個人的に元寇で打ち震えるのは、弘安の役における最後の後始末(鷹島掃討戦)

暴風ですでに万単位の溺死者が発生していたものの、命からがら鷹島に集結した
将兵も多数おり、その数は十万。ただし武具や矢玉はおろか、最低限の水と食糧
と生活用品すらほぼ皆無。軍ではなく着の身着のままの被災難民に成り果てていた

司令官以下の将領クラスは退却を決定、自分らだけ健在な船を強制徴収し帰国する
ゆえに歴史的な意味からいえばこの時点で戦争は終わっている。だが、鷹島もまた
元軍の民間人虐殺の被害地であり、負傷し飢えた敗残兵になったからとて元軍が慈
悲の対象であろうはずもない。かくして日本軍による、血の復讐の宴が開催された

残存兵らは、この苦境の中で指導力を発揮していた下級将校を臨時の将軍とあおぎ、
その指揮の下でありあわせの工具を総動員、船を仕立てて脱出する計画を立てる
だが台風一過、状況を把握した日本軍が好機を逃すはずもなく、完全武装で総攻撃
指揮官が地元の御家人クラスであることから戦力はせいぜい数千人、あるいは千人を
大きく越えなかったかもしれないが、ほぼ丸腰の元軍は一方的に敗れ、投降が相次ぐ

かくして元軍の犠牲の大部分が、この時に生じる。2万〜3万人の、比較的元気で
技能のある江南人が選抜されて奴隷となった他は、推定8万が斬首されている