日本史上最強の謀将は北条義時じゃないか? [無断転載禁止]©2ch.net
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>>451
権力欲って北条政子の発言力を見れば
あの時代は女が政治に口出しするのが普通だったのでは
北条政子・義時姉弟にとって牧の方は相いれない相手だったというだけで
それを言ったら政子も義時もかなり露骨な他氏排斥してるよ
それが成功したから持ち上げられているが >>454
戦国時代までは武家の嫁の発言権は強いからな
家の奥向きは嫁の管轄だし、正妻なら跡取り息子(実子でなくてもオッケー)に対する発言権がある でも政子も阿波局も息子を義時に殺されてるじゃん
実家drの発言権は弱そう そんな猛女たちの中へ12歳で都から嫁に来た実朝の妻は相当なストレスだっただろうな 散るぞ悲しき〜辞世の唄
https://www.youtube.com/watch?v=_t675VZJgl4
歴史上の有名人の辞世の句に曲を付けたもの。
泣けるよ。凄く出来が良い。
人間やはり50年だなぁ〜。 義時と対峙して大人しく引っ込んだからな時政
家長の態度じゃない
義時が独立した力を持ってたんだろう 北条義時も政子も、時政を牽制する為にも必死に将軍実朝を守ろうとしていたからな 御家人たちとの連携を実際に担当していたのが義時だったんだろう
世代的にも時政は当時の主要御家人たちのひとつ上の世代だったしな
三浦義村、結城朝光という御馴染みの顔ぶれが出てきて実朝を義時邸に連れ去って行ったあたりそういうことなんだろう 時政と牧の方の実子である政範が生きていれば義時は幕府の執権になれなかっただろうか 政範に義時を上回る政治手腕がなけりゃ時政もろとも葬られる運命だったのでは?
義時死後の政村に近いポジションだろうね 義時は鎌倉にきて早々に時政から独立した動きしてた
亀の前事件の時一人だけ残ったみたいな
鎌倉にきて急速にでかくなったから時政でなく
義時に直に仕えたやつも多かったろう
だからオヤジに逆らう力もあった
時政に勝てるんだから政範がかなうわけない 義時は江間家の当主で時政から独立してたからな
もちろん無駄に親父に逆らったりはせず、時政の謀略に協力はしてたんだろけど
そして義時のことだから無駄に親父に意見したりはせず感情も見せなかったんだろうな
だから時政もつい油断してたんだろうな
時政は自分の力あってと思ってたろうけど、実は義時自身の力で、利害が一致していたから義時が時政に協力し、それが結果的に時政の果実になってるというケースが多かったんだろうね 時政は舅どのだったけど義時は伺候衆の一人で親衛隊長みたいだもんな
頼朝が義時は家子の専一とした文書あったけどあれどういう意味?
頼朝のひいきで義時は独自の力持ってた気がする >>468
ありがとう
いや結城と足利の格争いの中で出てきたからどういうポジ?とおもて
3家はどういう格関係になるの? >>469
頼朝の御家人は大きく分けて以下の3ランクに分けられる
@門葉(源氏一門)
A家子(頼朝親衛隊)
B侍(一般御家人)
足利家は@の門葉
結城家はAの家子
江間家(義時の家)はA家子の筆頭
で、結城と足利の喧嘩のとき、足利は一般御家人は家来筋だと言ったのに対して
結城はうちは家子だからてめえらと対等だと言い返した
これに対して幕府はうやむやの引き分けにしたんだけど、結城の言い分を否定していないからかなり地位が高かったことが伺われる
そして、義時が家子の専一だってことを示す文書を結城が出してきて、それを見て義時の子の重時は随分喜んだらしい ありがとう
門葉と家子の力関係がわからんがこういう場合は大抵Aが強い感じだな
梶原や和田はB?
