九州説が好んで使う鏡など九州の衰退をハッキリと示す証拠にしかなってない

最盛期の頃のような大量副葬は既に見られなくなり、平原は古い鏡を鋳つぶした国産鏡でかつてのように海外から鏡を得られなくなった状況を示している
そしてその後は辺縁に数枚の出土が見られる程度に分散してしまっている
しかもその鏡は小型の国産鏡が主体となっている
見つかる鏡の鏡種もバラバラで広い配布の中心のような存在も見られない

鏡を持ち出せば持ち出すほど「弥生時代後期の九州は中心を失い崩壊している」と言う証となるのが分かる