光秀=天海だけはガチだと思うのだが。part3
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
歴史小説家が自分の小説を売れるようにするために、歴史を面白おかしくいじくり回し、様々な新説が誕生してきた。
どれもこれも小説ネタとしては面白いが、荒唐無稽なものばかり。簡単に反証されてしまうようなものばかり。
けれど、
「惟任光秀が小栗栖で命を落としておらず、後に天海大僧正になって徳川幕府を支えた」
という説だけは、真実の気がする。
当時知っていたのは、禁裏と家康側近。
そして光秀と共に戦ったことのある徳川家武将の一部のみ。
箝口令が敷かれていたと思うし、書面に残してもいないだろう。
ただ、徳川宗家や各武将の直系の末裔は、口伝で伝え聞いていると思うのだが。。
江戸末期には、噂されていた「光秀=天海 説」…。
筆跡鑑定の結果は、
TV東京 → 光秀もしくはごく近い近親者
NHK → 本人ではないが、ごく似ている字があり、親戚縁者の可能性あり
ということだった。
さて、3スレ目。
引き続き、妄想を語れ。 >>445
その家系図に明智光秀が載っていないのだから意味がない
この意味が分からない? >>445
土岐定政は豊臣秀吉存命中に死んでいて
土岐氏を名乗ることを認めたのは秀吉だが
誰にどんな家系図出したの> 正しくは定政の子が幕府に土岐系図を提出した。
そのころ、定政が死んでいるからどうのこうのということしか言えないようだが >>448
その家系図を提示してくれる?
明智光秀の名を家系図に掲載し
明智光秀の墓を土岐氏墓所に置ききちんと供養したんだよね?
光秀の首塚とか江戸時代半ばに全然違うところから
末裔を名乗る人が出てきて勝手にやってたけど
家康が光秀を顕彰するために土岐氏再興を認めたなら
なんで土岐氏がきちんと管理しないの? おばかですか?
家系図についてはググレカス。
光秀は明智宗家ではないので、沼田土岐家は光秀のことを先祖供養する必要がない。 >>450
ネットでググっただけでものをいう史料提示できないおバカw
土岐氏は光秀を供養などしていないしそもそも土岐氏再興は光秀と何の関係もないのにw 復興されたのは土岐氏であって
明智氏は再興されていない ググる能力もないのなら、図書館には幕臣の系図が置かれているので調べるがいい。
光秀の事を調べている人なら、たいていはこの系図のことを知っている。 >>453
土岐氏の家系図に光秀は載っていないのに何言ってんだ、こいつ
光秀が載った土岐氏の家系図出せと言ったら
ググれとか図書館にあるとか光秀のこと調べてるなら
土岐氏の家系図に光秀が載ってることぐらい知ってるとか適当なこと言って
その家系図の名前を言ってごらん?
言わずに逃げるだろうなあ、そんなのないから >明智光秀の名を家系図に掲載し
>明智光秀の墓を土岐氏墓所に置ききちんと供養したんだよね?
と書いたのは>>449だ。俺は沼田土岐家は自分のルーツとして明智家の系図を
幕府に提出したと書いたのだが。誤った事実を記憶してしまう>>455は深刻な知的障害。
で、池沼に説明すると、沼田土岐家が提出した系図は寛永諸家系図伝土岐系図。
土岐定政の父は明智定明で定明以前は明智家累代の当主が記されている。
だが、寛永諸家系図伝土岐系図は、明智宗家のものだけ記されているので光秀が
出てこない。だが、美濃守護の土岐宗家の系図の続群書類従土岐系図には、
土岐支族まで記録されており、そこには明智分家の光秀が記されている。
その系図によると、光秀は土岐定政のはとこにあたる。
双方の系図ともネット上で見ることができるが、障害者には困難なのかな。 >>456
ネット自慢の池沼の説明では
土岐氏再興が明智家再興になるという説明になってないな
結局、幕府に提出した土岐氏系図に光秀が出てこないというこちらの主張を
そのまま認めてしまってるぞ、池沼 明智宗家の系図に光秀が出てこなくとも、土岐定政は光秀のはとこで明智氏嫡流。
土岐定政は明智氏を再興したが、定政は明智氏嫡流で光秀の主君になるはずだった者。
沼田土岐家は、明智家の系図を幕府に提出して、土岐に名を変えた明智氏と自認した。
懇切丁寧に説明してさしあげたが、池沼の相手は疲れる。
ちなみに明智宗家の系図に光秀が出ているとはどこにも書かれていない。
沼田土岐系図に光秀ガ~というのは>>499が騒いでいたこと。
おまえが>>499ならおまえはマッチポンプw ハトコだというのが本当だとしたら
光秀の方が嫡流のようなイメージはある
光秀の方が年上だろうし、趣味とか洗練されてて田舎で育った定政より高貴な感じがするw
定政の母の実家の菅沼氏って土岐明智の正妻になるくらいの家格だったのかな?
元々は光秀の祖父が嫡男だったけど、曽祖父との折り合い悪く廃嫡されて
弟の定政の祖父に家督が譲られたというのを何かで見たことあるけど
兄弟で家督争いをして、親は弟の方の味方するってのはこの時代、よくある話で
よくある話すぎて本当なのか眉唾だけど
光秀の年齢は丹羽長秀(天文4年 (1535年)生)と同じくらいじゃないかな?
惟住と惟任だし、初期の信長の2人に対する扱いが似てるような気がするから >>460
織田家臣内で早くから城主になり、戦だけでなく、戦後処理や統治、税の徴収も任されてるところ
信長の親族と婚姻関係があり、準親族扱いで信頼厚いところが似てるかなと思った 光秀の大河ドラマが決定だそうだけど、最後に天海になるといいなあ やるなら子供時代からやるだろうし仏門に流された兄弟や親戚とか、足利将軍家との遠縁を匂わす演出があってもおかしくはないな。 >>463
NHKの公式によれば大河「麒麟がくる」の光秀の出自は曖昧
美濃国で牢人をしてたところを土岐家家老・斎藤利政(斎藤道三)に
見いだされて仕官するところから始まる 明智軍記の設定も無視するんなら、ぜひ光秀天海説も取り入れてほしい。
実在が怪しい直虎の大河ドラマをやってもうたんだから、それくらい平気だろ >>467
直虎は実在してただろ
江戸時代中期に井伊家が幕府に家系図を提出した際に
かつて井伊家に女当主がいたことを隠すため
直虎は関口家から迎えた男養子で一代で絶えたというのを出した 明智光秀さんも450年ぐらい未来に大河ドラマの主役になるなら
200年くらい見つからないような仏像の中とかに自伝でも遺しておいてくれれば良かったのにね
作り話や誇張しなくとも、事実だけで面白いドラマだろうなぁ 自伝書いて仏像の中に隠す暇があったらできること沢山あるんじゃないですかね >>469
光秀が自伝書いて仏像の中に入れたところで
その仏像を誰がどこで450年間保管するのかというw >>469
「自伝」に事実だけを書くとなぜ信じれるのかw 別に事実と違うことが書かれていても
今みたいにわからない事だらけの状態よりマシだと思う >>474
事実と違うことが書いてあってもいいなら
「明智軍記」でいいんじゃない >>475
光秀本人がなにを考えていたのかを知りたいから
そこからなぜ本能寺の変を起こすことになったのか推察したいから
もし、事実が書かれてなくても
自伝なら書いてある意味だけではなく、他の情報も得られるでしょ
なぜ、そう事実と違う事を書いたのか、なぜその言葉を使ったのかとか色々
そして明智光秀がどう考えていたのか掴めるところがきっとある
ゴーストライターが書いたものでも、かなり薄まるけど光秀が検閲したのならまだいい
でも、明智軍記は光秀死後、かなり後年になっての物語だから光秀自身の考えはほとんど反映されてない
ないよりましだけど >>476
本能寺のあたりは他の史料もあるからだが(光秀が嘘を書けばある程度分かる)
出自などほかに史料が何もないところへ光秀が嘘書いておいたら
それが史実として扱われたかもしれんね もし、光秀によって出自が遺されてたなら
何かしら検討の余地が残されてたと思う
ある系図の一部が合致するとか、なぜ合致しないかとかで推測の余地が充分にありそう
戦争に負けるというのは辛い事だね
全てが勝者や生き残った者の都合良く改ざんされるから
負けた者は死ぬだけでなく生きていた過去も歪められてわからなくなってしまう
秀吉は太閤記などの自伝的物語を作らせて多く流布させているけど