義時がでかい顔するのも当然か 景時や義盛は家子じゃないけど大幹部だからね
信長軍団なら柴田とか羽柴とかのクラスでしょ
その中でも景時は政権No2だから執事や管領同然だったろうね
義時は親衛隊だから信長側近衆で堀秀政とかに相当するだろうね
堀とかは物凄い権限持っていて信長が生きてる時は秀吉とか贈り物とかしてペコペコしてた 頼朝死んで自分を守るものがいなくなったと見て
真っ先に梶原葬った義時はさすがだな
梶原からすれば頼家を脅かすものは千幡だけで北条さえ排除すれば
その脅威もなくなる
どっちが先に動くかというレベルだった いや、ほんと、景時排斥は凄い手腕だよね
もちろんあれ時政が命じたんだろうけど、実際に動いたの北条兄弟姉妹に三浦義村と結城朝光でしょ
御馴染みのメンツのデビュー戦だよなww
結局このメンツが動乱の鎌倉を生き抜いていくことになる 梶原追放は時政でなくて義時主導だろ
阿波局に三浦に結城ってどうみても義時人脈じゃん
それに理屈重視のスマートなやり方は義時ぽい
その後の梶原討伐は時政主導 怜悧さが光るからな
梶原景時追放にしても将軍実朝擁立にしても諸侯の合議の結果だから、決して独断専行に走る野蛮さはなかったと思う
寧ろ良き代弁者として慕われていたのでは 義時は和田義盛に対してもじっくりと相手の行動を伺っていたからね
和田家とは将軍擁立などで利害が一致することもあったけど、常に一定の距離をとっていたから 和田討伐で感心したのは胤長をまず標的にしてその館を抑えたこと
実朝が空気読めずに和田に渡したが義時が本気で怒って奪った
和田の先制攻撃を想定してた義時からしたらあんな目と鼻の先の
軍事拠点は許せんわな
逆に実朝の鈍さに驚くが軍人目線がないとそうなるか 和田義盛は自ら頼家廃位に加担したにも関わらず、頼家の遺児を擁立しようと陰謀を企てていた
泉親衡の叛乱の手引きも行なっている
義時よりも和田義盛の方が露骨な挑発を行なっている 泉親衡本人は合戦のどさくさに紛れて逃亡し行方不明それでも子孫は処罰されず
和田一族だけがほとんど滅亡したところを見ると親衡も義時と組んでいた可能性がある 三浦義村は和田義盛を裏切ったのではなく、最初から盟友の北条義時と通じていたと見る方が自然だからな
二重スパイだったのかも 義村は義盛がいたら三浦一門の本当の総帥にはなれないからな
目の上のたんこぶ
普段の義時との関係も含めたら間違いなく最初から義時側で、むしろ義盛の謀反の煽り役でしょ
義盛は義村を信用した段階で勝ち目なかったね 源実朝は貴族みたいな人だし、お飾りとして振舞っていた分、当たり障りのない人と見られていたんでしょ 和田合戦もよくわからんな
横山党が合流してから挙兵すればいいのになぜ一日早かったのか
義時側は受ける立場だったから先制攻撃の和田が有利で
横山党が合流してれば武力圧倒して一気に行けたはず
義時側は御家人を招集するから時間がかかる 横山党ってかなりの強勢だからな
この合戦では北条陣営も狼狽していた 義盛は短気だから翌日まで待っていられなかったのだろう
味方に付くと目論んだ同族の三浦が逆に北条側に付くとも考えなかった 強襲をかけて将軍を拉致しようとでも考えていたのかな
先に大江広元が将軍御教書を発行して北条方を鼓舞しているけど 和田の強力な武力を知ってるのにそれとガチンコでいった
義時は相当度胸がいいぜ
どーも結果知ってる連中がそれを過小評価しがちだが
わざと和田を挑発して滅亡に追い込んだとかさ
実際は三浦がほんとに北条につくかわからんし
御家人がどの程度駆けつけるかもわからん
相当危なくて実際義時も危険にさらされた
和田討伐後に義時が鎌倉で圧倒的存在になったのも当然だろう
御家人はよく見てるから 荒々しい和田一族が御所に押しかけてずらーっと並ぶだけで
相当な威圧感だろうにその面前で胤長縛り上げるとかさ
はあ?お前幕府を脅迫する気か?いくら鎌倉最大の武力誇示しても
絶対許さんからな!て態度だ
大江や三善やらの公家には絶対無理
鎌倉を支配するのは武士でないとてのがよくわかる その通り
知略謀略だけでトップにはなれんわな
いざって時はどんな危険な相手にも立ち向かう度胸と胆力がないといけない
トップに立った者はみんなそこをクリアしてんだよね
頼朝だって100人足らずの兵力で旗揚げしたことから始まっているからねえ 泰時の父親らしく優しい感じだけどね義時は
穏便だと頼朝に言われたようにさ
御家人が困っては義時に泣きついて義時がその面倒よく見てる
激しい政子と合うのもわかるし公家と気があうのもわかる
だけど胆力は凄いと思うよ政子なみ
知力胆力そんで優しさと兼ね備えてる
伊豆の普通の武士が天下人になるのもっとも 義時は源頼朝と同様に東国武士団の本音と建前、利害でどう動くかを心得ていた
相手の目線に立って考えられる物腰の柔らかさがあった >>493
そうか?
