大海人皇子は蘇我入鹿の子供だった [無断転載禁止]©2ch.net
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天武天皇の年齢研究
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamiya1/mypage640.htm
皇極天皇は一般に33歳で天智天皇を、38歳で天武天皇を産んだ
と考えられてきた。ところで、神谷氏の主張では
皇極天皇が夫の舒明天皇の姪であることから、夫とそれなりに
年齢差があったとして皇極天皇の誕生年を西暦607年(推古15年)
とし、天武天皇の誕生年は644年(皇極3年)で、兄天智天皇より
も甥の大友皇子(弘文天皇)や姪で后になる大田皇女や持統天皇と
年が近かったと考えている。天武天皇の誕生年から通説より下げた
ことにより額田王、高市皇子、十市皇女の年齢も修正し、大友皇子
の遺児は十市皇女が産んだのではないと述べている。
天武天皇が舒明天皇の崩御後の誕生であれば父親はいったい誰なの
だろうか? 近江三船が自ら編纂した「懐風藻」で
自分の父・葛野王について「大友太子之長子也」「母淨御原之帝長女」と書いてるんだよな
十市皇女の孫・三船が経歴を知らなかったor偽ったとも思われず
葛野王の母が十市皇女でないという証拠は薄い 日本史より謎な金儲けできる方法とか
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念のためにのせておきます
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GDW >>5神谷氏の主張では
皇極天皇が夫の舒明天皇の姪であることから、夫とそれなりに
年齢差があったとして……
2人は公表されている生年では1つ違いだから
皇極天皇の父である茅渟王が舒明天皇とは親子ほど年上の兄だと思っていた
そしてそのことにより彼らの父である押坂彦人大兄皇子が早世したとの説は
周辺の系譜すら確認していない学者のつまらん憶測にすぎないと思っていたが… >>11
>>5の説では舒明天皇の生年は動かないのだから意味がないんじゃないか
舒明天皇の異母兄とされる茅渟王の生年を舒明天皇と同年齢まで繰り下げているだけだろう
敏達天皇の第一皇子である押坂彦人大兄皇子が壮年で生存しているのに
敏達天皇の後妻で皇后である炊屋媛が即位して女帝の推古天皇になったということは動かない 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
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