淀殿の人生wwwwwwwwwwwwww [無断転載禁止]©2ch.net
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織田信長に父親をに殺され
羽柴秀吉に新しい父親と母親を殺され
徳川家康に息子と共に殺される >>1
2行目については本人はどんな気持ちだったんだろうねぇ >>2
市については秀吉が直接殺したわけではないだろ
市が柴田勝家に娘と一緒に生かせてくれと言えば
生き残ることもできたはず 淀「わらわの行くところ滅亡ばかりじゃ。
平家一門の如き滅びの美学じゃの。」 >>5
この男なら天下を執れると人生をかけた男が失敗ばっかりだった
実父;浅井長政←市を娶り織田信長の義弟として可愛がられているかと思えばまさかの信長と敵対
養父;柴田勝家←信長死後、織田家の大黒柱と母・市が見込んだ男だったがまさかの羽柴秀吉にやられる
夫;豊臣秀吉←まさに天下人、秀吉の男子を産めば安泰のはずだったのだが・・・
息子・豊臣秀頼←秀吉の跡取りで天下人になると淀は見込んでいたのにまさかの徳川家康にやられる >>3
いや当時の価値観として夫を残して自分だけ助かるという選択肢は頭の中になかっただろ 寧が出て行って大坂の陣で滅ぶまで女城主として絶頂だったと思う >>9
もともと地方大名の浅井の娘だし4歳の時に実家滅亡
父の敵である織田に身を寄せ幼い頃もあまり幸せではなかったような
10の言う通り大坂城女城主時代がまさに天下に
名を響かせた絶頂期だろう >>11
ところがその女城主時代は気鬱で心身の不調があり医者に診てもらってたらしいよ
絶頂ではなかった模様 >>11
絶頂期は淀城作ってもらって鶴松産んだときじゃない?
鶴松死んでから豊臣は下り坂 >>14
淀殿は秀吉が生きていた頃は男の愛に頼り切って絶頂だったのに
女城主になった途端、女にそんな重責が務まるはずもなく
淀殿が気欝でいつも医者に診てもらっていたというのは司馬の小説の影響
そんな史料は残ってないよ
秀吉の側室時代には超幸せで超健康だったとも限らないし ま、姉を利用して旦那を出世させ、最後は平気で姉を裏切ったお初。
秀忠の奥さんになって将軍夫人になったお江。
に比べれば、淀さんはかわいそうだな。
お猿の奥さんになったのが運の尽き。多分最初は相当うらやましがられたろうに。 >>17
慶長6年(1601年)になると「気鬱」が激しくなり、胸の痛み、摂食障害、頭痛に悩まされ、曲直瀬玄朔から薬を処方をされた(『玄朔道三配剤録』) こんな不幸な人生を歩んだ幸薄お姫様なのに、現代では豊臣家を崩壊させただだの無能としか思われていない悲劇… >>19
そりゃあ、徳川家康が征夷大将軍になった直後だからだろ
女城主がつらいせいじゃない 家康の征夷大将軍任官は1603年だよ
ただ>>17は興味深いね
淀殿からみれば、豊臣から徳川へ天下がシフトしていく様子が感じられて、
でもどうすればよいかわからず、ストレスが激しかったのだろう >>19
診察すると言っても曲直瀬玄朔は淀殿に面会することを許されず
淀殿の手に繋いだ紐を隣の部屋で手に取って脈を診る有様で
まともに診察できたのか不明と書いてあったな 西遊記にもそういう話があったな
ただ、胸の痛み、摂食障害、頭痛は本人の自己申告だから本当だろう >>17
側室時代は体調崩して治療にお灸したときに、よく我慢したね偉い偉いと秀吉が書いた手紙があった 日本史より謎な金儲けできる方法とか
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