長く「記紀」にならぶ歴史書として信じられていた聖徳太子による撰録とされる
「先代旧事本紀」は、平安時代に捏造された偽書であることが江戸時代に明らかにされま
した。それ以外の「記紀」以前の歴史書はふるいません。その多くは、神道の理論書と
して作られた偽書の意味合いが強かったり、時流に乗った信仰宗教の宣伝媒体のようです。
「ホツマツタエ」
1775年(安永四年)に井保勇之進が宮中に献上しようと企てたことが古文書によって知られ
ています。これは、出現の時期が早いものです。これだと称する文書は1990年代に公表されています。
この文書は、明治期に出現した写本(宇和島で発見されたもの)で有名です。
この古文書の支持者である小笠原長武(1851-1922)が歌人の佐佐木信綱を通じて宮中に
献上しようと企てましたが、彼から否定的な評価を受けて果たせませんでした。