治天の君・後鳥羽上皇に義時追討令を出されても
それなら治天の君を討ってしまえばいいという獰猛さ
父の頼政や姉の政子の存命中には同族の年配者に配慮して
おとなしくしてる部分はあっただろうが頼政に似てるけどな 承久の乱では義時はかなり怯えていた
勇気を振り絞っての決意だった 義時は強引な手段や道理に反することは決してしなかった
畠山重忠を一方的に殺した時政を激しく非難している >>496
怯えていたら東国武士が付いてこないだろうw
たとえ朝敵になっても獰猛な義時についていけば
必ず勝てると御家人が確信したからこそ
皆従ったんだろうに 追討令出されて受けて立つ首謀者に責任取らせるのは
獰猛さでなくて普通の対応だろw
だから公家でさえ悪いのは後鳥羽院だって言ってるわけで >>499
公家のは後鳥羽院が負けたから言ってるだけだろ
戦に勝ったほうがどんな時代にも正義になる 平清盛=マムシ
源頼朝=ハブ
北条義時=キングコブラ
毒の威力で分けるとこうなる >>498
義時に足りんところは政子が補うんだよ
政子の感性と言葉が大局を決めた
大局が決まったら怜悧な義時がきっちり実行するんだよ 大相撲で言えば。
平清盛=関脇
源頼朝=大関
北条義時=横綱 >>502
政子が出陣するわけでなし
義政が負けそうなら付いてこない 怯えるなんて誰でもある
今だって庭先に落雷起きたらびっくりするよw
あの時代だったらなんか不吉かもー思ってもおかしくない
>>500
もっともな処置だったから言ってるんだよ
公家なんて口だけはぐちぐちいう天才だからw
なんせ多くの公家がやめとけ言ったのを後鳥羽院と側近が暴走したんだから
厳しい評価になるの当たり前 防衛戦争としての大義名分があったから
上皇の権威が果たしてどれ程のものかは分からないけど、そんな得体の知れないものよりも自分たちの生存保障してくれる義時を選ぶだろ 幕府側の情報収集能力が高かったのと、戦争はスピードが命だから一気に京都まで攻め込んだのが功を奏した 雷に怯える風でいて泰時には勝たずに足柄箱根を越えるなといい
朝時には先を急がずに反幕勢力を山狩りしてでも潰せ
と指示をだしてたな
東海東山だけで勝てると踏んでたな
さすがだぜ 後鳥羽なんて狂人みたいな人で武士を犬のように蔑んでいたから、武士が本当の意味で自由を勝ち取った戦いだった 散るぞ悲しき〜辞世の唄
有名な辞世の句に曲を付けた名曲。
ドラマチックなラストが圧巻。↓
https://www.youtube.com/watch?v=_t675VZJgl4 >>507
朝廷の近臣だった三浦胤義は兄の義村に決起を促す使者を送ったが義村は即座に義時に知らせた
義時と義村の絆は終生固く変わらなかった
実朝暗殺も義村本人は事件に加担していなかったと思う 北条義時と父の時政には得体の知れない不気味さがある >>505
公家って誰?
「愚管抄」の慈円ぐらいだろ?
慈円は承久の乱の前、九条家を外戚とする仲恭天皇の即位に満足していた
藤原摂関家は何度も一族の娘を后に立てるが皇子出産を見ることができず
藤原摂関家を外戚とする天皇は後冷泉天皇以来だった
鎌倉幕府次期将軍の三寅も九条家出身であり
九条家は天皇家と鎌倉幕府を両方支配することができる目論見であった
しかし後鳥羽上皇が承久の乱を起こしたせいで仲恭天皇は退位させられすべてがパア
九条家にすべて任せておいてくれれば上手く朝廷も鎌倉幕府を操作してやったのに…と言わんばかり >>512
実朝殺害は結局は公暁の私怨か
実朝が親京都派で後鳥羽にコントロールされているのではという危惧もあったらしいが、そうとも言い切れないらしいな 政子は何故京都にいた公暁を鎌倉に呼び戻したのだろう
公暁こそ朝廷とつながっていて父を殺したのは実朝だと聞かされていたかもしれないのに
実朝に子供ができないから公暁を還俗させて実朝の養子にするつもりだったのだろうか? 義時が妻の伊賀の方に毒殺されたというのは本当なのか? >>516
鶴岡八幡宮は源氏の守り神だから公暁をそこの別当にするため…というのは建前で
京都で反北条派に担がれでもしたらかなわないので目の届くところに置きたかったのでは
公暁を将軍にしたかったのならば本人もそれを望んでいただろうし
実朝の養子にして還俗させればよかったわけでそうしただろう
政子にその気はなかったから後鳥羽上皇の皇子を鎌倉へ貰おうとし
断られたので九条家から摂家将軍を貰ってきてた 実朝と共に切られた源仲章は義時と間違えられたと言われていた
色々な説があり公暁は最初から仲章だと知っていたという説
仲章は朝廷と通じて実朝の官位昇進を支援していたから幕府にとって危険だったという説もある 従来は実朝暗殺について、公暁の背後に有力者がいて、その有力者にそそのかされた
という学説が主流だった。
だが、今日では、公暁の単独犯行と考えるようになってきているのではないか?
公暁は父・頼家にとって代わった実朝と、その後見人であった義時を恨むようになり、
実朝と義時を暗殺しようとした。だが、間違って源仲章を殺害してしまった。 公暁は参籠するも、一向に髪を下さなかったから怪しまれてはいそうだけどね
不幸な事故だったことは間違いない 朝廷の権威を完全に無効化した北条義時こそ人類最強! 後鳥羽上皇は源頼朝と北条時政の両巨頭が消えた鎌倉幕府なんて軽く捻り潰せると思っていて
鎌倉幕府に宣戦布告したら北条義時が頼朝や時政より大化け物だった >>527
政子もおるしな
この2人が死ぬまで待つべきだったな 基本朝廷を奉る泰時だって後鳥羽の帰京を最後まで許さなかったくらいだしやる時はやる男だしな
義時政子がくたばったところで付け入る隙はないな 後鳥羽としては傲慢にも自分の鶴の一声で何とかなると思ったんだろう
頼朝は既に亡くなってはいたが、頼朝に対する忠義は武士たちの中で生き続けていた 日本史の4傑
平清盛 足利義満 織田信長 大久保利通 by週刊東洋経済 今週号
所詮 北条義時はマイナー政治家に過ぎない 頼朝の持っていたカリスマ性を唯一継承できたのが源氏ではなく、北条義時だった >>535
カリスマや権威に依らず、実務能力と謀略で政権獲ったのが義時だろが。
そんで、子孫や側近たちが義時を武内宿祢の生まれ変わりとか都市伝説を吹聴しだした。 謀略家とは言われてはいるが、協調や道理は弁えていたからね
和田合戦も自衛戦争に過ぎなかったし >>530
後鳥羽上皇は四条天皇の代に死んでるからな
承久の乱後、幕府は後鳥羽上皇の血をひかない後堀河天皇(後鳥羽の兄の子)を即位させ
後堀河、四条と続いた
後鳥羽上皇は自分の子孫を皇統から外され帰京の願いも叶わず絶望の中で死んだ
しかし、後鳥羽の死後、四条天皇は12歳で事故死、皇統が絶えた
そこで後鳥羽上皇の孫・後嵯峨天皇が即位、この系統が現在の天皇家まで続く
後鳥羽上皇も自分の孫が即位するまで生きていたら帰京の願いも叶ったかもね >>532
確かに。だが、時政・義時父子は貴種の頼朝を「奇貨おくべし」と草創期からサポートし、
一族の運命をかけて育ててきたことは、単発の偉人とは違う、(関東)武士の本懐を感じる。
この一族は鎌倉時代150年の間、他の有力御家人や同じ一族間で権力闘争を繰り返してきただろ?
