九州が滅びて唐領であった歴史は無い。
九州自体大和朝廷の平定以降も遅くまで統一国家が成立していないが、
九州どころか対馬でさえ、唐領であったことは無いのである。
これは、日本の古墳時代の独自性の広がりによって証明できる。

しかし、九州というか、九州北部の対馬航路地域の国邑は
古墳時代に転換する邪馬台国時代250年まで独立国であり洛陽と独自外交を行っていた。
漢も魏も、漢四郡以南に影響力が届いていない時代の話だ。

記紀神話の九州起源説はこれを修正し、九州を日本固有の領土としている。
本来日本列島に降臨した神々が九州に降臨したのは九州女王国の200年以降であろう。
九州に降臨したんでは、神々ではなく大和朝廷そのものである。

記紀神話は縄文人に対する農耕誘導の神々の降臨であって、
弥生系農村開拓の早かった九州でも宮崎は縄文密度が高かったのかもしれない。

日本文明の創成期を神話で語るのは興味深いが
時系列を根幹とする歴史に比定、同定するのには無理がある。
空白の4世紀は、高句麗馬移入に伴う、日本の半島進出の歴史である。