元寇が戦国時代に起こってたら [無断転載禁止]©2ch.net
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>>3
どこまで設定をいじるかによるけど
ヨーロッパとも接してた元だから鉄砲自体は持ってそう 李舜順にフルボッコで恥さらした島猿じゃ陸地でしかゲリラれないからなあ 一時的に九州の一部を占領するかもしれないが、
兵員の供給が追いつかんだろ。
日本側が焦土作戦に出たら食料さえなくなる。 鎌倉時代でさえ敗退してるのに戦国時代の日本に敵うわけないだろ >>7
イエズス会伝道師も「この国は戦闘慣れしてて、武力で制圧するのは無理だろう」と書き送ってたね それだけ強くて、よくも隣国には二度もぼろ負けしてくれてんな?(笑)
日本は口先だけだったよ。大陸戦でいきなり責めても一か国すら占領できない分際で、誰が無双だって?(笑)
冗談は面と身長だけにしにてくれないか もし九州三国志時代なら
上陸地点の大友、龍造寺は元と島津に挟み撃ちにされて史実よりはるかに早く滅びそう 漢人フランキ砲部隊や、対マスケット戦に長けた満人騎兵なんかも動員されそうだな >>10
あれ、隣国にぼろ負け?(笑)
お前の国って確か、宗主国様に助けてもらってなんとか滅亡を免れたんじゃなかったっけ(笑)
その宗主国様に敵は秀吉が死んだから帰っただけでその勢力は健在だ、
よく臥薪嘗胆し、この恥を忘れてはならないと叱責されたのを忘れたのか(爆笑) モンゴル帝国の基本的性質
遊牧国家 ゆうぼくこっか ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
> 実力主義で王位を継承することが多かったため争いが頻発し,いずれも分裂したり,
> 短命国家に終わることが多かった。
・遊牧民の慣習である、領地領民の分割相続により、君主の弱体化や内乱を招く
・征服した各地の文化に染まり、モンゴル文化が薄くなる
・「四方八方戦争吹っかけて回ったツケね。」 で各国が叛乱する
つまり、無理な疲弊などすると、各地の叛乱どころかクーデターも起こされるし
短命で長期的な戦争継続など無理
・・・で根本的に弱点だらけ
しかも戦国時代は既に騎馬遊牧民の活動が衰えた時代だが
そもそもどんな設定なの?ただの当時の中韓連合との架空戦争ネタ? でも現実の元寇でも九州の地元の戦力だけで撃退してるから意外と行けるか?
元と戦るハメになった大名は終戦後他の大名に喰われるだろうけど 当時火薬は自作出来なかった(硝石1樽=奴隷50人の取引で輸入)から、戦争になったら火縄銃は使えなくなるね。 元寇見る限り、大友か大内だけでワンサイドゲームで勝てるだろ。 また日本侵略を唆した罪で捕まったチョンが問答無用で根絶やしにされる >>17
島津とかが後ろにいるから大友は蒙古だけに注力できないけどな 蒙古「大友舐めてたわ、もっかい行くで」
島津「ウラァ!」
蒙古「ヒィ、前回より強くね?」
島津「お前らのおかげで九州統一はかどったわ」 モンゴル人が騎馬隊で動くなら、
こっちはその足を一瞬にして切ってしまうほどの、鋭い刀と剣術を身につければいい
案外これだけの対策が、敵にとっては最大の敗因だったと思う
つまりこのことから戦国時代だとモンゴル軍にとっては余計不利だろう
なぜなら鎌倉時代より侍の質も良く数も多い。 尚且つ火薬がすでに伝来してるから、
信長みたいな3段撃ちをされたら、たまったもんじゃないからな
しかし、その火薬に頼って侍がなまけたり侍の需要がなくなっていたら負けるだろう >>16
戦国時代既に五箇山などで硝石を作っていたことはわかっている
もちろんそれだけで旺盛な需要をまかなうのは無理だが自給ができなかったというのも
あまりに極端だし史実に反しているよ >>21
実際唐入りのとき明軍のエリート部隊である北方騎兵は日本側の鋭い刀剣で多大な損害を出したことが
朝鮮の史書からわかっているな
柳成竜『懲録』
「明国軍が碧蹄で敗れ、李如松が臆病風に吹かれる」
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。 明の戚継光将軍も兵士に倭刀を持たせ倭寇から得た剣術を訓練させることで北虜南倭と言われた時代に
北の蒙古討伐でも成果を上げることができた
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/minda/5shyou.htm
隆慶五年(1571)に、彼のもう一部の軍事名著『練兵実紀』が出来た時、その本から見えるが、
長刀及び長刀法は、もう北方の蒙古人を防ぐ戚家軍の主な装備の一つになった。
この時戚継光の用心した計略で、まず、廃兵も長刀を配布されて、もっとも基本的な「隊」の建制に、
二人の鳥銃手が正、副隊長だったが、そのふたりが「やはり両手刀を短兵として習得させる」を要求された。
歩兵もそうだったが、鳥銃手であれば、「長倭刀一本を配る」そのほか、歩兵に長刀或は
短刀を配った。毎回演習する時、もし的が騎兵とすれば、長刀を持つ人が、
「元の習った倭刀でやる」、下は馬の足を斬って、上は馬の頭を斬る。もし敵が歩兵とすれば、
「倭刀が二人で一列にして、振る道も多いし、素早くて、上等である」。
或は「刀で斬り継いで、挙げ下げは素早くて、人に隙間を開けて犯させないのが上等である」(75)。
日本刀を中国軍隊に吸収したことは、戚継光が他人の長所を習って自分で使うという
貴重な考え方を表わした(76)。 >>16
秀吉が明と戦争した時、何で火縄銃は使えなくならなかったの? フビライが3度目の侵攻も考えてたくらいだから
かなりしつこい奴らではあるね
内乱中にやっぱ何度も来られるときつそう
内乱中なのが知られたら向こうもますます行けると考えるしな >>25
むしろ明側が自軍に西洋式の火縄銃を採用するきっかけになるほどに多用されていたね
島津の書簡でも槍は一丁もいらないから鉄砲と弾薬を送ってくれなどと書かれたものもあるくらいで 戦国の後だけど
秀吉の大陸侵攻軍とぶつかるのも面白いかもな まず本州の織田とか徳川、北条、上杉とかの連中は全てが終わった後にようやく気づくくらいやろ 日本海バリアがある限り勝てるよ
お前もちょっと元になったつもりで、頭の中で作戦立ててみろよ
敵前上陸とか無理ゲーだってわかるから 海が原因で負けたわけじゃないし
日本海がどうとか関係なく実力さで勝てる要素がひとつも無い。
それまで攻略してきたどこの国の兵団より圧倒的に強いんだからな。 >>33
では元の参謀になったつもりで考えてみた
壱岐対馬を落としたら、下関(赤間関)を制圧し、 関門海峡を海上封鎖。
日本軍主力を九州に押し込めてしまう
そして元軍主力は瀬戸内海から大阪湾へ海路出て京を目指し、
日本の天子を生け捕りにすることを目指す 馬関はおろか対馬が異国の手に陥ちた時点で情報は京に走るだろう
いくら戦国でも途中で情報シャットアウトできるはずもなく、モンゴルの瀬戸内侵攻の間に天皇の遷座はできそうなもんだ
瀬戸内を黙って通す事もないだろうし >>25
秀吉がバテレン追放令を出せたのは、火薬の自前調達が可能になったからでしょ 戦国時代はまだ兵農分離が出来てないからなあ。
農繁期に攻撃されたらヤバイw >>38
元を撃退した鎌倉時代はどうだったんですか? >>39
あっいや、信長以降だったら楽勝だねって言いたかった(汗)
純粋な戦闘能力なら当時世界最強だったろうし。
よく知らんけど、鎌倉時代に農民が合戦に参加はしないんじゃない? 信長以前は農兵主体という定説も見直されつつあるけどね 戦争は近代化するにつれ、野性的な強さより知性が勝るからな そういう意味で言えばモンゴルみたいな国はどんどん弱くなる そもそも作戦以前に、もとの情報がね
江戸時代の前は、まともな海図も地図も無くて
侵攻は確立ルートに限られて予想可能だし、さらに海は案内も要る
>>27
モンゴル帝国は遊牧国家>>14だから内乱も反乱も多発して短命だし
その欠陥もまた実力の内 むしろ内乱期だからこそ津々浦々が臨戦態勢で返って侵攻しにくいんじゃないか
元寇が来てから土塁作って防人置こうぜとか黒船来てから台場に大砲置こうぜとかの方が苦しい
攻め手で考えるなら海賊衆の調略が出来れば良い線行きそう 逆に鎌倉時代よりはるかに攻めにくいだろ。
元が勝つにはどっかの有力大名と連携でもしないと
5000で14万がぼろ負けするくらい弱小なのに
単独で攻め込んできてもまたまた血祭りに挙げられて終わりだわ。 内戦で練兵できて
その後クメールルージュと中国を立て続けに破ったベトナムみたくなりそう 文永の役は兵力の4分の1が朝鮮人
弘安の役は兵力の14分の1が朝鮮人 大編成の最強部隊でさえ九州武士だけで軽く一蹴されてる元ごときが
一番ヤバイ時代にのこのこやってきても地獄を見るだけだわw
スペインさえビビッて近づけなかったのにな。 まぁつまり内乱状態の日本に海外勢力が攻め込んで来たらどうなるかってことだけど天下統一が早まるだけな気がする 自分がモンゴルで東アジア経営できる立場なら服属させたくなるわな
親戚連中はポーランドやトルコを蹂躙してるだろうし、ゴマスリが
「金銀や硫黄、鉄もザクザクっす、朝鮮くらいの島に小国が乱立して戦い合ってるから楽勝っすよ」
なんて言われたら取りに行きたくなる まず国挙げて入り乱れて殺しあってるところにわざわざいかんよまともな神経なら。
全部ぼろぼろに疲弊してる状態ならまだしも。 薩英戦争で一方的に薩摩を砲撃してボコボコにしたイギリスでさえ
味方の総合的な被害を予想したらシャレにならんので武力で日本を
屈服させることはあきらめて貿易協定結ぶことを選んだんだからな。
この国は昔から攻めるにはヤバすぎるのよ。 統一した中央集権国家じゃなかったら、海外の侵略を防げない
だから幕末維新期に薩長土は頑張ったんだろw
戦国時代だったら日本軍が烏合の衆状態だ
博多湾の石塁を築くのも、割り当てを誰がどう決めるかで揉める
博多に異国警固番役を交代で設置するにも、割り当てを誰がどう決めるかで揉める 例えば大内氏が博多に大軍を置くよう求められても、
出雲の尼子に留守を狙われる危険があるから大軍は置けないとか、
しがらみも出てくる
さらに蒙古が使節を派遣して交渉を求めた場合、どう対応するかでまた揉める
最後に恩賞や賞罰を巡って、また揉める
そして二度目三度目と続くかもしれない元寇の際に、団結できるかどうか 戦国時代だったら日本軍が烏合の衆状態だ。
↑
この時点で草生えるんだが。
九州武士もあちこちから集まった烏合の衆だったんだがねw
戦国時代の日本を攻略できるほどの圧倒的な軍事力持った国は存在しない。
よって無理。 以上。 >>60
確かに鎌倉時代のも寄せ集めだったかもしれない
でも戦国じゃあ日本人同士が敵なんだからまとまる以前の問題でしょ。漁夫の利を狙ったり、元側につく大名が出るかもしれないって状況は相当やばいと思う 烏合の衆つっても各大名が普通に数千〜数万人を動員できるからなあ 元が戦国大名並みの軍事力を持ってたと仮定して
どっかの大名がライバルつぶしに同盟結んで利用したとしても
いずれ自分達の脅威になるしかも外国勢力をほっとくわけがないだろ。
だいたい上陸した時点でそこの大名と戦って勝ち、戦って勝ち、
コーエーのゲームじゃないんだから
どれだけ時間とカネと戦力の浪費なのよ。 九州が南北朝に分裂してた時、明の朱元璋が日本へ攻め込もうとしたら日本から
「 天下は、 天下の天下であって、 誰か一人の天下ではないのです。
我が国には、 水沢の地や山海の洲にも 備えがあり、 明の武力侵攻を恐れたりはしません」
って返書が送られてきたりしてるからな。
分裂してるから何とかなるというものでもない。 日本人同士が敵なら余計外国勢力は敵だわな。
むしろ真っ先に周辺国の大名同士から囲まれて潰されるだろうね。
ほっといたらウザいだけだし大体国取りと関係ない異物だしw
それこそどこに就こうと他所に就かれりゃ迷惑なだけだし。 戦国大名の動員力は大きいいので北部九州のを領有していた大内や毛利、龍造寺など単独で元は十分撃退出来ただろうな。 九州諸大名が、元寇を共通の敵として
連合したら、最狂やろなあ。(島津感) ちょっと前まで激しい殺し合いしてたが
秀吉の朝鮮出兵では、九州+毛利勢は
結構いい具合に連携もしてるんで、
キッカケさえあればどうにかなりそうではある。 そうは言っても、実際に宣教師の手先になってた大名はわんさか居たんだけどなあ 宣教師絡みだと大友さんとこか。
最後はグダグダだったからなあ。 一時味方につけても結局的になる得体の知れないのっとり勢力なら
休戦してでも囲んで潰すね。
現に宣教師使って工作してたスペイン自体攻略は無理だって諦めてるくらいだから
元程度なら瞬殺でしょう。 >>60
鎌倉時代の元寇では、
執権北条時宗の命令一下、九州の武士団も守護や椿西奉行の指揮下で動いていた
寄せ集めじゃない >>63
蒙古が博多を落として、そのまま進軍せずに博多を守り通す体制になったら、
戦国大名たち(大内、大友、竜造寺、菊池、伊東、島津)が、
どういうプロセスで団結して博多を奪還するんだ?
博多奪還に出兵の呼びかけがあっても、遠い大名には見返りもなく出費がかさむだけ 結局のところ中世の間は海に勝る盾はないってことやね 一番九州北部が細切れになってた時代(大内が衰退し始めたあたり?)に蒙古が上陸して来てたらやばいんじゃないか?
逆に九州三国志のころ(安土桃山)くらいになるとある程度各大名が巨大化してるから蒙古は何もできないと思う、。もちろん逆に遡って大内全盛期の頃でも苦戦するだろうな 島津貞久
1269年 相州鎌倉で生まれる
1274年 文永の役
1275年 九州防備のため、祖父久経(鎌倉出身)、父忠宗(鎌倉出身)らとともに薩摩へ下向
1281年 弘安の役、久経ら参戦
1333年 鎮西探題を襲撃、以降は主に足利方として活動
1363年 死去 姻戚関係ないから切り取り放題だな
カルテルくらいは結ぶだろうけど 防衛戦だった元寇の後、御家人たちに報酬として与える土地は当然なくて幕府に不満が溜まった。
そういうのが鎌倉幕府滅亡の遠因の一つって言われてる。
戦国でも違う形ではあれ、こういう戦争の爪痕が残るわけでしょ。それが新時代(統一)を近づかせるんじゃないかな。そういうある意味日本にとってプラスの効果はあると思う。もちろん元側が勝利して列島が支配されるってことはほぼあり得ない。 >>79
そして元寇の後で秀吉が天下をとったら、復讐を大陸侵攻の大義名分にするだろう >>79
手柄を直訴した竹崎季長が恩賞で潤ったように与える土地がなかったというのは大嘘だよ
ついでに寺社も祈祷を戦功と認定されて恩賞をもらってる 恩賞の領地を細切れみたいに細分化して分け与えてたんだよ
でも蒙古襲来が3度4度続けば恩賞の土地も限界だ
>>75
南北朝で尊氏派、直冬派、征西将軍派に分裂してた時でもヤバかった 戦国時代の日本は有力者同士が各地で争っても、形式上のトップは鎮座
遊牧国家>>14 てのは、征服各国の反乱とは別に
疲弊など不満が高まり、トップが隙見せたら王家内でガチのクーデターが起こるし
大出費の継続は無理
そもそも元朝自体がクーデター同然の抗争で生まれた分裂国家だ
来られたらやばかったのは平安時代、貴族が全盛のころ
刀伊の入冦の略奪軍約50隻(約3,000名)に苦戦する体制で、奇襲なら大被害必至 >>81
完全に土地がないってことはさすがにないのね
土地が増えてないんだからあまり与えられなかったって方が正しいな 恩賞への不満説はちょっと弱いと思うんだな。
弘安の襲来(1281)から幕府倒壊まで50年もあるし。
霜月騒動(1285)で安達泰盛などが滅び闕所地が多く出たから
「これが恩賞にあてられたのでは?」と考えた学者もいたにはいたらしいが、
恩賞はともかく兵力は減ってしまうわけで、恩賞を意図して戦ったってことはあるまい。
まさに前門の虎(モンゴル)と後門の狼(国内)で、近代人の考える挙国一致などではなかったということだ。 その点戦国時代なら、恩賞の必要がない(敵から略奪)から、思う存分戦えるな9 中国大陸全部とはいかないけど、釜山から大邱ぐらいまでは侵略できたかもね
もったいないことしたよな まず、島津の九州制圧を援助し、
長崎の拠点化を認めさせる
交易でジワジワ影響力を拡大させ、
秀吉が攻めてきたら、秀吉方につき、
筑前、肥前の支配を認めさせる
秀吉の死後、徳川が動きだしたら
すばやく九州を制圧、豊臣方として
関ヶ原に参戦、家康を打ち取って
天下を取る
うーん、こんなこと元はしないな 戦国時代当時も、中国の周囲は強敵だらけだよ
ロシア・ツァーリ国は各ハン国を攻略
西からジュンガル登場
ポルトガル人鉄砲隊に優れるタウングー王朝は何度も明と交戦
戦略的に日本が圧倒的有利だ
元は対馬占領続ける国力すらも無く、無理が続くと周囲や内部から崩壊する 結論 天下統一が早まるだけで、元が列島を支配することはない 元寇と言うからにはモンゴル軍の襲来なんだろうけど
戦国時代は既に明になってて民族が漢民族に入れ替わってる
蒙古族が建てた元朝は紅巾の乱で衰退してしまい
新たに建国された明が逆にモンゴルに遠征してお仕置きしてるんだよな
そしたらまたモンゴルから逆襲が始まって1550年、日本の戦国時代にモンゴル軍に北京を包囲される始末
更に南の方は日本の倭寇が沿岸部を荒らしまわって、北のモンゴル、南の倭寇、と明の頭痛の種に
そんなぐだぐだな状態が続く中、日本の豊臣秀吉に攻められた李氏朝鮮から援軍要請
日本軍と朝鮮半島で衝突したのが、言うなれば戦国時代の元寇(明寇)だったんじゃないの? >>85
鎌倉幕府打倒の原動力になった後醍醐帝・足利・新田のいずれもが
元寇問題に特に関係ないってのが全てだわな >>94
民族がどうこうっていうより、元に匹敵する世界帝国が攻めてきたらという想定なんじゃない? >>95
元寇がしょぼく感じられてきちゃったな
戦国時代に攻めてきても北部九州周辺に影響は留まるだけで、朝廷や織田なんかには関わることもないって感じになる? ただのネトウヨのウリナラマンセーじゃないか笑
世界中を席巻した蒙古の騎馬民族の本気を舐めすぎだ 蒙古を撃退したエジプト、ベトナム、日本が世界の御三家だし そもそも元寇の恩賞問題から鎌倉幕府弱体化してそのあと悪党が各地で放棄したんだよ
御家人体制が一斉に崩壊に向かい各地で戦乱が勃発
そのまま一気に室町幕府の統制が効いてるところは静かだが戦乱は三百年近くどっかしらあった
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