った可能性もあるが北条がウチら知りませんが何か?
てやったから梶原反撃できずに負けちゃったんだよな
あの辺りはさすがに頭良すぎるだろおもた
で連判状の言い出しっぺが三浦義村と結城朝光って
ぜーったいに義時に相談してるだろ、てメンツなのがまたw 北条時政義時親子の謀略レベルはワールドクラスだよな
富士の巻き狩りの際の曽我兄弟騒動も多分間違いなく時政が糸引いてるよね 仇討ち自体は偶発的な事故にせよ、曽我兄弟の仇討ちに絡んで源範頼が幽閉されているね
源範頼とは利害が衝突しやすかったのでは もともと弱小武士団で苦労を知っていたからこそ、人に対する配慮に細かかったのでは
執権というポジション自体、意見を汲みやすい立場だから 時政はちょっと乱暴かな
比企能員をおびき出して謀殺したり畠山重保を三浦に襲撃させたり
いきなり武力発動させてやっつけるタイプで梶原に似てる
両者が御家人から追い出されたのもわかる
義時はそう言うやり方はしない
相手に攻撃させてしゃーねーなって返り討ちにする
仁田、和田、公暁、後鳥羽院みんなそうだ
突然襲撃するようなことしないんで安心感があるし義時時代は安定してる
逆らいさえしなければ安全だから
倒そうと挑み掛かると10倍返しくらうけど 時政は無謀にも平賀朝雅の擁立を企てたけれども、どういう心境だったんだろう 時政の後妻である牧の方は権力欲が強い人でむしろ夫を煽っていたようだ
娘婿の平賀朝雅が畠山重保と対立すると朝雅は牧の方を通じて重保を讒言する
時政にとっても畠山父子は邪魔な存在なので謀反の言いがかりをつけて滅ぼす
昔から政子は牧の方と仲が悪かったが妹婿の重保を殺したことで激怒した
政子と義時はこれ以上牧の方のやりたい放題にさせたら北条は孤立すると考えた 訂正
重保ではなくて重忠が妹婿だった
時政は高齢ということもあり状況判断が鈍っていたのだろう 我が子の政子と義時に刺されるとは思ってもいなかったんだろうな
特に義時とか、時政にも腹の中を見せなさそうだし >>451
権力欲って北条政子の発言力を見れば
あの時代は女が政治に口出しするのが普通だったのでは
北条政子・義時姉弟にとって牧の方は相いれない相手だったというだけで
それを言ったら政子も義時もかなり露骨な他氏排斥してるよ
それが成功したから持ち上げられているが >>454
戦国時代までは武家の嫁の発言権は強いからな
家の奥向きは嫁の管轄だし、正妻なら跡取り息子(実子でなくてもオッケー)に対する発言権がある でも政子も阿波局も息子を義時に殺されてるじゃん
実家drの発言権は弱そう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています