日本史上最強の謀将は北条義時じゃないか? [無断転載禁止]©2ch.net
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つまり北畠親房だったかが
頼朝がなく泰時もいなかったら日本国はどうなってたか
と言ったのは正しい認識だと思う 頼朝の存命中はまだ不完全だった武家の在り方や規範を完成させた
法制度的には御成敗式目とかかな コネとカネ、ノミナリズムで動く朝廷の倫理は大陸や半島文化的な感じ
関東の鎌倉政権は信賞必罰、法治主義、リアリズムが特徴
この二つがぶつかり合ったのが承久の乱
コネで地頭解任要求の朝廷側vs法治主義ではねつけた鎌倉
武家政権が勝利をおさめて日本は大陸半島とは違う道を歩み始める図式 本当の意味での日本らしさというものが生まれたのがこの頃だからね
他のアジアには武家に相当するものが無いからな >>562
頼家の体たらくを見る限り、まともに牽引できるのが北条家しかいなかったからな。
北条を後見とした実朝の治世は望まれたものだった。
只、時流を見極められた三浦義村と異なり、和田義盛は次第に個人的な野望が芽生え始めたんだと思う。 義村の義時に対する忠臣によって三浦は御家人の勝ち抜きトーナメントに生き残った
しかし義村の死後は子の光村(駒若丸)が野望を抱き滅亡への道を進むことになった 怜悧にして勇敢さを持ち合わせた理想的な人物に見えるけどな 政子が頼朝の嫁になって権力握ったのに
比企に苦労してたのに
実朝の外戚になろうとしないあたりが面白い
どころか息子を誰も将軍に近づけてない
将軍から独立してる
やっぱ面白いわ義時って人物 逆に義時の息子の名越朝時が実朝の怒りを被って、駿河で蟄居を命じられている 傀儡将軍みたいに見られることもあるけど、協議のもとで擁立された将軍だから、義時としては公正さを見せたかったんだと思う
後見人として必死に守ろうとしていた >>572
実朝の正室選びについては北条がわざと外戚にならなかったわけではない
頼家暗殺が朝廷にばれるとまずいので政子・義時は必死だったんだよ
鎌倉は朝廷には頼家は病死と報告していた
しかし慈円が「ふぐり(金玉)取りて」惨殺したと
日記に記しており、北条による暗殺は朝廷にも伝わっていた
頼家暗殺が北条の手によるものと後鳥羽上皇の口から大々的に発表されると
御家人たちもどう出るかわからなかったからね
政子・義時は頼家暗殺を公にしないために後鳥羽上皇の機嫌を取ることにし
後鳥羽上皇のいとこで、姉が後鳥羽上皇の寵妃だった
坊門信子を実朝の正室にした 朝時は比企の息子つまり頼家側だったろうから実朝は嫌いだろう
重時も同じく比企血筋
泰時は父親の側にいた
政村以下はまだ年若い
てんで将軍の取り巻きに北条ゼロ
実朝死んでも出家する奴は誰も出ない 義時自身は逆
父親から離れて頼朝の側にいた
将軍と北条の関わり方が実朝時代と全然違う >>576
実朝の乳母は北条だったろ
政子や義時の妹の阿波局が乳母だった 乳母という立場がなによりも重きを為していたから、それを傀儡と呼ぶかは別として実質的に将軍を手中に収めていたんじゃないか 織田が最強では。ほとんど戦国時代んの文面でよろしいかと。人が死んだ。から。 実朝って突然、大船を造って海外に旅したいとか言い出したことがあったんだっけ 阿波局は乳母だが義時は違うからな
妻の関係で頼家と両天秤状態だった
時房は頼家の仲間だったし
実朝と北条の間にはちょと隙間がある 義時は比企氏寄りの政策をとってないだろ
頼家は北条を嫌い乳父である比企能員を重用した
義時は頼家にべったり寄り添っていない 頼家が北条を嫌った証拠はないけどな
比企を重用したのは事実だけど 頼家は義時の側室が子供産んだ時祝いの品贈ってるし
それほど険悪ではなかったと思われる
呼び捨てにするので義時が嫌がったって政子の言はあるが >>585>>586
頼家が側近5人を指名したときに北条義時が入っていない
また比企能員の乱で頼家の妻・若狭局と幼い嫡男・一幡が巻き添えで死んだ際
攻めた張本人が北条義時であり比企氏に温情を見せていない 義時は頼家の叔父なのになんであの比企の息子や小笠原の息子と
同レベル扱いされにゃならんのだw
オヤジの小笠原長清が義時とわりと親しいんだよな
だから小笠原は比企合戦の時に比企の味方しないで頼家も見捨てることに
妹の大貳局はちゃっかり実朝の側近におさまってるし >>588
頼家の外戚は比企
比企の娘が頼家の嫡男を産んでいる 和田義盛も頼家の北条討伐の御教書を黙殺して、それを北条時政に密告しているな 比企に完全に手玉に取られていたからな
不肖の息子とは言え、政子にとっては曲がりにも親子だからさぞかし辛かろう 長男より次男を可愛がって長男追い落としをはかる母親てのは
日本史でちょくちょくでるがほとんど母親側が負けるんでねーの
信長とか家光とかさ
長男が母親に追い出されるってあんまないぞ
それが可能だったのは母親の実家の北条が御家人を抑えてたからでさ 三浦だとか和田だとかが反頼家派だったからな
上手い具合に共闘できた >>592
政子が頼家よりも実朝を可愛がって追い落とししたわけじゃないから
天皇家などでも有力な天皇候補であった為平親王が源高明の娘を正妃としたために
為平親王の母方である藤原氏による他氏排斥を行い為平親王は皇統から外され
同母弟が即位して円融天皇になったなどの例がある
外戚にとって都合の悪い妻を娶ると排斥された例 >>594
はたから見てれば長男より次男が可愛かったって見えるよ
次男は妹に乳母させて近くに置いてる
長男は比企に囲まれて富士の巻狩でも頼家には厳しい態度
実朝が政治ベタでも政子は追い出したりしないと思うぞ 愚将−安倍 凡将ー麻生 謀将ー二階 智将ー石破 鈍将ー石原 実朝は人当たり良さそうだし、象徴的な存在としていてくれたからこそ円満だったからな 血縁血縁でつながろうとするのが鎌倉初期の悪弊
ばっさばっさやる人物が必要だったのはしょうがない >>600
頼家の傍に比企氏を置いたのは頼朝だろ
頼家は頼朝が溺愛した大事な嫡男
だからこそ頼朝は自分の乳母で恩人でもある比企氏を側近とした
実朝は当初将軍になる予定のない傍系だから頼朝は頼家に比べて放置ぎみ
政子がそれなら自分の妹を乳母したって感じだろ
政子が長男が可愛くないから比企氏に丸投げして
実朝のことは可愛いから将来将軍にするつもりで
自分の妹を乳母にしたわけでもないぞ じゃなくて自分のそばにいたから次男が可愛くなったってこと
実朝の乳母に御家人がなりたがらなかったってのわかる
梶原や比企睨まれたくない
頼家時代になったら実朝とその側近は粛清されるだろう
なんで頼朝も弟夫婦に託した
全成は実際に粛清されたが北条はそうなる前に逆に頼家を倒した
政子は当然実家味方
頼朝としては比企と義時を縁組させて頼家の側を固めたかったんだろう
時房が頼家の近くにいたのもそれ
時政だけ排除されててその時政が主導して比企を討った 可愛い可愛くないというより、けっこう人物を見ていたような気がするよ>政子
たんに情念の強い性格というだけであそこまでの女傑にはならないでしょ 和田義盛などの源氏の忠臣たちが実朝を推戴しているからには、頼家が敬遠される程の事由があったということになる >>605
比企討伐を主導したのは時政というよりも義時だろ
比企氏の血を引く頼家の嫡男・一幡を殺したのは義時の手勢だし 梶原を討ち取ったのは時政の部隊だっけ
梶原追放には義時はどのくらい関わっていたんだろう 梶原追放は多分義時
あーゆー謀略系で相手を自滅に追い込むやり方は義時
比企討伐は時政
呼び出して謀殺するという乱暴なやり方は時政でのちに畠山重保もそうだった >>608
実働部隊は義時中心って感じ
御家人の主力が義時世代になってて時政よりネットワークがある
比企討伐軍のうち、三浦と小山結城は義時閥で畠山と和田は時政閥って印象だが 梶原と比企失脚の主導者は親父の時政だな。 その命を受けて実行の算段を組んだのが義時だろう。
義時は親父からこういった政略を学んでいき、やがて親父を超えた。
承久の乱の時はグダグダだったがw
まあ、>>1の義時評は過大評価だが、スレタイとしては面白いし、歴史的にはもっと注目すべき人物であることには同意。 >>612
結城は頼朝の家の子として義時の同僚で昵懇だったんだろうな
義時と義村は従兄弟で昵懇
そして義村と結城も昵懇
この3者はグルなんだよw 単に利害が一致していただけではなくて、義時と義村には盟友としての絆があったんだろうか 結城と義時は頼朝の伺候衆で同僚だったから仲良いんだろう
比企討伐後に姫の前と離婚したが後妻の伊賀局は
結城朝光の妻と姉妹だ
三浦義村は結城と親友で義時の従兄弟だから多分仲良し しかし後世から振り返って不思議なのは、義時と義村が昵懇だと同時代の他人は必ずしも考えていない点なんだよな
表面上はベタベタしてなかったのかね 和田合戦でも伊賀宗光の陰謀でも巻き込まれそうになったり、敵勢力から誘いを受けているね
どちらも拒否しているが >>619
承久の乱でも朝廷側は義村が裏切るの前提に動いてるからな
ここらへんがどうにもね
後世の全ての結果を知っている我々と、同時代人との認識の違いってのは興味深いね 義時死後に三浦義村が義時の法要やったとか吾妻鑑にでてるよな
承久の乱後に何度も義時が三浦に田村の別荘に行ったとかさ
両者が仲良かったのは間違いない
比企合戦の前年に義時の息子と義村の娘が結婚した
三浦を味方に固めて比企との対決に向かった感じだな 三浦は何度も北条を裏切っている(裏切りかけている)から
義時と政子が北条に次ぐ幕府ナンバー3の地位に三浦を迎えてご機嫌を取った
北条泰時の正室は三浦義村の娘
三浦泰村の正室は北条泰時の娘
ただ北条泰時は承久の乱よりも前に正室三浦氏を離縁
泰時女は泰村に嫁いでいるが泰時と泰村は1歳差であるため
親子ほど年齢差があったと思われる
泰時死後、宝治合戦で三浦泰村は滅ぼされたが
この時に追放された泰村の妻子は北条泰時女ではないため
どうなったか不明 ボウショウっていうと二人目いなさそうじゃん。策術にはまるまで書いたのに。 義村を過信してしまった和田義盛と常に慎重だった北条義時
北条家に対して冷淡で距離を取り続けた和田と北条家と懇意にしていた三浦
性格も行動もまさに対照的だね 泰時と三浦氏の矢部禅尼の離婚は承久の乱どころか比企合戦のすぐ後だったようだぞ
矢部禅尼と佐原氏の間の子供を見ると
佐原兄弟は三浦一族の中で唯一北条について生き延びてたから
離婚後も北条と矢部禅尼は親しかったんだろうが >>618
子供同士が縁組したり離婚するとお互いの息子の烏帽子親になったり
関係が密なのは知られてると思う
ただ義村と結城朝光みたいな仲の良さはなかったんだろうな
和田合戦で北条についたのを裏切り者の犬呼ばわりされてたしな
承久の乱では弟にうちの兄貴はバカだからとか言われてなかったっけ >>625
あれは泰村が滅びれば佐原兄弟が三浦嫡流になれると思い
異父兄の北条時頼にけしかけたとも言われてて
もともと三浦が一枚岩でなかったってことなんじゃ 義盛と義村、義時と義村は互いに従兄弟の間柄
でも義盛と義村は同じ一族だからみんな義村は和田につくと思ったんだろうな
ただ、義村からすると、義盛が居たのでは三浦一族の総領としての立場が確固たるものにならない
つまり義村と義時では対義盛で利害が一致するんだよね
そこを見落とした義盛とつけこんだ義時との差だね 三浦については奥富敬之氏の「相模三浦一族」を読んだがなかなか面白かった。 謀というけどさ
なんか手の込んだものというより自然にそうなったって印象があるな
梶原追放ぐらいかな手の込んだの
あと実朝を将軍にする手際の良さとか
あとは和田合戦も承久の乱も受け手たつパタンでやられる可能性もあった博打的なもの
情報を押さえてるのと公家や武家に味方をつくってるのと
義時自身は無茶をせずに道理にしたがったやり方してるから
おのずと勝利を引き寄せてる感じする
謎は実朝暗殺かな >>626
千葉に相模の犬は友をも食らうと嫌味を言われたらしいが、逆に三浦と比べて他の武家が愚直過ぎたのかも知れない
少なくとも義村は和田を友とは思っていなかっただろう >>627
こまかいツッコミですまんが、
>異父兄の北条時頼
佐原兄弟の異父兄は時頼の父時氏だから、時頼は甥 まだ生きてる頼家を死んだと朝廷に報告して
実朝を征夷大将軍にしたんだっけ >>636
それどころか比企の乱の前に使者を鎌倉から発信してるんだよ
恐るべき計画性 梶原景時は北条が暗躍していることを気付けなかった
比企能員は梶原の追放劇を自分に降りかかる災難の前兆だとは知る由もなかった
北条が切れ者過ぎるのか、梶原らが鈍かったのか 千幡が元服するといよいよ頼家や比企から潰される
だから元服するときに一気に両者を潰したというのはわかるが
頼家が都合よく病気になったというのが >>638
彼らは頭が古い
