>>236
光秀が土岐氏だというのは「明智軍記」が初出で一次史料ではない
美濃国守護・土岐氏から南北朝時代に別れた支流で土岐氏家臣に明智氏がいたことは事実で
江戸時代になって土岐氏支流の明智氏と明智光秀が結びつけられたものと思われる

同時代史料だと光秀は「細川(藤孝)の中間」で足軽のちょっと上ぐらい
細川藤孝は管領細川氏の同族とはいえ傍系の傍系なのでその中間はあまり良い出身ではない
ただ細川藤孝の中間ならば光秀は都育ちであっておかしくなく
京ことばに長けており公家たちとの折衝役として信長に重用されたというのも合致する
光秀が美濃国育ちならば京ことばなど話せるはずもなく尾張ものがやっても一緒だったろうから
主君の細川藤孝の命令で放浪中の足利義昭の世話役についたのだろうと