>>21
>>20の薩摩の中で最も勇猛な出水は、習俗として、チゴモウシ (稚児請し)があり、
神の申し子としての美少年崇拝で、トリモチチゴ (執持稚児)の美少年が二名
選ばれ二組に分かれた侍組を統率し戦陣の 訓練をしたそうじゃが、島原の乱の
出水地頭山田家の子息の十三歳の松之助と従う侍について記されとるんが、
「さらでに若侍の面々は松之助殿に恋ひ焦がれしに、今の出立の雄々しきを見て
ければ、哀れ松之助殿に一言を掛けられ先陣に進んで潔く討死せば誠に此世の
思出ならんと、各小躍りして勇み進む。」
 出水の壮士共の謡
「松さまを 小船に乗せて 歌て遣らふもの 本渡の瀬戸を」」
鹿児島県は武士道たぁ、新羅の花郎道そのものよのう。