で、鎌倉政権は滅亡直前まで、盤石な政権だった。たいしたもんだと思うぞ。 >>540
北条父子が頼朝と緊密になったのは政子が流人の頼朝と駆け落ち結婚してからだろ
このとき政子は18歳だが頼朝は30近い
政子の弟である義時はまだ相当若く頼朝を育てたというのはなんか違う 義時には兄がいただろ?たしか、石橋山合戦で討たれたと思うが・・・。
北条にとっては痛手だった。義時は若かったから、頼朝に近習し、学んだほうかもしれんな。 帝王学みたいなものは学んでたんじゃないか?
元が平家方で目を付けられていた畠山と比べて、北条、三浦は旗揚げよりも前から頼朝を支え続けてきた功績があって、宿老同士行動を共にしてきた いいそびれた。ボクの歴史観は「歴史を動かすのはその時代の社会」だと思っている。
偉人は偉大だと思うが、その偉人がいなくても別のヒトが似たような歴史を作ると思っている。
鎌倉時代は武士の時代。大げさに言えば関東御家人の時代だ。で、社会は荘園、国衙領で構成されており、
そこへ武士が守護・地頭として入り込むが、在地支配は従来の下司、公文、郡司、在庁官人でこれもまた武士だ。
全国挙げて在地支配(=徴税権支配)の権力闘争をしている。朝廷vs鎌倉幕府、公家(国司)・大寺院vs守護(武士)、
地頭vs下司等々。そういう社会の中で、北条一族はのし上がっていったというふうに考えている。
だから、得宗が現れ、得宗御内人が権力を持ち大規模組織になっていったわけだ。逆に負け組みもいて、これは現代に通じるものがある。
ちょっと、おしゃべりだったな。 >>544
歴史観はその通りだと思うが、
東国の場合は下司や在庁官人も地頭を兼ねたり御家人を兼ねる場合が多かった >>544
最初の2行には少し異論があるが、3行目以降は歴史認識(歴史観でなくファクトの理解)としては、
自分も同意だね。
鎌倉政権の登場は歴史的偶然でもないし、「幕府」は突然変異ではない。 荘園公領制の上に乗っかってる政権という意味では
院政がそのルーツであり、 奥州藤原政権や平氏政権の発展系であることは論を待たない。
鎌倉「幕府」は歴史の流れに沿った、遅かれ早かれ出現する「時代の産物」だったろう。
しかし、治承寿永の内乱 頼朝という天才政治家 高い政治能力を持つ歴代北条当主
という偶然的要素を「時代転換」の片方の要員という視点は かーなーり重要と思うぞ。
>その偉人がいなくても別のヒトが似たような歴史を作ると
中国史や日本の戦後史はそうだとは思う。 信長・秀吉が居なくてもいつかは誰かが天下を統一したろうが、
それが近世社会とは限らない。 薩長が居なくても徳川慶喜がある程度の近代化は出来たかもしれない。
しかし、多分その結果、 現在とはかーなーり、似てない社会になてたのではあるまいか? んで
「平清盛が源頼朝と義経を子供のうちに殺害していたら 」スレをageてみました。
どんな時代が来たんでしょうねえ。 未曾有の変革期だったからね
鎌倉方に対して平家の立ち位置ってどうだったんだろう
畿内惣官職を以って、十分に幕府的な機構だったとする見方もあるらしいけど そうなんだよな。150年続いた鎌倉時代。もうちょっとテレビドラマ化して欲しいよな。
たとえば、人気長寿番組(時代劇)は、水戸黄門、大岡越前、銭形平次。皆江戸時代それも後期。
水戸黄門なんか時頼の廻国伝説がルーツだろ。似たようなものは作れると思う。
大岡越前張りの「鎌倉執権日記」とか、「得宗御内人検断控え」とか(笑)もあり。
吾妻鏡があるんだから脚本書きも楽だと思うよ。 はい。
「なぜ鎌倉時代室町時代は地味で人気がないのか」スレもageときました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています