古事記以前の書物について [無断転載禁止]©2ch.net
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ウエツフミ、豊国文字など本当の日本の歴史について
詳しいかたいますか?
時系列が難しすぎて混乱しています。
だれか教えてください。 出雲口承は当然現代的な意味での
解釈が入っているので
また当事者の視点での「証言」なので
どこまでが「真実」なのか
見極める必要があります。 宇佐古伝によると
神武天皇と景行天皇は兄弟だという。 >>130
神功皇后が卑弥呼より120年後なので、その祖父の代の景行は4世紀初めくらいだろう。
神武と兄弟は無理がある。 神武天皇が宮崎から北上する際、
宇佐族の海人である佐伯氏と争った。
宇佐族は服属することにし神武天皇族に
宇佐の地を屯田地として与えた。
宇佐族は古くから大陸との交流し
大陸王朝の制度に明るかったからだという。
宇佐津姫と神武天皇には
宇佐稚屋そして安芸に移ってミモロワケが生まれた。宇佐津姫も神武天皇も安芸で没し
景行天皇が後見したという。
ミモロワケは大陸王朝の文化取得に励み
本邦の卜占を定め
現在の宮中祭祀の八神を定める英邁英傑だったという。
宇佐稚屋は二十代で亡くなり一子 押人の後見をしたミモロワケは景行天皇の指示により
東遷を続行し、押人を王朝創始の大王になしたという。 >>131
その通りです。
ここは宇佐古伝を記述する際
宇佐家の伝承に現代的な解釈が入ったせいで
帰ってよくわからなくなっているのです。
したがって
貴重な古伝といってもそのまま鵜呑みにするのはダメで、
当事者の視点だけでなくいろんな資料との
付き合わせが必須なのだと思います。 宇佐古伝の一面の正しさというのは
宮中祭祀と
卜占についてです。
後に宇佐八幡宮神託事件があるように
宇佐と天皇家との繋がりがどこかであったはずだか記紀ではいっさい宇佐との関わりが記されないという状態です。
そして卜占については
神武と同世代の天種子の後が中臣氏に繋がるのですが、
宇佐古俗の服属儀礼で、自分の妻を差し出した事実を
後代の自家系譜の上申時に憚って架空の人物名に仕立てて朝廷に提出したことによるという。
つまり天種子は後の天皇家につながる人で
その子が宇佐家に残り、宇佐家で洗練された卜占の技術を宮中に持ち込んだ。
それまでの畿内の祭祀は神奈備の三輪山祭祀
物部の道教起源の鏡の祭祀。
いつどのように「現在の宮中祭祀」が始まったのか?
亀卜鹿卜など卜占を中臣が独占したのはなぜか?
皇族だったから。
天皇家の母系の宇佐族の祭祀が引き継がれたから。 宇佐古伝の神武天皇といっている部分は
出雲口承でいう崇神天皇とかんがえると
ある程度矛盾がなくなります。
出雲口承では崇神は東征途上で亡くなっている
崇神と宇佐の姫は婚姻した
東征中に宇佐の姫出雲口承では親魏倭王の卑弥呼のも東征中に亡くなっている。
出雲口承でいう豊来入彦が
宇佐古伝にいうミモロワケなら
どちらも東国関東に向かって子孫が土着したことが共通している。
つまり、古伝はやはり一定の事実を残してはいる、ただし、その原伝承の本意が失われて
記述者の現代的な解釈が入っている。こういうことです。
ただ宇佐古伝では親魏倭王、大陸に朝貢したとは全く言及がない。原伝承にはあったかもしれないが、意味がわからなすぎで現代には失伝されたかもしれないことが惜しまれます。 >>121
葛城の鴨族(出雲王国の分家。神=王族をカモと発音していたので、後に鴨の文字が当てられた。(鴨は、甲+鳥。甲は神に同じ、鳥(トリ)は十霊(トリ)最高神。また、葛城のトビ家を暗示))の末裔。 そういう氏族はあちこちにいて、例えば肥国の隈クマ=カミとかもそう。
葛城が特別というわけではない。
三種の神器を持っていたわけでも、漢や魏から倭王として冊封されていたわけでもない。 >>52
「神功皇后の朝鮮侵攻」そのものがでっちあげの可能性もあるってことだよね 朝鮮側にも倭国が繰り返し侵攻してきたことは記録されているよ。 >>138
うん、そこは古事記の表記からして神話で
まず事実で無かったと見ていい 朝鮮側の首都を包囲しているからねえ
倭寇レベルじゃなくて、それなりの軍隊が出動してるよね
朝鮮半島の倭領に軍隊が常駐してたんだろうな >>140
三国史記との比較で、4世紀末のことであったと考えられていたはず。
国軍による侵攻でも寇の字を使うことができる(元寇など)ので、倭国による組織的な侵攻も倭寇と呼ぶ。 >>142
いや、最近おもったけど神功皇后は完全に神話
わずかの事実性もない
で、三国史記は日本書紀よりずっと後に出来たもんだから
むしろソースんも一部がそもそも日本書紀の可能性がある
つまり、さしてあてにならないとみてる
百済も新羅も滅んでしまってたので
三国史記があらわされた当時からして資料が散逸してしまってたろう
で、滅びなかった日本の日本書紀などの資料は残ってたけど
それ自体が、まあさして信用できないだろうって話
こう書くと朝鮮びいきと思われるだろうけど…・・
むしろ、自分は最近まで
朝鮮・韓国がらみの話は、あまり興味もなく調べてなかったんだよね。
それが最近、ちょっと思う事あって、
朝鮮の資料を調べだしてる所。
で、このあたりの事は日本書紀のが
ぜんぜん信用できないんじゃないかと思い出してる所。 日本書紀が嘘だらけなのは同意するが、三国史記と日本書紀では、神功皇后の侵攻に対応する記事が120年ずれているんだよね。
だから、三国史記が日本書紀を参考にしたというよりも、別個の資料をもとに日本書紀ご年代を前倒ししたんだろう。 >>145
それは元側の資料でも元寇と呼んでいるということ? >>146
三国史記の神功皇后の侵攻に対応する記事ってどれ? >>144
>いや、最近おもったけど神功皇后は完全に神話
>わずかの事実性もない
で、日本書紀でも創作が目立つのが神功皇后の下りだけど、完全な嘘でもないと思う。
仲哀が死んでから応神が生まれるまでの日数について細かく記し、臨月を遅らせるために石を抱いていたという話まで加えている。
これは、応神が仲哀の子供ではないのではないかという疑いがその当時からあったということだろう。
それはベースとなる事実があったということだよ。
そして、石を抱いたら生まれるのが遅くなるなんてことはないから、実際には応神は仲哀の子供ではなく、武内の子供なんだよ。 日本側の記事は三韓征伐、朝鮮側の記事は倭寇だろう。 >>150
具体的に、120年ずれてる三韓征伐に対応する三国史記の記事はどれ? 一時的にしろ百済も新羅も倭に取られたことを書いているのだから、正直じゃないか。
百済は倭と高句麗の両天秤をかけていたんだよ。
最近、韓ドラで見ていたからよくわかる。
三国のバランスは非常に危うい。
倭国の支援を百済はよく使っていたらしいよ。
記紀にも、百済王が七支刀を贈ってきたことが記載され、実物も存在している。
半島情勢に倭が介入していたことは間違いない。
半島側の記録も国内の記録も信用できないと言い始めたら、歴史を研究する意味はなくなるね。 『遅れてやってきた倭種』
それと系統の違う家がない?本物の家? まあ、神功皇后は福岡あたりの豪族で
それを記紀に組み込んだだけだろうな。
おそらくは聖徳太子のアメタリシヒコも
そのたぐいだろう。 漢文なら分からんけど万葉仮名表記なら上代特殊仮名遣でググれ 上宮記ってどんな書物だったんだろう?
応神から継体までの系譜は失われた日本書紀の系図以外はここにしか残ってなかったんだよね? 大王が元首であったという根拠すらない。
天皇記を所有していたのが蘇我家なら、大臣記だったかもしれない。
物部氏に先代旧事本紀があったように、蘇我氏を中心とした歴史書があったのだろう。 >>164
稲荷山古墳出土鉄剣、、江田船山鉄刀銘、隅田八幡神社人物画像鏡は、いずれも「大王」
まあ元首であったことも間違いなかろう >>160
一部分を引用されて書物や、書名だけ伝わってる書物って気になるよね
どっかの寺社に写本でもあればいいのになぁ >>169
そもそも、文字が伝わって日本国内で長文が書かれるようになったのがいつ頃かだよなあ…
ワカタケルの剣の頃には国内でも文字による記録があるから、同時代の記録が発掘される可能性も無いとは言えんけど、
出てくるとしたら寺社よりも古墳だろうな 主な寺社の記録は、明治維新の廃仏毀釈でほとんど消滅していますね。
戦国時代の下克上でも多くの旧家が消えて、蔵書が散逸しています。
あとは、8世紀初頭に日本書紀以外の歴史書を禁止扱いして焚書を行なっています。 >>169
>一部分を引用されて書物や、書名だけ伝わってる書物って気になるよね
これって、たとえ国選正史でも、その内容に、その文書に「信憑性を
持たせるための選出としての架空の文書」が記されている、という可能性
はないですかね?
偽書の中に、「⚫⚫に曰く」というかたちで、⚫⚫という架空文書
が出されてくるそうですが。 >>170
おそらく、応神天皇からだろう。
記紀では、応神天皇のころ、千字文が伝ったとされる。
千字文そのものエピソードは、事実でないんだろうけど、
おそらく、記紀のあらわされた当時からして、
畿内でまともな文字情報がたどれたのが、
応神時代までだったと思われる。
(そういう背景から造られた故事なんだろう)
で、応神天皇の名称から存在してそうな点を考えてみても、
まともな記録があったのも応神天皇までで。
それ以前は(創作)神話だと思われる。
(さらに、現代の天皇家は継体天皇からで)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%9C%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87#.E8.AB.A1.E5.8F.B7.E3.81.8B.E5.AE.9F.E5.90.8D.E3.81.8B
>応神天皇の名とされる「ホムダワケ」(『日本書紀』では誉田別、
>『古事記』では品陀和気と表記)は、実は生前に使われた実名だった、
>とする説がある。
>とくに応神天皇から継体天皇にかけての名は概して素朴であり、
>ワカタケルのように明らかに生前の実名と証明されたものもある。
>王仁が伝えたとされる千字文が、王仁の時代には成立していないことなど
>史料解釈上実在を疑問視する説も多数存在する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E4%BB%81#.E8.A8.98.E9.8C.B2 素朴だからとか、それ以前は創作だとか、なんの根拠もない。
くだらない。 写本じゃなくて、原本で残ってる日本最古の書物ってなんでしょう? 白村江の戦いで敗戦して
半島領土を失ったので
新たに国境を確立するために記紀が編纂されたので
それ以前の歴史=半島も日本の一部だった歴史を抹消せざるを得なかった
蘇我氏は半島における総督府長官みたいなものだったので
蘇我氏の歴史はある程度削除された
記紀に改竄の痕跡が見受けられるのはこれが原因 >>176
>それ以前の歴史=半島も日本の一部だった歴史を抹消せざるを得なかった
どうしてでしょう
歴史をあるがままに記述するのにどんな不都合があったのでしょう レコンキスタが興って半島奪還戦争に進展する可能性があるから
大陸への領土的野心は日本列島統治が揺らぐ可能性があるから
戦勝国である唐・新羅に、日本書紀の歴史観でいいかお伺いを立てる必要があったから
あれ、これって第二次世界大戦後の日本と同じで笑えないね >>176
だったら神功皇后が半島をボコった記述も白村江でボコられた記述も抹消するんじゃね?
神功皇后なんて実在が疑問視されてたりするんだし むしろ7世紀後半の記紀の編纂直前の政変こそ、隠したかったのではないかな。
唐の後ろ盾によって筑紫倭国から政権を畿内が奪ったことを隠したかったのだろう。 >>176>>178
理屈で考えると、むしろそれは逆なんじゃないかと >>185
技術や文化が遅れている北方騎馬民族に中華民族がなんども征服されてるという東アジア史の常識も知らないのか 乗馬技術を技術ととらえるならば、中原が技術に秀でているというのは主観に過ぎなくなる。
だが、3世紀の奈良と筑紫の技術水準の差はそれ以上に著しい。 >>164
出雲の伝承(不文)では葛城の出雲神(カモ)族〜磯城王朝。その末が蘇我氏(王家)
「臣/オミ」の称号は元々は出雲の王族である証だったそうです。 >>142
日本(倭国)側の国、組織が関与しない海賊団も倭寇。
更に、中国沿岸〜朝鮮半島の海賊団が素性を隠蔽して倭寇に偽装して(騙って)荒らし回ったから悪質。 >>191
でも、史書に載るような大規模な軍事行動は筑紫倭国の兵だよ。
もともと天津神(海の神)と呼ばれるだけあって、対馬海峡を拠点とした水軍が政権を取ったようなものだからね。 >>190
蘇我氏は筑紫の覇者となった武内宿禰の末裔。 >>196
そんな根拠ならなんでも否定できるな。
ああ、実際に畿内説は魏志倭人伝を含めて全ての記録を否定しているのか。
いっそ、邪馬台国や卑弥呼の名前を使うのもやめてくれ。 古事記の入門者向け解説本を一冊だけ読みました
スサノオが「髭を切られ手足の爪を抜かれて追放」されたとあって、あれ?ヒゲと爪がなくて困るのって猫じゃんと思ったんですがスサノオ=猫説っていうのはないんですか?w 髭や神は霊力の源と考えられていた。
長い方がエラかった。 話をぶった切るようで恐縮ですが
古事記を読むならどこの本がいいですか?
図書館で一通りさらっと読んでみたところ
個人的には解説が豊富な講談社が良さそうだと思いました
次田さんの史学的な評価はどれほどですか ちなみに講談社の次田本は比較文化論を嫌う神職や右翼の方々からの評価が芳しくないようです
確かに角川ソフィアの中村本に比べれば読み仮名のルビが余りにも省かれているので流石に30余年の研究差を感じましたが、中村本の解説は巻末に纏めて書かれている程度で、時代考証や古典文献学的仮説を多分に含む次田本の解説の豊富さには遠く及ばないと思いました
また小学館の神野志本も同様にテキスト主義の体をとっており、時代考証に深く踏み込むことを避けているように思いました
このように講談社全三巻は氏の多弁が仇となって、ややトンデモ扱いされている感がありますね
次田本の現代における評価はいかほどでしょうか?
(というのも次田本に書かれていることを何処から何処まで信じていいのか不安ですし、何より私は門外漢ですので最近の研究事情について全く知りません...)
そこら辺の出版事情に詳しい方、最近の研究事情について何か知っている方がいましたら詳細を教えてくださいm(_ _)m 嘘くさいこじつけや結論ありきの解説なんて、害悪だよ。
逐語訳程度ならネットで十分じゃないかな。 古事記で売れてんのは竹田のやつかな
読んだことないけど >>206
具体的にどの本の何処がそうだと思われますか?
私は逐語訳をその通りに理解できるほどの知識も教養もないので、先達による注釈と解説が欲しいと考えますが、まあ、そうなればある程度には専門家個人の偏見が入り込んでしまうことを許容しなければなくなる訳です
ですので現在の学界での評価がその偏見を何処まで許容し得るかの指標になると思います
しかし歴史に絶対はないので、現代の学説ばかりを盲信するのではなく、素人なりにテキストを読み込むことが第一でしょうね
>>207
竹田本はカジュアルなことに現代訳オンリーなのでちょっと原文、書き下し文と参照しづらいと思いました
史実というものがあるとすればですが、竹田先生ご自身の特異なお立場も含めて、学術的にシビアな解釈を求めるならば避けるべき図書だと思いましたが、穿ち過ぎでしょうか
それなくしても、訳がややフランクすぎるのでわたしの肌には合いそうにありません(汗 神々の名前の読みが外国というかインドっぽいことについて、古事記が書かれたのが仏教伝来の後であり
仏教はインド由来なので…という説があるようですが、皆さんはどのような背景があるとお考えでしょうか? アメノミナカヌシ天御中主が
ミチュウヌシ
ビシュヌ神
とかそういうこと?>インド由来 >>207
あとは三浦のやつだな
読んだこと無いけど 日本書紀をなぞっただけじゃない?
真実とは遠いような気がする。 >>210
じゃなくてそのままでインドっぽくないですか?ということです >>216
公式の仏教伝来は6世紀だけど
実際はもっと早かった可能性がある。
中国朝鮮経由ではなく、インド直輸入の可能性。
日本じゃないけど、三国遺事だったか
インドのアユダ國から新羅にやってきた女性のことがかかれてるけど
インドから半島にこれたなら日本にもこれたんじゃないかと思うけどね。
日本語にはパーリ語の痕跡があると指摘する人の
本を最近読んだわ。パーリ語は印欧語だけども。 国記、天皇記は確実に存在したのだろうけど、それ以前の歴史書はあったのかな。継体、欽明天皇の頃に歴史書を編纂しても良いような気がするが。 ばっかじゃねーの
断片的なサンスクリット語の知識を以って神の名が似てるだの似てないだの
日ユ同祖論者並みに低レベルな陰謀論を説いてるという自覚ある? エビデンスが弱すぎ
神話の内容が類似してるとかそういうエビデンス無しに神の名がインドぽいって(笑)
統合失調症かよ
こういう病人に歴史書を読む資格はなし >>217
興味深いです。インドと繋がりがあった可能性は十分あるということですね。
>>218
なんとなくのイメージでしかないのですが、当て字っぽい漢字や音を含んだ名前はそういう感じがします。 「敵を刺す」から「テキサス」
日本語が北米の地名にある!だから北米はもともと日本だった!
という話は昔からあるのですw あんまり排斥するような言葉をかけるのはひどいけど、
あんまり思いつきだけで出鱈目なファンタジーっぽい説を堂々と展開するのも感心しない。
根拠ありそうな理由を付けて説明しなきゃ、だれも納得しない。
馬鹿にされるだけだよ。
発想は奇想天外でも、納得する理由があれば、一目は置かれるよ。 4世紀あたりに裸形上人というインドから漂着した人物が、熊野那智山を開いたというし、頭から否定は出来ないと思う。 複数の人が関連する事柄を紹介しているのに出鱈目なファンタジーと決めつけることこそ出鱈目でファンタジックなんじゃないの?
根拠を示せという自分が何の根拠も示していない。
俺はそういう人のことも馬鹿にはしないけどね よく読んでみろよ
ただただ神様の名前がインドっぽいとしか言っておらずどこがどうインドっぽいのかとかも無い意見だぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています