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古史古伝と呼ばれる荒唐無稽な「歴史書」の中には、「記紀」が一代の神名として扱う
「ウガヤフキアエズ」を長く続いた王朝として、その歴史を延々と記述する一群のものが
あります。「ウガヤフキアエズ朝」ですね。この部分の歴史を詳述することによって、
神国日本の有り得るべき理想像を訴えたと思われます。また、真似をして作られた古史古伝
にも、この部分がコピーされて残ることになります。
これら一群のものの初出が、
「上記」幸松葉枝尺が1874年に政府に写本を献上する。ウガヤフキアエズ朝の記述あり。
これが種本となって、その後の古史古伝が作成されたと思われます。
たとえば、
「富士文書」美輪義熈が1921年に公表したもの。ウガヤフキアエズ朝の記述あり。
「竹内文書」竹内清麿および支持者たちが、1928年に公表され、内容が増加させながら
1931年に合資会社として天津教大司庁を設立。ウガヤフキアエズ朝の記述あり。
「九鬼文書」三浦一郎が1941年に公表したもの。ウガヤフキアエズ朝についての言及が
ある。

サンカ文字が「上記」の記述に用いられた豊国文字と類似した文字であるというのは、
昭和初期の小説家三角寛の創作であるとされています。

いずれも学術的な検討に値しないものなのが残念です。「記紀」以前にも歴史書のようなものは
あったが失われた、ということでしょう。