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先の見えない絶望の末の特攻戦法を、鷹島戦と混同する発想は無かった
鷹島掃討戦は、渡海軍事行動のリスクと敗戦時の人的被害の大規模化の、劇的実例だ
大正義日本海がもたらした惨劇は大陸政権による日本侵攻の、最強の抑止力となった

「悲しいかな、10万の江南人。孤島(鷹島)に拠って赤身で立ちつくす。今や
(鷹島掃蕩戦で死んだ)怨恨の骸骨は山ほどに高く、夜を徹して天に向かって
死んだ魂が泣く」(高麗王臣下の漢詩)

「大風雨がおこり、大浪のために沈壊。蒙古軍は半ば海に没し、残るは400隻
のみ。20万人は白骨山の上に置き去りにされ、倭人のためにことごとく殺され
る。ゆえに白骨山(鷹島)という」(南宋遺臣の鄭思肖)

いっぽう日本側も、鷹島掃討戦の凄まじさを示す多くの地名を現地に残している
「首除(くびのき)、首崎、血崎、血浦、刀の元、胴代、死浦、地獄谷」などだ
それまでの国内戦とは異質な、大量殺害が起きていたことが窺える

なお地獄の鷹島から脱出して帰国を果たした者は、高麗の史書では11人確認できる
さらに、捕虜となってから10年以上のちに帰国できた一握りの兵士が現れ、かれら
は部下を見捨てて逃亡した将軍らを皇帝に告発した(すでにフビライの孫の代)

結果、范文虎ら数人の将官が妻子ごと処刑された。ある意味、元にとって真の終幕