光秀=天海だけはガチだと思うのだが。part3
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歴史小説家が自分の小説を売れるようにするために、歴史を面白おかしくいじくり回し、様々な新説が誕生してきた。
どれもこれも小説ネタとしては面白いが、荒唐無稽なものばかり。簡単に反証されてしまうようなものばかり。
けれど、
「惟任光秀が小栗栖で命を落としておらず、後に天海大僧正になって徳川幕府を支えた」
という説だけは、真実の気がする。
当時知っていたのは、禁裏と家康側近。
そして光秀と共に戦ったことのある徳川家武将の一部のみ。
箝口令が敷かれていたと思うし、書面に残してもいないだろう。
ただ、徳川宗家や各武将の直系の末裔は、口伝で伝え聞いていると思うのだが。。
江戸末期には、噂されていた「光秀=天海 説」…。
筆跡鑑定の結果は、
TV東京 → 光秀もしくはごく近い近親者
NHK → 本人ではないが、ごく似ている字があり、親戚縁者の可能性あり
ということだった。
さて、3スレ目。
引き続き、妄想を語れ。 先月出版された『本能寺の変・生きていた光秀』(著・井上慶雪)。光秀=天海説を信じる人には興味深い内容。
この本によると、山崎の戦いのあと光秀は
→比叡山に潜伏。このころ叡山で死亡した会津出身の天海と入れ替わり、光秀天海となる。
→その後、大阪府貝塚市鳥羽の海雲寺(光秀の長男が創建)及び岸和田市の本徳寺(光秀の肖像画を所有)に潜伏。
※わらべ歌「かごめかごめ」の歌詞にある「後ろの正面だぁれ」は上記の寺の位置を示すらしい
→その後、家康と合流。 訂正・4行目
誤 (光秀の長男が創建)
正 (光秀の長男が住職) 失礼しました。追加して訂正・4行目
誤 (光秀の長男が創建)
誤 (光秀の長男が住職)
↓
正 (光秀の子弟が住職) 『河童バビィ』・・・
『呪術師』と書いてあるはず
そしてキュウリの葉、葱の華などの写っている写真、
あれは家の写真なんだけど
光秀という名前の親戚がいたり、
何かを知っていて、そのような名前を付けたのかな 陸奥?いまの福島県のほうのことでしょ、
むかーし住んでいた事があると言っていた、
伊達郡というところの山の上のほう、寺院が何やらとか ちなみに家は▢野という名前、
光秀という人の母親の旧姓も。
『霊山 棒術』
このような名前 江戸幕府の3代、4代将軍の乳母が光秀の重臣の子と孫だからガチ 将軍家には光秀の血は入ってないんだっけ?
細川家もガラシャの血筋じゃないよね?
将軍家が光秀の血筋だったら、この説は鉄板なんだけどなあー 家光の実母は春日局である、という説があるが
もしそれが事実なら、光秀本人ではないにせよ、
その重臣斎藤家の血は将軍家に入っていることになる。 >>421
既出だが
徳川家光は将軍に就任すると自身の外祖父であるとして
江の父である浅井長政に中納言を追贈している
家光の母が春日局なら斎藤利三が外祖父で中納言だからw >>420
謀反人の関係者が将軍の乳母という事実だけで十分だろう いやあの時代器量があれば人の前歴はあまり問題にはしてないぞ
斉藤利三の関係者なら春日の局の兄は秀吉の時代に既に士官が認められていたし
おば(利三の姉妹)の嫁いだ蜷川親長は家康の御伽衆だ
大体春日の局にしてから万石級の家老(しかも秀吉の甥の家)の正室なんだから
謀反人の娘だからって将来が閉ざされるようなことはなかったんだろう
大体謀反人に文句言い出したら三河一向一揆の連中とかどうなるんだ 江戸時代に入ってから重用された謀反人関係者で、明智光秀に関わる者以外の例を挙げてくれ
本田正信は天正時代に召し抱えられた者なので除外 わかってないな
別に陰謀論に絡めなくとも本人に器量が有ったから採用されたで説明できるということ 光秀に関わる者以外で、重用された者の例をわかってないということ? 春日の局は将軍の乳母なんだからその関係者が重用されるのは不思議ではないでしょ
問題は『謀反人の係累なのに』採用されたという論拠 春日局が家光の乳母になったのは夫の稲葉正成が小早川秀秋の家臣で
関ケ原で小早川秀秋の東軍寝返りを実現させた家康の恩人だったから
さっさと秀秋が死んでしまったせいで浪人となり苦労していたので
家康が与えた褒美なんだが
福が乳母に上がった3年後(大奥は男子禁制のためこの時福は離縁している)
稲葉正成は家康から1万石もらい大名に昇格している >>431
明智光秀を栄達させるならまず家康によって光秀の子が大名に取り立てられるだろう
もしくは遠縁をたどって明智家を再興させるだろう
春日局の夫や息子の稲葉が取り立てられても明智から遠すぎるんだが 将軍の乳母の関係者が栄達するのがそんなに不思議に見えるの? >>432
とりあえず細川忠隆くらい何とかしてやれって話だよな 春日局が乳母になったのは利三が殺されて20年以上経ってから
母の実家の稲葉家の養女になって結婚も稲葉一族とで
完全に稲葉家の人
春日局のお陰で稲葉家は老中とか幕府の要職に就いてる
光秀が天海なら、幕府の要職に子孫が居るはずなのに居そうにないよね…
あら、江戸中期ならただ1人、老中になった土岐頼捻という人が居た!
でもこの人は光秀とは別系統の再興された土岐明智氏だね
菅沼藤蔵(初代土岐定政)から5代目だからずっと後年で天海関係ない >あら、江戸中期ならただ1人、老中になった土岐頼捻という人が居た!
>でもこの人は光秀とは別系統の再興された土岐明智氏だね
>菅沼藤蔵(初代土岐定政)から5代目だからずっと後年で天海関係ない
そもそも、土岐頼稔が活躍した18世紀のことは論題になっていないのだが >>436
明智宗家は豊臣秀吉の時代に本家である土岐を名乗ることを許された
というだけでそもそも明智姓を名乗っていない
明智家は復興していない 土岐定政が残した土岐家の系図は明智宗家の系図。
元主君の土岐姓を名乗るという栄誉にあずかって明智宗家が再興したということ。
それに、土岐定政は光秀のはとこなので、光秀の血縁の人物。 >>443
光秀を顕彰するなら明智家再興だろう
光秀の霊を弔って墓守しなければとお家再興とはいえない
再興されたのはあくまでも土岐氏であって
土岐氏の墓守が再興されたというだけ
当たり前だが光秀とは無関係 土岐定政が明智家の系図を自分のルーツの系図ですと言って幕府に提出している。
この意味がわからない? >>445
その家系図に明智光秀が載っていないのだから意味がない
この意味が分からない? >>445
土岐定政は豊臣秀吉存命中に死んでいて
土岐氏を名乗ることを認めたのは秀吉だが
誰にどんな家系図出したの> 正しくは定政の子が幕府に土岐系図を提出した。
そのころ、定政が死んでいるからどうのこうのということしか言えないようだが >>448
その家系図を提示してくれる?
明智光秀の名を家系図に掲載し
明智光秀の墓を土岐氏墓所に置ききちんと供養したんだよね?
光秀の首塚とか江戸時代半ばに全然違うところから
末裔を名乗る人が出てきて勝手にやってたけど
家康が光秀を顕彰するために土岐氏再興を認めたなら
なんで土岐氏がきちんと管理しないの? おばかですか?
家系図についてはググレカス。
光秀は明智宗家ではないので、沼田土岐家は光秀のことを先祖供養する必要がない。 >>450
ネットでググっただけでものをいう史料提示できないおバカw
土岐氏は光秀を供養などしていないしそもそも土岐氏再興は光秀と何の関係もないのにw 復興されたのは土岐氏であって
明智氏は再興されていない ググる能力もないのなら、図書館には幕臣の系図が置かれているので調べるがいい。
光秀の事を調べている人なら、たいていはこの系図のことを知っている。 >>453
土岐氏の家系図に光秀は載っていないのに何言ってんだ、こいつ
光秀が載った土岐氏の家系図出せと言ったら
ググれとか図書館にあるとか光秀のこと調べてるなら
土岐氏の家系図に光秀が載ってることぐらい知ってるとか適当なこと言って
その家系図の名前を言ってごらん?
言わずに逃げるだろうなあ、そんなのないから >明智光秀の名を家系図に掲載し
>明智光秀の墓を土岐氏墓所に置ききちんと供養したんだよね?
と書いたのは>>449だ。俺は沼田土岐家は自分のルーツとして明智家の系図を
幕府に提出したと書いたのだが。誤った事実を記憶してしまう>>455は深刻な知的障害。
で、池沼に説明すると、沼田土岐家が提出した系図は寛永諸家系図伝土岐系図。
土岐定政の父は明智定明で定明以前は明智家累代の当主が記されている。
だが、寛永諸家系図伝土岐系図は、明智宗家のものだけ記されているので光秀が
出てこない。だが、美濃守護の土岐宗家の系図の続群書類従土岐系図には、
土岐支族まで記録されており、そこには明智分家の光秀が記されている。
その系図によると、光秀は土岐定政のはとこにあたる。
双方の系図ともネット上で見ることができるが、障害者には困難なのかな。 >>456
ネット自慢の池沼の説明では
土岐氏再興が明智家再興になるという説明になってないな
結局、幕府に提出した土岐氏系図に光秀が出てこないというこちらの主張を
そのまま認めてしまってるぞ、池沼 明智宗家の系図に光秀が出てこなくとも、土岐定政は光秀のはとこで明智氏嫡流。
土岐定政は明智氏を再興したが、定政は明智氏嫡流で光秀の主君になるはずだった者。
沼田土岐家は、明智家の系図を幕府に提出して、土岐に名を変えた明智氏と自認した。
懇切丁寧に説明してさしあげたが、池沼の相手は疲れる。
ちなみに明智宗家の系図に光秀が出ているとはどこにも書かれていない。
沼田土岐系図に光秀ガ~というのは>>499が騒いでいたこと。
おまえが>>499ならおまえはマッチポンプw ハトコだというのが本当だとしたら
光秀の方が嫡流のようなイメージはある
光秀の方が年上だろうし、趣味とか洗練されてて田舎で育った定政より高貴な感じがするw
定政の母の実家の菅沼氏って土岐明智の正妻になるくらいの家格だったのかな?
元々は光秀の祖父が嫡男だったけど、曽祖父との折り合い悪く廃嫡されて
弟の定政の祖父に家督が譲られたというのを何かで見たことあるけど
兄弟で家督争いをして、親は弟の方の味方するってのはこの時代、よくある話で
よくある話すぎて本当なのか眉唾だけど
光秀の年齢は丹羽長秀(天文4年 (1535年)生)と同じくらいじゃないかな?
惟住と惟任だし、初期の信長の2人に対する扱いが似てるような気がするから >>460
織田家臣内で早くから城主になり、戦だけでなく、戦後処理や統治、税の徴収も任されてるところ
信長の親族と婚姻関係があり、準親族扱いで信頼厚いところが似てるかなと思った 光秀の大河ドラマが決定だそうだけど、最後に天海になるといいなあ やるなら子供時代からやるだろうし仏門に流された兄弟や親戚とか、足利将軍家との遠縁を匂わす演出があってもおかしくはないな。 >>463
NHKの公式によれば大河「麒麟がくる」の光秀の出自は曖昧
美濃国で牢人をしてたところを土岐家家老・斎藤利政(斎藤道三)に
見いだされて仕官するところから始まる 明智軍記の設定も無視するんなら、ぜひ光秀天海説も取り入れてほしい。
実在が怪しい直虎の大河ドラマをやってもうたんだから、それくらい平気だろ >>467
直虎は実在してただろ
江戸時代中期に井伊家が幕府に家系図を提出した際に
かつて井伊家に女当主がいたことを隠すため
直虎は関口家から迎えた男養子で一代で絶えたというのを出した 明智光秀さんも450年ぐらい未来に大河ドラマの主役になるなら
200年くらい見つからないような仏像の中とかに自伝でも遺しておいてくれれば良かったのにね
作り話や誇張しなくとも、事実だけで面白いドラマだろうなぁ 自伝書いて仏像の中に隠す暇があったらできること沢山あるんじゃないですかね >>469
光秀が自伝書いて仏像の中に入れたところで
その仏像を誰がどこで450年間保管するのかというw >>469
「自伝」に事実だけを書くとなぜ信じれるのかw 別に事実と違うことが書かれていても
今みたいにわからない事だらけの状態よりマシだと思う >>474
事実と違うことが書いてあってもいいなら
「明智軍記」でいいんじゃない >>475
光秀本人がなにを考えていたのかを知りたいから
そこからなぜ本能寺の変を起こすことになったのか推察したいから
もし、事実が書かれてなくても
自伝なら書いてある意味だけではなく、他の情報も得られるでしょ
なぜ、そう事実と違う事を書いたのか、なぜその言葉を使ったのかとか色々
そして明智光秀がどう考えていたのか掴めるところがきっとある
ゴーストライターが書いたものでも、かなり薄まるけど光秀が検閲したのならまだいい
でも、明智軍記は光秀死後、かなり後年になっての物語だから光秀自身の考えはほとんど反映されてない
ないよりましだけど >>476
本能寺のあたりは他の史料もあるからだが(光秀が嘘を書けばある程度分かる)
出自などほかに史料が何もないところへ光秀が嘘書いておいたら
それが史実として扱われたかもしれんね もし、光秀によって出自が遺されてたなら
何かしら検討の余地が残されてたと思う
ある系図の一部が合致するとか、なぜ合致しないかとかで推測の余地が充分にありそう
戦争に負けるというのは辛い事だね
全てが勝者や生き残った者の都合良く改ざんされるから
負けた者は死ぬだけでなく生きていた過去も歪められてわからなくなってしまう
秀吉は太閤記などの自伝的物語を作らせて多く流布させているけど
それが誇張があって嘘書いてたとしてもある程度推測できる
秀吉は頭のいい、自己主張の強い人だよね
(本来的な意味で)子孫が望めないと思ってたんだろうと推測する
意識してるかしてないかわからないけど、だからこそこういう自伝的な物語を作らせる衝動が起きたのかなと思う 『天皇 起源』
別に天王でも良いけど?天王宮 山王院の話でしょ
『天王 きゅうり』
むかーし住んでいた事があるんだよというところも同じ 調べてみると
天王、須・・・スメラなど、
あと、このような事を言っている人もいたり
>死ぬと○○院と呼ばれるわけですが、すべて地名がつきます。
>白川、堀川、醍醐、宇多、嵯峨、鳥羽、水尾、一条、二条、三条、花山、花園、伏見、朱雀・・・すべて都(京都)の地名です。
>ほんの少しの例外はあります。 キュウリの葉?葱の華・・・などの写っている写真、
このスレにも貼り付けたはず
それとも漫画、アニメの話なのかな
『何者にもなれない お前たち』? 自分の家(正確には当時、結婚した嫁の家)で蚕を飼い、
機織りもしていた、あと落雁のようなものを作っていて、
寺院に通っていたんだよ
落雁も食べるものではなくて供えるものだと言っていた、
米を粉にして、型にいれて固めるんだよとかw 現在、小手子の像というものが
建てられているところがあるんだけど、
そっちのほうの話、山の上のほう。 伊達郡川俣町という掲示板
スサノオ(スサノヲ?)と名乗る人がいたんだけど、
もしかして本物?または、あの写真の親戚か何かなのかな
ちなみに家は川崎(神奈川県の川崎市)に住んでいるんだけど 鷹、鳶、鷲?
むかーし、部屋に、そのような像(置物?)が飾ってあったり、
老婆が捨ててしまったから、もうないけど それにしても、おかしな
老婆が、このような事を言っているよ
と親(父親)に話をしてみても
そんな話、知らないよというだけ 上のほうに書いたかな、
もれ(仮)の言ってる光秀(親戚なんだけど)
母親の旧姓:天王宮 山王院のような名前
家は、そういう名前の家 家は兄、弟(書き込みをしている人)、妹・・・5月15日生まれ
偶然なのかな?となるでしょ 『山王 地名』だとして・・・天海=明智光秀、
寺院に通っていたみたいだよ(これは母親も言ってる)と言っていたり、
りゅーま、りょーま?が何やら〜(老婆談)とか 『亀戸天神』の話もしていた、
その伊達郡という掲示板を読んでみると、家と同じような話ばかり、
受験?などで言ったわけではないと言ってる 『天皇と天王はどうちがうのですか?』
それはそうなるだろう、
そもそも日本起源(発祥)ではないんだから 何か隠されている事でもあるのかな
『皇帝のいない八月』という作品
香野という人物(女優)が出演していたり
老婆が言うには、むかーし結婚した家があって、たしか香野とか言ったかな〜、
伊達郡の飯野というところ・・・と言っているし 偶然なのか、何なのか・・・
『白面サイ』でしょ、とあるニンジャ作品、サイ=サトシ
弟(二男)だと言ってる人がいたり >天王:
>1
>春秋戦国時代の中国において、もとは諸侯たる王と区別して、本来の天子たる王を意味する言葉。
>2
>仏教用語。
>仏教における仏の一種の名称。
>つまり、如来や菩薩、明王などと同じく、仏の種類を意味する言葉。
それにしても老婆だよ、同じようなことを言っていたし、
なぜ詳しいのか?なんだよな 『松傾』
日本の話ではないぞ
と言ってる人がいたような気がするんだけど >>1
だからガチだと言ってるのに、
まだ、わからないの? オカルト?
そのようなスレにも書き込みをしているんだけど、
話が通じない 確実だろう
『天王 スサノオ』画像をググってみると
『すばる星』『プレアデス星団』という画像も出てくる 『トヨトミミ』
グーグルで検索しても同じような画像ばかり :カブキロックス『虹の都』
:mike oldfield『let there be light』
『バトシーラー つちわらし』ググると
『最初の人間』という作品の画像が出て来たり 知恵 リンゴ関係の話だと思う、
日本では『ヒドラの市』という人物が・・・・同じ存在 ヒドラの市=三つ首の竜、蛇?
すさのお・・・同一の存在 最近、観た作品なんだけど、少年ジャンプの作品
市(市子という女のキャラになっていた)
「売国奴が何やら」と言っていたり その市子というキャラの髪の色
たしか銀髪、アッシュ 灰色?だった いつの時代の話なんだろう
臣下、配下だか知らなけど、
実際は上の人間(凄い家)だと書いてあるはず、
某という家(人物)の配下なんだけど、その家よりも上の家
シンデレラ(日本版)という話もそう、
着物を縫っていたりした家の話 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています