日本史上最強の謀将は北条義時じゃないか? [無断転載禁止]©2ch.net
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混乱に乗じて源範頼を失脚させた黒幕って北条時政だったの? 曽我兄弟の仇討ちの結果、伊豆の大豪族工藤祐経が討ち取られ、遠江に地盤がある範頼が粛清
結果、駿河を押さえていた時政の勢力が伊豆、遠江に拡大し、今の静岡県全域に広がった
時政の影が見え隠れするね 三浦や北条などの武士団を重んじる一方で、甲斐源氏や自分の兄弟たちを危険視する頼朝と、目の上のたん瘤の源氏の宿老を排除したい北条時政の利害は一致していたんだと思う 頼家とその息子全員こいつが殺したよな
なのに誰も問題にせず自分はのんびり頼朝の墓の下で眠ってる
ある意味すごい 畠山重忠も冤罪で死に追いやってるからな
この件で相当な反感を買ったらしいが 清盛=信長
頼朝=秀吉
頼家=秀頼
時政=家康
義時=秀忠
こんな感じか? 清盛=信長=角栄
頼朝=秀吉=竹下
頼家=秀頼=小渕
時政=家康=小泉
義時=秀忠=安倍
400年周期 頼朝恩顧の御家人たちは源頼家よりも北条が推戴した実朝を選んだんでしょ
頼家側近たちと反目して、追い詰められた北条は三浦や和田に協力や賛同を求めた 畠山は源平合戦の折に三浦義明を討ち取ってるから、因縁めいたものはありそう 頼家の息子は全員殺したが娘は鎌倉殿のあとをつがせてる御台所として
もし比企氏の娘なら北条を敵とする娘を権力の座につけてるわけで
こういう大胆さが北条義時らしい 頼朝が亡くなったことで事態は逼迫したけれども、頼朝の権威と御台所の実家としての立場は活かしていたからな 政子=息子や孫を殺される
阿波局=息子を殺される
畠山妻=夫を殺される
平賀妻=夫を殺される
稲毛妻(死去)=夫を殺される
無事なのは足利ぐらいか
姉妹も大変だな 頼朝亡き後の混乱を収め、生き残る為には仕方なかったのでは
リーダーの鑑に見えるけど 和田義盛なんて頼家から北条討伐命令されたのに
無視して北条にたれ込んでたからな
比企討伐に加担してたから当然だが 和田とも当初は利害が一致していたんだよな。一方的に反目する諸侯を討ち平らげたのではなく、まだまだ力が弱かったから御家人の賛同あってのものだった 苦境に立たされて一旗揚げようと思ったのか、泉親衡の叛乱を裏で糸引いていたのは和田義盛と言われているね よっぽど頼家とバックの比企が嫌だったんだろなみんな
小笠原だって頼家に近い実直な武士って感じなのに見捨ててるし 今でも男の派閥って好き嫌いで決まって嫌いな奴とは
口も聞かないってある
昔だったら殺しあってもおかしくない >>435
平氏政権は清盛の晩年にすでにガタが来て諸国源氏が挙兵してたからだけど
(清盛は墓前に頼朝の首を備えよと言って死んだ by「平家物語」)
頼家の場合は鎌倉幕府にガタが来てたわけではないんだよね
その後も続いてるし 「吾妻鏡」には源頼家は典型的な馬鹿殿様に描かれている。
ここまでバカなら、降ろされても仕方ないと思えるような描写だ。
平宗盛は、平和な時代ならそれなりに有能な貴族として人生を全うしたと思う。 頼家は義時の妾に子供ができた時に祝いの品を送ってる
とわざわざ吾妻鑑が書いてたな
多分そこそこの仲だったと思う頼家と義時
比企が正室なのにそういう状況なわけでさ 比企氏征伐、源頼家の廃位・幽閉は、北条氏だけではなく、宿老の大江広元を
始め大半の御家人の支持のもと実行された。
つまり、頼家は北条氏の権力欲の犠牲になったのではなく、明らかに鎌倉殿と
して不適格で、御家人の総意によって排除されたということだ。
このころの北条氏は大多数の御家人と歩調を合わせており、突出して横暴なことは
していなかったように見える。 合議制の上に成り立ち、御家人同士の連帯を重んじていたからな
梶原景時の追放も北条時政や阿波局の工作活動があったにせよ、景時が孤立化しているという盲点を突いたものだった >>441
あの署名者の中に北条一門が1人も居ないのが心憎いよねw 比企能員も署名しているからな
頼家も自分が廃位の危機にあるという認識なんてなかったのでは >>443
あの連判状みて自分の危機だと思うような政治的才覚があったら、御家人の不満を招くことはなかったろうからね
頼家が認識することはなかったと思う
むしろ、ここで御家人のいうこと聞かないと自分の立場がやばくなると思っただろうね
んで、警戒すべき北条は署名してなく逆に比企が署名してんだから
比企も北条が主導してたら警戒したろうけど表で動いてるのは三浦や結城だから警戒せず署名したんだろな
いずれにしろ北条が何枚も上手なのがはっきりわかる あれ北条が署名してたら梶原の
これは千幡派の陰謀だ!
説が通った可能性もあるが北条がウチら知りませんが何か?
てやったから梶原反撃できずに負けちゃったんだよな
あの辺りはさすがに頭良すぎるだろおもた
で連判状の言い出しっぺが三浦義村と結城朝光って
ぜーったいに義時に相談してるだろ、てメンツなのがまたw 北条時政義時親子の謀略レベルはワールドクラスだよな
富士の巻き狩りの際の曽我兄弟騒動も多分間違いなく時政が糸引いてるよね 仇討ち自体は偶発的な事故にせよ、曽我兄弟の仇討ちに絡んで源範頼が幽閉されているね
源範頼とは利害が衝突しやすかったのでは もともと弱小武士団で苦労を知っていたからこそ、人に対する配慮に細かかったのでは
執権というポジション自体、意見を汲みやすい立場だから 時政はちょっと乱暴かな
比企能員をおびき出して謀殺したり畠山重保を三浦に襲撃させたり
いきなり武力発動させてやっつけるタイプで梶原に似てる
両者が御家人から追い出されたのもわかる
義時はそう言うやり方はしない
相手に攻撃させてしゃーねーなって返り討ちにする
仁田、和田、公暁、後鳥羽院みんなそうだ
突然襲撃するようなことしないんで安心感があるし義時時代は安定してる
逆らいさえしなければ安全だから
倒そうと挑み掛かると10倍返しくらうけど 時政は無謀にも平賀朝雅の擁立を企てたけれども、どういう心境だったんだろう 時政の後妻である牧の方は権力欲が強い人でむしろ夫を煽っていたようだ
娘婿の平賀朝雅が畠山重保と対立すると朝雅は牧の方を通じて重保を讒言する
時政にとっても畠山父子は邪魔な存在なので謀反の言いがかりをつけて滅ぼす
昔から政子は牧の方と仲が悪かったが妹婿の重保を殺したことで激怒した
政子と義時はこれ以上牧の方のやりたい放題にさせたら北条は孤立すると考えた 訂正
重保ではなくて重忠が妹婿だった
時政は高齢ということもあり状況判断が鈍っていたのだろう 我が子の政子と義時に刺されるとは思ってもいなかったんだろうな
特に義時とか、時政にも腹の中を見せなさそうだし >>451
権力欲って北条政子の発言力を見れば
あの時代は女が政治に口出しするのが普通だったのでは
北条政子・義時姉弟にとって牧の方は相いれない相手だったというだけで
それを言ったら政子も義時もかなり露骨な他氏排斥してるよ
それが成功したから持ち上げられているが >>454
戦国時代までは武家の嫁の発言権は強いからな
家の奥向きは嫁の管轄だし、正妻なら跡取り息子(実子でなくてもオッケー)に対する発言権がある でも政子も阿波局も息子を義時に殺されてるじゃん
実家drの発言権は弱そう そんな猛女たちの中へ12歳で都から嫁に来た実朝の妻は相当なストレスだっただろうな 散るぞ悲しき〜辞世の唄
https://www.youtube.com/watch?v=_t675VZJgl4
歴史上の有名人の辞世の句に曲を付けたもの。
泣けるよ。凄く出来が良い。
人間やはり50年だなぁ〜。 義時と対峙して大人しく引っ込んだからな時政
家長の態度じゃない
義時が独立した力を持ってたんだろう 北条義時も政子も、時政を牽制する為にも必死に将軍実朝を守ろうとしていたからな 御家人たちとの連携を実際に担当していたのが義時だったんだろう
世代的にも時政は当時の主要御家人たちのひとつ上の世代だったしな
三浦義村、結城朝光という御馴染みの顔ぶれが出てきて実朝を義時邸に連れ去って行ったあたりそういうことなんだろう 時政と牧の方の実子である政範が生きていれば義時は幕府の執権になれなかっただろうか 政範に義時を上回る政治手腕がなけりゃ時政もろとも葬られる運命だったのでは?
義時死後の政村に近いポジションだろうね 義時は鎌倉にきて早々に時政から独立した動きしてた
亀の前事件の時一人だけ残ったみたいな
鎌倉にきて急速にでかくなったから時政でなく
義時に直に仕えたやつも多かったろう
だからオヤジに逆らう力もあった
時政に勝てるんだから政範がかなうわけない 義時は江間家の当主で時政から独立してたからな
もちろん無駄に親父に逆らったりはせず、時政の謀略に協力はしてたんだろけど
そして義時のことだから無駄に親父に意見したりはせず感情も見せなかったんだろうな
だから時政もつい油断してたんだろうな
時政は自分の力あってと思ってたろうけど、実は義時自身の力で、利害が一致していたから義時が時政に協力し、それが結果的に時政の果実になってるというケースが多かったんだろうね 時政は舅どのだったけど義時は伺候衆の一人で親衛隊長みたいだもんな
頼朝が義時は家子の専一とした文書あったけどあれどういう意味?
頼朝のひいきで義時は独自の力持ってた気がする >>468
ありがとう
いや結城と足利の格争いの中で出てきたからどういうポジ?とおもて
3家はどういう格関係になるの? >>469
頼朝の御家人は大きく分けて以下の3ランクに分けられる
@門葉(源氏一門)
A家子(頼朝親衛隊)
B侍(一般御家人)
足利家は@の門葉
結城家はAの家子
江間家(義時の家)はA家子の筆頭
で、結城と足利の喧嘩のとき、足利は一般御家人は家来筋だと言ったのに対して
結城はうちは家子だからてめえらと対等だと言い返した
これに対して幕府はうやむやの引き分けにしたんだけど、結城の言い分を否定していないからかなり地位が高かったことが伺われる
そして、義時が家子の専一だってことを示す文書を結城が出してきて、それを見て義時の子の重時は随分喜んだらしい ありがとう
門葉と家子の力関係がわからんがこういう場合は大抵Aが強い感じだな
梶原や和田はB?
義時がでかい顔するのも当然か 景時や義盛は家子じゃないけど大幹部だからね
信長軍団なら柴田とか羽柴とかのクラスでしょ
その中でも景時は政権No2だから執事や管領同然だったろうね
義時は親衛隊だから信長側近衆で堀秀政とかに相当するだろうね
堀とかは物凄い権限持っていて信長が生きてる時は秀吉とか贈り物とかしてペコペコしてた 頼朝死んで自分を守るものがいなくなったと見て
真っ先に梶原葬った義時はさすがだな
梶原からすれば頼家を脅かすものは千幡だけで北条さえ排除すれば
その脅威もなくなる
どっちが先に動くかというレベルだった いや、ほんと、景時排斥は凄い手腕だよね
もちろんあれ時政が命じたんだろうけど、実際に動いたの北条兄弟姉妹に三浦義村と結城朝光でしょ
御馴染みのメンツのデビュー戦だよなww
結局このメンツが動乱の鎌倉を生き抜いていくことになる 梶原追放は時政でなくて義時主導だろ
阿波局に三浦に結城ってどうみても義時人脈じゃん
それに理屈重視のスマートなやり方は義時ぽい
その後の梶原討伐は時政主導 怜悧さが光るからな
梶原景時追放にしても将軍実朝擁立にしても諸侯の合議の結果だから、決して独断専行に走る野蛮さはなかったと思う
寧ろ良き代弁者として慕われていたのでは 義時は和田義盛に対してもじっくりと相手の行動を伺っていたからね
和田家とは将軍擁立などで利害が一致することもあったけど、常に一定の距離をとっていたから 和田討伐で感心したのは胤長をまず標的にしてその館を抑えたこと
実朝が空気読めずに和田に渡したが義時が本気で怒って奪った
和田の先制攻撃を想定してた義時からしたらあんな目と鼻の先の
軍事拠点は許せんわな
逆に実朝の鈍さに驚くが軍人目線がないとそうなるか 和田義盛は自ら頼家廃位に加担したにも関わらず、頼家の遺児を擁立しようと陰謀を企てていた
泉親衡の叛乱の手引きも行なっている
義時よりも和田義盛の方が露骨な挑発を行なっている 泉親衡本人は合戦のどさくさに紛れて逃亡し行方不明それでも子孫は処罰されず
和田一族だけがほとんど滅亡したところを見ると親衡も義時と組んでいた可能性がある 三浦義村は和田義盛を裏切ったのではなく、最初から盟友の北条義時と通じていたと見る方が自然だからな
二重スパイだったのかも 義村は義盛がいたら三浦一門の本当の総帥にはなれないからな
目の上のたんこぶ
普段の義時との関係も含めたら間違いなく最初から義時側で、むしろ義盛の謀反の煽り役でしょ
義盛は義村を信用した段階で勝ち目なかったね 源実朝は貴族みたいな人だし、お飾りとして振舞っていた分、当たり障りのない人と見られていたんでしょ 和田合戦もよくわからんな
横山党が合流してから挙兵すればいいのになぜ一日早かったのか
義時側は受ける立場だったから先制攻撃の和田が有利で
横山党が合流してれば武力圧倒して一気に行けたはず
義時側は御家人を招集するから時間がかかる 横山党ってかなりの強勢だからな
この合戦では北条陣営も狼狽していた 義盛は短気だから翌日まで待っていられなかったのだろう
味方に付くと目論んだ同族の三浦が逆に北条側に付くとも考えなかった 強襲をかけて将軍を拉致しようとでも考えていたのかな
先に大江広元が将軍御教書を発行して北条方を鼓舞しているけど 和田の強力な武力を知ってるのにそれとガチンコでいった
義時は相当度胸がいいぜ
どーも結果知ってる連中がそれを過小評価しがちだが
わざと和田を挑発して滅亡に追い込んだとかさ
実際は三浦がほんとに北条につくかわからんし
御家人がどの程度駆けつけるかもわからん
相当危なくて実際義時も危険にさらされた
和田討伐後に義時が鎌倉で圧倒的存在になったのも当然だろう
御家人はよく見てるから 荒々しい和田一族が御所に押しかけてずらーっと並ぶだけで
相当な威圧感だろうにその面前で胤長縛り上げるとかさ
はあ?お前幕府を脅迫する気か?いくら鎌倉最大の武力誇示しても
絶対許さんからな!て態度だ
大江や三善やらの公家には絶対無理
鎌倉を支配するのは武士でないとてのがよくわかる その通り
知略謀略だけでトップにはなれんわな
いざって時はどんな危険な相手にも立ち向かう度胸と胆力がないといけない
トップに立った者はみんなそこをクリアしてんだよね
頼朝だって100人足らずの兵力で旗揚げしたことから始まっているからねえ 泰時の父親らしく優しい感じだけどね義時は
穏便だと頼朝に言われたようにさ
御家人が困っては義時に泣きついて義時がその面倒よく見てる
激しい政子と合うのもわかるし公家と気があうのもわかる
だけど胆力は凄いと思うよ政子なみ
知力胆力そんで優しさと兼ね備えてる
伊豆の普通の武士が天下人になるのもっとも 義時は源頼朝と同様に東国武士団の本音と建前、利害でどう動くかを心得ていた
相手の目線に立って考えられる物腰の柔らかさがあった >>493
そうか?
治天の君・後鳥羽上皇に義時追討令を出されても
それなら治天の君を討ってしまえばいいという獰猛さ
父の頼政や姉の政子の存命中には同族の年配者に配慮して
おとなしくしてる部分はあっただろうが頼政に似てるけどな 承久の乱では義時はかなり怯えていた
勇気を振り絞っての決意だった 義時は強引な手段や道理に反することは決してしなかった
畠山重忠を一方的に殺した時政を激しく非難している >>496
怯えていたら東国武士が付いてこないだろうw
たとえ朝敵になっても獰猛な義時についていけば
必ず勝てると御家人が確信したからこそ
皆従ったんだろうに 追討令出されて受けて立つ首謀者に責任取らせるのは
獰猛さでなくて普通の対応だろw
だから公家でさえ悪いのは後鳥羽院だって言ってるわけで >>499
公家のは後鳥羽院が負けたから言ってるだけだろ
戦に勝ったほうがどんな時代にも正義になる 平清盛=マムシ
源頼朝=ハブ
北条義時=キングコブラ
毒の威力で分けるとこうなる >>498
義時に足りんところは政子が補うんだよ
政子の感性と言葉が大局を決めた
大局が決まったら怜悧な義時がきっちり実行するんだよ 大相撲で言えば。
平清盛=関脇
源頼朝=大関
北条義時=横綱 >>502
政子が出陣するわけでなし
義政が負けそうなら付いてこない 怯えるなんて誰でもある
今だって庭先に落雷起きたらびっくりするよw
あの時代だったらなんか不吉かもー思ってもおかしくない
>>500
もっともな処置だったから言ってるんだよ
公家なんて口だけはぐちぐちいう天才だからw
なんせ多くの公家がやめとけ言ったのを後鳥羽院と側近が暴走したんだから
厳しい評価になるの当たり前 防衛戦争としての大義名分があったから
上皇の権威が果たしてどれ程のものかは分からないけど、そんな得体の知れないものよりも自分たちの生存保障してくれる義時を選ぶだろ 幕府側の情報収集能力が高かったのと、戦争はスピードが命だから一気に京都まで攻め込んだのが功を奏した 雷に怯える風でいて泰時には勝たずに足柄箱根を越えるなといい
朝時には先を急がずに反幕勢力を山狩りしてでも潰せ
と指示をだしてたな
東海東山だけで勝てると踏んでたな
さすがだぜ 後鳥羽なんて狂人みたいな人で武士を犬のように蔑んでいたから、武士が本当の意味で自由を勝ち取った戦いだった 散るぞ悲しき〜辞世の唄
有名な辞世の句に曲を付けた名曲。
ドラマチックなラストが圧巻。↓
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