頼家を担いでいれば自分は安泰思ったのだろう
鎌倉殿のご威光で御家人を動かせると
時政も実朝担いでるからなんでもやれるとばかりに畠山潰しに行ったが
義時の凄さは将軍とは独立して力もってること
実朝暗殺後も鎌倉は静かだった 北条って暗躍してるというより
梶原とか、比企とか、一歩前に出ようとしてる御家人を叩き潰すために使われる
二番手代表みたいな存在じゃないの >>640
実朝が死んだら都から頼朝妹の曾孫を摂家将軍に貰ってきて
頼家の遺児と婚約させて実朝死後も続いていたからだろ
承久の乱のときには政子が自ら御家人の引き留めを行っているし
義時が将軍とは独立した絶対的な力を持っていたらそんなことする必要もない >>637
北条が主導して頼家の嫡男・一幡よりも多い所領を千幡(実朝)に分配
頼家の後継者は弟の千幡としたことで一幡の外戚である比企氏が激怒
北条の挑発行為だよね 和田合戦は実朝の意志無視してバトってたもんな
頼朝頼家時代にはあり得なかった
そんだけ執権の権力が独立してたんだろう
実朝の渡宋なんて本来あり得ない話
義時が鎌倉離れて遊べるようになったのは承久の乱後だな 後鳥羽は実朝が死んだら関東が崩壊するとでも思い込んでいたようだが、義時がとんでもない猛者だったな >>645
あと政子のカリスマ性は計算外
あんなもん誰も予測できん
見えないところから必殺パンチが飛んできたようなもんだ >>645
政子の演説にある通り
武士が朝廷の犬だった時代の生活と、鎌倉幕府が開かれてからの生活と
どっちがいい生活できる?と天秤にかけて幕府を取っただけだろ
御家人も何も義時への忠誠心から命をささげたわけじゃないし
義時が猛者ならわざわざ政子が出てきて演説する必要もない 御家人の忠誠心とは既に他界した頼朝に対する忠誠心だからな 政子は義時が討たれたら自分は山の中で隠居するしかない
と承久記?であったから義時の器量をバックに威張ってたんだろう
政子が命を下したら御家人が従うわけじゃない
だから義時死後は三寅抱えて政子が司令出しても情勢不安解消されなかった
北条家中が治るまで >>646
あれ政子じゃなくて竹御所でも三寅でも同じだったと思うよ
御簾の内に鎮座して頼朝のご恩を説く原稿を安達が代読すりゃいいんだから あんまり政子を舐めんなよ
頼朝でさえ頭が上がらないほどの猛女
範頼失脚にも政子が関わっている
義時こそ姉に忠実だったから出世できたのだ
義時死直後に妻の伊賀の方が政子から謀反の理由で幽閉され死んだ
尼将軍政子に逆らえる御家人などいない 範頼も曽我兄弟の敵討ちも謎が多いね
範頼は予てから危険視されていたり、北条や頼朝傘下の武士団と折り合いが悪かったのかね 頼朝の兄弟男子で鎌倉幕府成立後も生き残っていたのは範頼と全成だけ
二人とも謀反の疑いをかけられて配流されて殺されたが無実である可能性が強い
実朝が暗殺されたとき範頼や全成の子供が生きていたが将軍になれなかった >>650
竹御所や三寅ではそもそも生前の頼朝を知らないだろう
どちらも頼朝死後の誕生
政子だからこそ頼朝と一緒に鎌倉幕府を作り上げた実績があった 範頼とその側近、それに大庭景義、岡崎義実らがまとめて粛清されてるから富士の巻き狩りで何らかの政変があったのは間違いないだろう
曽我兄弟は時政が面倒みてた連中だし、殺された工藤祐経は頼朝の側近で東伊豆の大勢力だから北条からしてみたら邪魔だったろうし
ちなみに曽我兄弟の義理の兄貴は範頼の側近で範頼と一緒に粛清された1人 そう考えると清盛て優しいな
命狙った義平と逃亡中に死んだ朝長、事績不明の義門以外の頼朝の兄弟みんな生きてるもんな 範頼を排除したいから仇討ちあったときにそれを口実にして
縁者を処分してった可能性もある
ほんとに何か陰謀あったらもっとバッサリやっただろう 源氏は一門で殺し合いばかりしてきたから、源氏よりも流人時代や旗揚げを支えてくれた東国武士団の方が信頼できるでしょう 頼朝は義時を穏便だと言うし将来子孫を守護するものとなる
というし頼朝の見る目は確かだったと思う
誤算は実朝に子供ができなかったこと 義時の性格は親父の時政ほど強引ではないからね
どっちかというと集団の後ろからついていくタイプ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています