>>258
必ずしも比喩的な意味ではなかったかもしれない。
「族」を漢和辞典で見れば「民族」は無くて「家族」しかない。
だから「族、思うに兄弟」は高句麗王家と天皇家の関係しか意味しない。
極端な話、日本の人民が全て縄文系で、天皇家のみが扶余系だったとしても、
「族、思うに兄弟」は成り立つ。

また、もし天皇家が扶余系ではなく、かつ高句麗がそれを知っていたとしたら、
高句麗は「族、思うに兄弟」つまり「うちもお宅も同じ扶余ではありませんか」
と、比喩的にでも言うだろうか。
それはあまりにも失礼で、これから援兵を仰ごうという立場には不利なのではないか?

天皇家は実際に扶余だったのではないか?