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が言う:>襄陽で降伏したばかりの南宋生券軍なんてわずか1400人。
のソースがわかった。
<襄陽、生券軍、1400人>でぐぐると、偶然次のページの紹介文が出て来た・

db.history.go.kr/item/pdfViewer.do?levelId=kn_009_0010
95) 《元史》권 8, 至元 10년 9월 甲申조 “襄陽生券軍至大都 詔伯顔諭之 釋其械繫 免死罪
聽自立. 部伍 俾征日本.” 96) 《元史》권 ..... (元軍과 高麗軍) 1,400 人 7 個月分
糧料 2,904 碩, 羅州留屯 粤魯濶端赤軍糧 8,000 碩, 馬料. 1,325 碩이라 하였으니 고려 ...

彼はこのつぎはぎ文を見て、「襄陽生券軍」と「1,400人」の文字をくっつけたわけだ。
だが、この文章の前半は元史の、降伏後の生券軍の処理を述べた一節で、
「‥‥」で切れた後半は、高麗史世家の元宗十五年二月記事だ。1400人は元軍と高麗軍を
併せた耽羅守備軍の人数だ。

生券軍の人数の根拠にはならない。