>>212
コスパだけではわからない。
当時、しょせんは「少数民族」に過ぎない蒙古は、大国の南宋と伸るか反るかの決戦のまっ最中だった。
だから文永の役は全面的に高麗に依存した戦争だったのだ。それでもって高麗がいかに疲弊しようが、
知ったことではない。高麗が耐え切れずに倒れれば、労せずして直轄領にするだけの話だ。

相手が元だと思うからおおげさになるが、船と食糧という、遠征軍の最も基本的な資源において、
第一次東征軍は高麗の国力の範囲でまかなえる規模でしかなかったのだ。
その意味では、文永の役は日本と元の戦争ではなく、日本と高麗の戦争だった。

お客さんのようにして蒙漢軍が乗ってはいたが、これはフビライの親衛隊で、いざとなれば
カーンの地位の裏付けでもある。だから損害少なく安全に帰ることが第一だ。
そのためには、何かといえば「回軍」を持ち出す安全主義のクドゥンが、主将として適任だった。
日本征服などとおおげさに考えることはない。