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なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか8 [無断転載禁止]©2ch.net
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0001日本@名無史さん
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2017/09/20(水) 06:41:11.38
過去スレ
なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか7
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なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか6
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なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか5
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なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか4
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なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか
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0005日本@名無史さん
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2017/09/20(水) 13:43:39.32
慶尚道人に関して面白いことが書かれている本があったんで、紹介しておく
https://books.google.com/books?isbn=4492043322
「大邱
 ■韓国の保守本流
 嶺南の内陸部、盆地に位置する大邱は、1601年に嶺南の監営(今の道庁)が設けられ、
嶺南を、特に慶尚北道を代表する中心地として発展した。
 安東からバスで大邱に向かった。全国各地を結ぶ交通の要衝になっている大邱。
かつてはリンゴの名産地であり、そして、美人が多い土地としても知られている。
 学校では「一番暑い町」「教育熱が高い町」などと教えられた大邱。
「保守的」「義理固い」「権威的」「プライドが高い」「固い」「中心意識が強い」
「家父長的」「集団主義が強い」「政治的だ」などなど・・・・・・
これらがよく言われる大邱人のイメージだ。大邱人に言わせれば異論もあるかもしれないが、
まったくの見当外れではないはずだ。
 保守的―よそから見ただけでなく、当の大邱人も認める気質のひとつだ。
1996年に大邱放送が行った「大邱慶北人の意識構造調査研究」によると、
大邱・慶北人の気質を問う設問に答えた同地出身者の50・1%が「保守的で排他的だ」と答えている。
 日常生活に関連の深い消費パターンにも保守的な気質が表れている。
 流通システムの発達によって消費パターンが平準化され、全国どこへ行っても
「人気ブランド」は同じで、しかも消費のサイクルは短くなっている。
そんななか、大邱の消費者は一度選好したブランドをなかなか変えない傾向が強いという。
いわばブランドに対する「忠誠度」が高いのだ。
 あるブランドやファッションが全国で流行しても、大邱の人々は容易には同調しない。
安定したブランドにとってはありがたいが、新たなブランドが進出するのは難しいと言われている。
 食べ物についても同じような傾向がある。最近人気のパプリカ、柴イモなど
新しい食材を受け入れるのが他の地域に比べて遅く、そっぽを向かれてしまうことも多いという。
また、韓国全体で見ると昔ながらの素麺(ク?ス)よりラーメンの消費量が多いが、
大邱では今なお素麺の消費量が多く、全国の素麺の約半分が大邱を中心とした
慶尚北道地域で消費されているという」
0006日本@名無史さん
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2017/09/20(水) 13:53:02.59
「 住宅については一戸建てへのこだわりが強い。全国に行き渡っているマンションが
大邱で急速に普及し始めたのはつい最近のこと。消費性向に保守的な面があることは確かなようだ。
 大邱を中心にした慶北圏が保守的になったその背景には、何があるのだろう。
 筆頭に上げられるのは地理的、歴史的な環境だ。慶北大学史学科のジュ・ボトン教授は
次のように話していた。
「かつて嶺南地域は広い平野地帯に恵まれず、山と川とで細かく区切られた小規模な同姓村を中心に、
排他的な地域性が形成されてきました。全羅道には、さまざまな地域を所有する不在大地主
(注:自分の所有する土地に居住しなかった大地主のこと。不在地主の多かった湖南地方では
中間層による収奪などが目立った。)が多かったのに対し、ここにはその村に経済的な土台をおいた
土着の中小地主層を中心とした同姓村が多かったのです。ですから地域ごとに強い自立性をもっています。
こうして、それぞれの生活圏を中心にした保守性と排他性が育まれたのです。
慶北人、特にその中心を成す大邱人たちの保守性は、このように自然地理的な要因で形成された性向が
歴史的に集積された結果だと見ることができます。同じ嶺南といっても、海に接している釜山の人々が見せる
開放とは相反するものですね」
 ソウルを出発してから、バスや汽車の窓からずっと慶尚道の自然や村々の風景を見てきただけに、
ジュさんの話が身に染みて感じられる。気質と自然・地理的な面との相関関係はよく耳にするが、
安東同様、自然地理的な条件が多くの同姓村を生み出し、それが排他性や保守性を生む要因の
ひとつになったという点が興味深かった。」
0007日本@名無史さん
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2017/09/20(水) 13:54:06.87
「 ■本当は開放的
 バスはいつのまにか西部ターミナルに着いていた。韓国で一番暑い都市というイメージそのままに、
午後の日差しが強烈だ。
 大邱を象徴する達城公園に足を伸ばした。達城公園は韓国の城郭史上、現存する最も古い土城
「達城」(西暦261年創建)があることで有名だ。ソウル・鍾路にあるタプコル公園のように、
お年寄りの憩いの場となっている。あそこなら、典型的な大邱気質を持ったおじいさんたちに
会えるかもしれないと期待したからだ。
 2人組、3人組のおじいさんたちが木陰でのんびり座っている。
 早速、話しかけてみた。
 見知らぬ女に声をかけられたときの反応は人によって、そして地域によってさまざまだ。
ベンチに座っている、おばあさん2人に近づく。
「こんにちは。ちょっとお話していいですか」
 怪訝そうに睨まれた。あまり反応はよくない。話し始めてはみたが、
進んで話してくれるという様子ではない。こちらの説明不足もあり、
宗教の勧誘とでも思われたのかもしれない。
「なんでそんなことを聞くの」「私にはわからないね」などという答えも多い。
一度疑念を抱かれると、それを解くのには時間がかかってしまう。
話しには応じてくれているのだが、はじめは反応も乏しく、牽制している感じだ。
ただ、ある程度話を進めていくと、私に逆に質問するなど、話に乗ってくる節もある。
 「大邱人はとっつきにくい」とよく言われる。それは当の大邱人自身も認めていることで、
保守性と排他性ゆえのことだ。」
0008日本@名無史さん
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2017/09/20(水) 14:00:40.17
「 一方で、「不愛想で社交的でないため、はじめはとっつきにくいが、いったん心を開くと、
きわめて積極的に受け入れるようになり、関係は末永く続く」とも言われる。
 また、雑誌『三千里』(1940年、第7号)の「嶺南、嶺東出身文士の『郷土文化』座談会」には
次のような発言もある。
 嶺南人に似合うのは「言語美」よりも「人間美」「人情美」だと思います。
不愛想でがんこで愛嬌のない嶺南人ですが、つきあえばつきあうほど深い情が感じられる、
それが典型的な嶺南人だと思います。
 慶北大学のジュさんは大邱人の気質には相反する二面性があるという。
すなわち、はじめはきわめて保守的に見えるものの、いったん受け入れた相手に対しては、
開放的で、包容力も発揮するということだ。最初は付き合いにくいが、
一度付き合い始めたら積極的になるという上記の話とつながる。
 ジュさんによれば、こうした大邱および慶北人たちの気質の原型を遡ると、
新羅人につながっているという。安東の項で「ドムベギ文化」に絡めて書いた通りだ。
それは仏教の受容に対する新羅人の姿勢にはっきりと表れているという。
「長い歳月が流れましたが、文化というものが歴史的に形成された基本的なフレームに影響を受けたということは否定できません。
新羅人の気質に影響を与えた歴史的事実は仏教の受容です。高句麗、百済に比べて後発組だったため、
保守性を強くもっていたことで知られる新羅文化においては、意外にも包容力と積極性を発揮していたんです。
新羅が仏教を受け入れた際、高句麗や百済とは明らかに違った姿勢を示しました。
高句麗、百済では新旧宗教の間に何の摩擦も起こすなく、王室を中心にスムーズに仏教を受け入れました。
それに比べ新羅は、仏教を国家的な宗教として正式に認めるまで100年以上の歳月がかかったのです。
しかし、いったん受け入れた後は、高句麗や百済に比べ、瞬く間にに浸透していきました。
これは、はじめは保守的だがいったん受け入れれば積極的で包容力があるということを示しています。
すなわち、今の大邱人の気質と似ていると言えます」」
0009日本@名無史さん
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2017/09/20(水) 14:01:15.12
「 保守的ではあるが、表には現れない積極性と開放性を秘めている。
なかなか受け入れなかったマンションが、いったん普及し始めたら急速に広まった。
とっつきは悪いが、いったん仲良くなると何もかも受け入れるようになる。
まさに前述した大邱人気質の表れではないだろうか。
 大邱など慶尚道人をよく「ハックンハダ」(鉄火肌)という。いったん受け入れると、
徹底的に受け入れようとする激しい気性を指す。
 本来備わっている開放性や積極性が見過ごされ、保守的なイメージだけが目立つのはどういうわけだろう。
 これは政治的な指向とも関係が深いと言われている。1960年代以降、何度かの大統領選挙で、
投票が大邱・慶北出身者の特定政党や派閥に集中するという傾向が明らかになり、
保守的で閉鎖的だというネガティブな認識が広まった。そして、この地域を支持基盤とする政党が
保守的な性向をもっているのも、こうしたイメージの増長の原因のひとつになったといえる。」
0010日本@名無史さん
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2017/09/20(水) 16:05:03.95
「 ■根強い中心意識
「大邱・慶北人の自己意識と気質」(『大慶フォーラム』2005年冬号)という論文で、
大邱教育大学のチャン・ニュンス倫理教育科教授は、大邱・慶北人の意識を探る上で鍵となるのは「中心意識だ」と語っている。
自分が中心であり、自分が住んでいる地域が中心だという意識を彼は
「自負心、自信感となって生活に大きなエネルギーをもたらすという価値もあるが、
一方、自分と周囲の生活環境を中心に設定し、他の集団を周辺部、周辺人、周辺文化として
下に見る差別的意識にもつながる。克服すべき点もあわせもつ」と述べている。
 こうした「中心意識」をもつようになったのは、どんな歴史的背景があったのだろう。
 前述の論文では次のように明らかにしている。まずこの地域が最初に三国統一をした新羅の領域だということが、
この地域の人々に歴史的、政治的な中心意識をもたらす背景となり、朝鮮王朝時代に入って
嶺南学派、退渓学派など儒教の中心地だったということが思想的、精神的な中心意識を植えつけた。
 朝鮮王朝末期および日本植民地時代において救国運動が活発になったことも、
その意識を深化させた。そして、約18年間、大統領として実権を握り続け、
韓国の産業化を成し遂げた朴正煕がこの地域(亀尾)出身で、大邱師範学校を出ているという自負心によって、
当地の人々はどこよりも強い中心意識をもつようになったという。
 個人の気質として表れるのはもちろん、当地の政治意識にも色濃く表れる。
曰く「政界の中心地(注)はここだ」「政治指導者はここの出身者がなる」などという具合だ。
この地域の人々が「権威主義的だ」と言われるのも頷ける。天下を取るのは我々なのだという自負心が、
他の地域よりかなり強そうだ。」
0011日本@名無史さん
垢版 |
2017/09/20(水) 16:06:37.98
「 以下は、大邱の男性と結婚したソウル女性が書いた『甘ったるいソウル、熱い大邱』の一節だ。
ここに出てくる軍人とは朴正煕と全斗煥のことで、常人は盧泰愚、弁護士とは廬武鉉を指しているのだろう。
地方都市ではあっても過去多くの大統領を輩出したという自負心がかなり露骨に表現されている。

  人の上に人はいない、人の下に人はいないと言いながら
  ソウル人は頭を上げて
  大邱人は稲穂のように頭を垂れる
  ソウル人は大威張りで出世して
  大邱人は頭を下げながら出世する
  大邱ではソウル人は並以上で自分たちは並だと言うが
  いったいだれが並でだれが並以上なのか
  並の軍人だった人が大統領になり
  「私は常人です」と叫ぶ人が大統領になり
  並の弁護士が大統領になる
  慶尚道の並の人がソウルに行って最高位に登りつめる
  並のソウル人はみなどこに行ったのか」
0012日本@名無史さん
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2017/09/20(水) 16:11:19.45
「 ■儒教の町に美味しいものはなし?
 達城公園を出て西門市場に向かう。西門市場はかつて江景(忠清南道)、平壌(平安南道)とともに
朝鮮三大市場として知られた。どこの市場もそうだが、ここも最近は景気が悪そうだ。
だが、その規模の大きさから、かつての賑やかさが偲ばれる。目を引くのはやはり地域独自の食べ物だ。
素麺の販売量が多いというのは単なるイメージではない。昔ながらの包装の素麺の売場があちこちで見られた。
屋台でも須麺(ク?ス)が必ずといっていいほど売られている。
 屋台料理のなかで、見慣れない料理が目に入った。「ナプチャクマンドゥ」は、
具が春雨とネギだけのペチャンコな餃子、フライパンで少し焼いた後、醤油で味付けする。
40年ほどの歴史をもつここだけの食べ物のようだ。
 大邱と言えばこれ、という料理は残念ながら思い浮かばない。大邱だけでなく、
慶尚道は全般的に全羅道に比べて食文化は発達しなかった。その理由としてよく挙げられるのは、
食材があまり豊かではなかったこと、そして贅沢を避け、質素を尊んだ儒教的な精神があったからと言える。
 代表的な料理を強いて挙げるとすれば「タロクッパブ」がある。日本の焼肉店のメニューの一つでもある
「テグタン」(大邱湯)に近いものだ。
 かつてはテグタンと呼ばれたが、今はタロクッパプと呼ばれることが多い。
クッパプ(汁かけ飯)のご飯とスープを別々(タロ)に出すもののことだ。
 タロクッパプという料理名の発祥地とされる「クギル食堂」に行った。
タロクッパプのルーツには諸説あるが、汁かけ飯などという下世話なものは食べられないという
両班出身者の要望で生まれたという説が、大邱には似つかわしい。
 風ひとつ吹かない猛暑のなか、タオルで汗を拭き拭き食べるのが一番おいしいというタロクッパプのスープは、
すごく辛かった。確かに大邱の暑さによく似合う「以熱治熱」(熱をもって熱を治める)の料理だ。
繊細な味ではないが、「ハックンハダ」という大邱人の気質をよく表しているようにも思えた。」
0013日本@名無史さん
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2017/09/20(水) 16:12:24.46
「 大邱の宿に戻り、テレビを見ていると、日本プロ野球の読売ジャイアンツ戦が中継されていた。
韓国で日本のプロ野球が放送されるようになったのは、紛れもなくイ・スンヨプ選手の活躍によるものだ。
そして、彼はここ大邱の出身なのだ。
 日本でのイ・スンヨプの活躍は景気低迷で活気のない大邱人の大きな励みとなったはずだ。
彼は大邱の名門で野球部が有名な慶北高校の出身。日本に行く前まで、大邱を本拠地とするプロ野球チーム、
三星ライオンズで活躍した。
 暑い大邱で育った彼は、夏場に強いことで定評があっという。韓国よりもさらに暑い日本で活躍しているあたり、
大邱育ちの面目躍如といえるかもしれない。
 嶺南人の気質を表す「泰山喬岳」という言葉の解釈のひとつに「トゥクシム」がある。
日本語に訳せば「粘り強さ」「根気」といった意味になる。
 風水地理学者のチョ・ヨンホンによると、泰山喬岳の気運が集中しているのが大邱市を取り巻く
雄大で荘厳な山並みだという。したがって、大邱の人々は「トゥクシム」があり、
血の気が多いというわけだ。イ・スンヨプは「トゥクシム」を日本で精一杯発揮しているのだろう。」
0014日本@名無史さん
垢版 |
2017/09/20(水) 16:19:58.80
どこか中国地方人的であり、どこか九州人的でもある
ソウル人と違って恭しいところなんかも、日本人を想わせる
この本のなかでは地理的環境や儒教の影響が指摘されているけど、
日本の集団との共通性からいって、元々そういう性質を備えているような印象も受ける
いずれにしても、慶尚道人は日本人と似てると思う
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