それが誇張があって嘘書いてたとしてもある程度推測できる
秀吉は頭のいい、自己主張の強い人だよね
(本来的な意味で)子孫が望めないと思ってたんだろうと推測する
意識してるかしてないかわからないけど、だからこそこういう自伝的な物語を作らせる衝動が起きたのかなと思う 『天皇 起源』
別に天王でも良いけど?天王宮 山王院の話でしょ
『天王 きゅうり』
むかーし住んでいた事があるんだよというところも同じ 調べてみると
天王、須・・・スメラなど、
あと、このような事を言っている人もいたり
>死ぬと○○院と呼ばれるわけですが、すべて地名がつきます。
>白川、堀川、醍醐、宇多、嵯峨、鳥羽、水尾、一条、二条、三条、花山、花園、伏見、朱雀・・・すべて都(京都)の地名です。
>ほんの少しの例外はあります。 キュウリの葉?葱の華・・・などの写っている写真、
このスレにも貼り付けたはず
それとも漫画、アニメの話なのかな
『何者にもなれない お前たち』? 自分の家(正確には当時、結婚した嫁の家)で蚕を飼い、
機織りもしていた、あと落雁のようなものを作っていて、
寺院に通っていたんだよ
落雁も食べるものではなくて供えるものだと言っていた、
米を粉にして、型にいれて固めるんだよとかw 現在、小手子の像というものが
建てられているところがあるんだけど、
そっちのほうの話、山の上のほう。 伊達郡川俣町という掲示板
スサノオ(スサノヲ?)と名乗る人がいたんだけど、
もしかして本物?または、あの写真の親戚か何かなのかな
ちなみに家は川崎(神奈川県の川崎市)に住んでいるんだけど 鷹、鳶、鷲?
むかーし、部屋に、そのような像(置物?)が飾ってあったり、
老婆が捨ててしまったから、もうないけど それにしても、おかしな
老婆が、このような事を言っているよ
と親(父親)に話をしてみても
そんな話、知らないよというだけ 上のほうに書いたかな、
もれ(仮)の言ってる光秀(親戚なんだけど)
母親の旧姓:天王宮 山王院のような名前
家は、そういう名前の家 家は兄、弟(書き込みをしている人)、妹・・・5月15日生まれ
偶然なのかな?となるでしょ 『山王 地名』だとして・・・天海=明智光秀、
寺院に通っていたみたいだよ(これは母親も言ってる)と言っていたり、
りゅーま、りょーま?が何やら〜(老婆談)とか 『亀戸天神』の話もしていた、
その伊達郡という掲示板を読んでみると、家と同じような話ばかり、
受験?などで言ったわけではないと言ってる 『天皇と天王はどうちがうのですか?』
それはそうなるだろう、
そもそも日本起源(発祥)ではないんだから 何か隠されている事でもあるのかな
『皇帝のいない八月』という作品
香野という人物(女優)が出演していたり
老婆が言うには、むかーし結婚した家があって、たしか香野とか言ったかな〜、
伊達郡の飯野というところ・・・と言っているし 偶然なのか、何なのか・・・
『白面サイ』でしょ、とあるニンジャ作品、サイ=サトシ
弟(二男)だと言ってる人がいたり >天王:
>1
>春秋戦国時代の中国において、もとは諸侯たる王と区別して、本来の天子たる王を意味する言葉。
>2
>仏教用語。
>仏教における仏の一種の名称。
>つまり、如来や菩薩、明王などと同じく、仏の種類を意味する言葉。
それにしても老婆だよ、同じようなことを言っていたし、
なぜ詳しいのか?なんだよな 『松傾』
日本の話ではないぞ
と言ってる人がいたような気がするんだけど >>1
だからガチだと言ってるのに、
まだ、わからないの? オカルト?
そのようなスレにも書き込みをしているんだけど、
話が通じない 確実だろう
『天王 スサノオ』画像をググってみると
『すばる星』『プレアデス星団』という画像も出てくる 『トヨトミミ』
グーグルで検索しても同じような画像ばかり :カブキロックス『虹の都』
:mike oldfield『let there be light』
『バトシーラー つちわらし』ググると
『最初の人間』という作品の画像が出て来たり 知恵 リンゴ関係の話だと思う、
日本では『ヒドラの市』という人物が・・・・同じ存在 ヒドラの市=三つ首の竜、蛇?
すさのお・・・同一の存在 最近、観た作品なんだけど、少年ジャンプの作品
市(市子という女のキャラになっていた)
「売国奴が何やら」と言っていたり その市子というキャラの髪の色
たしか銀髪、アッシュ 灰色?だった いつの時代の話なんだろう
臣下、配下だか知らなけど、
実際は上の人間(凄い家)だと書いてあるはず、
某という家(人物)の配下なんだけど、その家よりも上の家
シンデレラ(日本版)という話もそう、
着物を縫っていたりした家の話 同じような話
wiki『シンデレラ』→『落窪物語』
落窪の姫:ヒロイン。
皇女を母に持つため、出自は継母や異母姉妹達より遥かに高いが、
継母から下女同然の扱いを受けていた。
長年針子として家族の着物や小物類を縫わされ続けていたためか、
裁縫が非常に得意。 この話でしょ
『何者にもなれない お前たち』
家の写真と同じような気がするんだけどw 『キュウリ』『葱の華』が写っていて、
むかーし、どこかの城に通い、機織りなんかをしていた家だと言っていたし
どういう事なんだろう、蚕を飼っていたとか 『須 王 津』
この話と同じような気がするんだけど、
菅原氏の事も書かれていたり
電気(発電)を起こしていたというのは、
本当は、いざなぎ、いざなみの話でしょ とりあえず、農民に竹槍で討ち取られたのは嘘なんだよ 光秀が比叡山延暦寺の土地を奪って
坂本城を築いたのに? 焼き討ち後は、延暦寺は光秀の管理下で問題もなかった。
光秀はその間、延暦寺を懐柔したのだろう ねえねえ
じゃあさ、光秀が生きてたらと仮定してだよ?
比叡山に逃げ込んででもいいし、他のところに逃げたでもいいし、
とりあえず、山崎の合戦から、ほとぼりが冷めるとするよね?
でさ
足利だって、織田有楽だっているわけだしさ、
最強・秀吉の御伽衆になればよかったんじゃないの?
天王山でぶつかったとはいえ、もともと光秀と秀吉は仲悪くなかったわけだし
切磋琢磨した仲だし
協力し合い金ヶ崎の殿軍を務めた仲だし
なぜ、わざわざ、徳川なんかに駆け込んだのかね?
「実力」や「義理堅さ」だけで考えたら、徳川よりも上杉、毛利、島津、加藤、福島、黒田なんかだよね?
そう考えると、やっぱり、本能寺の変の黒幕って、家康だからなんじゃないの?
本能寺の貸しを返してもらう意味で、徳川のところに行ったんじゃないの? 可能性1
本能寺の変は、家康と光秀の共謀
可能性2
本能寺の変は光秀冤罪で秀吉が光秀を謀反人に仕立てた フロイスの光秀評
「己れを偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった」
これが本当なら、山崎の戦いて負けたなら、天海になっていてもおかしくないとは思う
証拠も残さないで、天海の出自も偽装しそうだ >>519
いやいや、もちろんそうなんだけど、
「受け入れる側」である徳川の素地も重要だよね?
光秀が、いきなり訪ねて来たところで、シカトすりゃあいい話。
光秀に能力はあるのは明白だから、姓名を変えて重職につけるくらいまではよし。
もちろん、秀吉が首実験したことになってるから、秀吉に届け出て秀吉の顔を潰すことはできない。
自身の部下にして、土岐氏を再興させるとか、旗本として幕末まで置いとくくらいがちょうどいい。
しかし、家康のやったことってさ「幕府の指南役」に迎え入れちゃってるわけ。
つまり、自身も師事し、平伏してる。
そこまで光秀を厚遇するということは、なんなんだろうなって話。
(もちろん、光秀=天海として論じてます)
結局、本能寺の黒幕で、臆するところがあるから、光秀を厚遇したんじゃないかと…
あと…
このスレでは書かれてないけど…
家康の死の淵に際して、藤堂高虎は頻繁に見舞いに訪れたことは周知の事実なんだけど、
天海が光秀だとしたら、天海を見て高虎は何も思わなかったのか疑問です。
高虎は、大納言秀長卿の右腕だったわけだし、天王山で光秀を打ち破った主力は秀長軍でしょ。
光秀の顔はよく知っていたはず。
藤堂家の側近に何か伝わってても、おかしくないんじゃないのかなあ >>516
延暦寺は光秀の管轄下に入ったことはない
坂本に侵略して坂本城を建てた光秀は
焼失した延暦寺の伽藍をそのまま放置
豊臣秀吉の寄進まで延暦寺は死に体 光秀は延暦寺政所を置いていた。
延暦寺は光秀の管理下にあった。 延暦寺政所は創建当初からあり光秀が置いたものではない
また延暦寺から信長に直接光秀に寺領を奪われたという訴えがなされ
信長がこれを認めて光秀に返すように言っている
延暦寺にとって光秀は略奪者でしかなかった 光秀が坂本を治めていた時代、延暦寺政所は光秀の与力が務めていた。 >>523
それ、どこの資料にあるの?
延暦寺ではなく、京の東寺から光秀が横領して訴えられたのと勘違いではないの?
義昭が光秀に対して給付した八幡宮領山城下久世荘は東寺に所有権があると幕府と朝廷に訴え出ている文書が残ってる
永禄12年か元亀元年の4月のことらしい(どちらの年かはっきりしない)
この頃、光秀は幕府から恩賞を受けていた
延暦寺の所領は焼き討ちの後
信長の命で押さえて信長から光秀に与えられたのに
延暦寺が信長に訴え出ても仕方ないのでは? まだ言ってるの?ガチだと言ってるでしょ
家の親戚の話をしているんじゃないの? 上の名前は明智ではないけど光秀という名前、
母親の旧姓:『天王宮 山王院』のような名前 伊達郡に、とある山があって、
昔そこの山の上のほうに住んでいたことがある
という話でしょ ポケモソ?と信長の野望のコラボ、
光秀、フリーザ、寒い?が出て来たり これは偶然なのかもしれないけど、オズボーンの曲
死ぬために生まれてきた?みたいな曲があったり 普通に考えてもわかる、
ポケモンとか、他のゲームや漫画などもそう、
詐欺のような感じがする、原作者、原案者がいると表記されているけど?
実際は他の人(家)の話でしょ 天王(不明)の宮(家)だと書いてあるはず、
どういう事なんだろう
例えば『ボーボボ』
調べると出てくる画像とか、家の写真と同じじゃない? 『』内を調べてみて、
『葱の華』が写っていて『胡瓜の葉』も写っている?
『何者にもなれない お前たち』? 光秀天海説で一番の障害になってるのは年齢じゃないよね
明智光秀の家臣の多くが徳川家臣として取り立てられてるが
光秀直系の子孫が徳川家臣になっている者がいない事だよね
徳川幕府の重臣の家柄に明智光秀の子供でも居れば信ぴょう性があるのになと思う >>543
光秀の息子は行方知れずなので除外するが
光秀の孫は熊本藩主と旗本になっている
その旗本は大坂夏の陣で豊臣方についたにも関わらず
幕府に召し抱えである ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています