光秀=天海だけはガチだと思うのだが。part3
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歴史小説家が自分の小説を売れるようにするために、歴史を面白おかしくいじくり回し、様々な新説が誕生してきた。
どれもこれも小説ネタとしては面白いが、荒唐無稽なものばかり。簡単に反証されてしまうようなものばかり。
けれど、
「惟任光秀が小栗栖で命を落としておらず、後に天海大僧正になって徳川幕府を支えた」
という説だけは、真実の気がする。
当時知っていたのは、禁裏と家康側近。
そして光秀と共に戦ったことのある徳川家武将の一部のみ。
箝口令が敷かれていたと思うし、書面に残してもいないだろう。
ただ、徳川宗家や各武将の直系の末裔は、口伝で伝え聞いていると思うのだが。。
江戸末期には、噂されていた「光秀=天海 説」…。
筆跡鑑定の結果は、
TV東京 → 光秀もしくはごく近い近親者
NHK → 本人ではないが、ごく似ている字があり、親戚縁者の可能性あり
ということだった。
さて、3スレ目。
引き続き、妄想を語れ。 父親が秀忠で母親が春日局ってだけでしょ?
家康が父じゃない 個人的には同一人物であって欲しいけど肖像画が全く似てないのはなんだかなあ
光秀は美男子だけど天海は違うし >>886 >>887
またこんなことをw
徳川家光は将軍になると江の父浅井長政に
自身の外祖父であるという理由で中納言を追贈
春日局が実母なら春日局の父斎藤利三が中納言 天海が本当に甲冑着けて戦場に同行したのなら、完全に光秀だな 金地院崇伝も、安国寺恵瓊でさえも、甲冑は着けなかったんだじゃないの? もと武士だったのでは?という話ならわかるが
イコール光秀になる理由がわからないなあ 春日局がお久しゅうございますと言ったんだから、光秀決定なんだよ。 >>900
本能寺の時に4歳だった春日局が光秀の顔を覚えてるかよw
だいたい幼女だったのに光秀に会ったことないんじゃない >>903
おまえ、4才のときに親戚の顔を見分けられなかったの? 4歳の時に会ったきりの人が名前を変えてたら無理だな 名前が変わっていても、25年ぶりに会った叔母を見分けられた俺は天才。 >>906
光秀は春日局の親戚じゃないだろ
お前は4歳の時に会ったっきりの親父の会社の上司の顔を
20年後に見分けられるの どっちとも言えないが…
斎藤家にとって、光秀は親戚以上、神様のような存在だったでしょ
お福が乳母になったのは25歳くらいだから、もし光秀が天海だったとしたら20年ぶりの再会…
それくらいじゃ見分けられるのでは?
また、これも天海=光秀という大前提だけど…
天海に会う前に、「実は、おまえの元主君だ」って聞かされた上で会わされたんじゃない?
だとしたら、顔を覚えてなくとも「お久しゅうございます」は不自然じゃない。 斎藤利三は主君変えまくって光秀に従ったのは晩年でしょ
もとは光秀の同僚だった時期もあるらしいし神様なわけがない 父親が光秀なんかに仕えなければ春日局は4歳で
路頭に迷うことにもならなかった
光秀のことは怨んでいたと思う 久しぶりにあった人全員に当てはまるんだから
完全に無意味な話だよ 権勢を誇った春日局が、そこまで低姿勢なんだったら、「かつての主筋」だろうね >>869
>光秀は天台宗総本山の比叡山に身を寄せたというのです。
>寺では、信長に焼き討ちをされたので、その敵を討ってくれた光秀を優遇したといわれています。
ノリノリで焼き討ちを率先した光秀を匿うはずがない 最近の説かと思ったら、江戸時代中期くらいから言われていたものらしいね 天海の豊臣潰しが熾烈すぎるので
余程豊臣家に恨みを持つ者だという推測から出た話 豊臣に恨みを持つものなら光秀以外にもいっぱい居るぞ。織田家のほうが恨み強そうだけど >>925
家康は秀吉も嫌いだったが信長も嫌いだった
織田なら重用せんだろ
織田信雄や織田有楽斎は大坂の役のギリギリまで
姪の淀殿のところにいたというのもあるし >>924
てか家康の豊臣潰しだろ?天海はサポートしたにすぎないから うん。だから秀吉には話を通さずに事を起こしたんだろうね。
細川も秀吉も味方にならなかった恨みから、天海になってから豊臣つぶしをしたのだろう。 天海は豊臣に対する復讐を果たしたというが
天海=光秀なら秀吉に討たれていないことになる
つまり前提が破綻している
そもそも家康は本能寺の変直後に自分をついでに討とうとした男を側近に使うか?
駿河の人質時代に怒られた侍を数十年後駿河領を支配した時に処刑したほど執念深いぞ 討たれていないから、復讐できたのでは?
頼朝も清盛に討たれずに済んだから復讐できた
あなたは歴史を復習なさい >>939
光秀が天海かどうかにかかわらず
神君(=東照大権現。家康の事)伊賀超えは眉唾物だと言われてるだろ 光秀が天海かどうかにかかわらず
本能寺の変を家康が知っていて対処した可能性はある
つまり光秀と家康は通じていた
それは秀吉も同様で…
だとしたら、光秀は秀吉に怒りをもっていたとしても不思議じゃない… >>942
秀吉は本能寺の変を聞いた後で毛利と和睦している
信長・信忠が死ぬと最初から分かっていたら
無謀な中国攻めなどまともにやらずのらりくらりしてたはずw 中国大返しも神君伊賀越も怪しいよね
明智が信長を討とうとしてる情報を秀吉も家康も知ってたと思う >>945
じゃなぜ、それを信長に知らせないの?
秀吉も家康も、知らせれば恩賞間違いなしだが 信長が死んでもらった方が良いと皆が思ってたから黙認してたんだろ。 それはない
個人的に攻撃を受けた奴はそうだろうが
戦乱の世や混乱がある程度落ち着いて来たのだから
信長は必要 泰平の世の天下人という意味ではそれは信長でなくても良かった。実際ぽっと出の秀吉でもある程度務まったし、最終的には源氏長者の徳川家康に渡ったが、誰も信長の天下を望んでた勢力は無かったよ >>950
誰もいなかったって、当時生きてたわけでもないのに >>951
まああの頃は大変だったな。、昨日のことのように思いだすよ 信長って、対抗勢力とこき使われた直参には嫌がられたかもだけど、民衆や素直に従った人にとっちゃ良い人だったんじゃ… 寧々に送った手紙など、信長はいい人としか思えない。 天海が光秀だとしたら、一族郎党がみんな死んだのに、自分だけ生き延びた未練者ということになる
光秀がそんな人物だったとは、思いたくない >>940
光秀が天海に化けた過程を誰にも納得できるように説明できるなら
キリストが日本で死んだという説も多分説明できる
平知盛が対馬宗氏の先祖に成ったという説の方がよほど信憑性がある フロイスの光秀評があるから
天海の正体は明智光秀じゃないのか?と思っちゃうよね
「裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、
独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、
戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。
また、友人たちの間にあっては、彼は人を欺くために72の方法を深く体得し、かつ学習したと吹聴していた」 昔YouTubeにあった動画(1990年代のテレビ番組) で初めて光秀=天海説を知った
児玉清がレポーターやってたな
岩辺晃三という光秀=天海説を推す人が出ていてちょっと調べたりしたわ 敵は、(エリカ様の)本能にアリ!
(※ MDMAシャブSEX )
エリカ様 NHK大河ドラマに、ご謀叛!
是非もナシ・・・
(※ 主役が明智光秀だし、しょうがない罠w) 勝手なこと書くな。
エリカ様は、シャブはやってない!
頭脳派のジャンキーだぞ! 信長から家康殺害を命じられた光秀が、一世一代の賭けに出て
家康に全てを打ち明け共闘しようとしたが
家康が裏切った、或いは初めから了承したふりをして状況を見て動くつもりでいたが
流石に秀吉の大返しまでは予測できなかった。
家康は秀吉が死ぬまで、こいつも自分とは別ルートの謀略に絡んでいたのでは?と疑り続けたに違いない。
おそらくは秀吉と二人だけの場で、さり気なく信長の話題を持ち出して反応を伺ったりしてたんだろう。
死にかけの秀吉から秀頼のことを頼むと言われた時に、家康は内心せせら笑っていた筈。
「老いぼれが…アンタがしたことを俺がやっていけない道理があるのか?」とね。
もしかすると人払いをして、本能寺の件は事前に知ってたんでしょ?と秀吉の耳元で囁いた光景すら妄想してしまうな。
概ね、明智の子孫の人が言っていることに同意する。 俺は、明智の子孫と言われてる人は明智の子孫じゃないと思う
本当の明智の子孫は、今上天皇 >>969
自称子孫の説は、学会ではまったく相手にされていない
子孫の本なんか読むくらいなら、鈴木眞哉、藤本正行の本を読んだほうがいい >>820
光秀本人を知ってるはずの織田有楽斉や織田信雄は家康や秀忠夫妻と親しくて、江戸城にしょっちゅう出入りしてるぞ。天海が光秀だったら絶対バレる。天海=光秀説が信じられない一番の理由だな。 あと細川忠興なんかも、光秀の顔を知ってるから、江戸城ですれ違えば、すぐにバレる 江戸城で光秀にペコペコする家康や秀忠を見て、忠興は肝を冷やしたろうな
忠興が味方についたら、下剋上が成功したやもしれん いやさすがに天海に扮した状態なら光秀時代を知ってる人物とは遭遇しないように行動したしできただろ。細川忠興が来そうな日程や場所なんてのは全部把握して避けてたに違いないよ。 >>976
諸大名は参勤交代で江戸屋敷にいるときには江戸城への登城義務があるから
どのみち会ってしまうんだが
日光東照宮の采配も任されていたから諸大名にそれぞれ工事分担したのも
天海だろうし 殿中で顔を合わせても、表立って
「お身は、日向守どのでござらぬか」
と言えぬ、我々のつらさよ。 会う事があって
似てるなーとは思ったけど
だいぶ前に死んだ人だし
家康と光秀の繋がりは知れてないから
まず、他人の空似程度にしか思わなかったと思うよ
喋ったら声でわかる人も居たかも知れないけど
喋らなければ良いわけだし
その辺は明智光秀なら人を欺く事は簡単だ 関ヶ原に出陣してたぐらいだからただの坊主じゃないよ わかるとしたら、信長の遺児や弟たちくらい?
もちろん忠興や津田信澄くらいのつながりだったらわかるとして、他の大名レベルじゃ、わからないだろ。
光秀と居並び信長の軍議に参加してたくらいの連中じゃないと、判断は難しいと思われ。 >>979
4歳の時に会ったっきりの春日局が一目見て光秀だと気づいたのだから
よっぽど特徴的な顔してたんだと思うよw
幼児でも忘れられない顔だから他の大名たちなど一目瞭然w >>981
ルイス・フロイスでも光秀の顔を見たことあって人となりを知ってるのだから
織田家家臣や友好関係にある諸大名は広く知ってたはずだよ
光秀は一時期信長の命令で京都に自宅を構えて住んでいて
信長の使いで天皇や公家のところへもよく行ってるからね
そっちからも公家の日記やお湯殿日記に残ってないのがおかしい 光秀は信長の命令で天皇や公家のところへ行っていただけで
別に親しくなかったらしい
光秀は近衛前久の自宅から出撃したという噂を建てられた前久が逃げ回ってるが
前久自体、武家と親しい嫌われ者だったから流されただけらしいし
他の公家は光秀のことなど誰もかれも知らん顔 >>984
そんなお前におススメの本がある
鈴木眞哉・藤本正行「信長は謀略で殺されたのか」(洋泉社歴史新書) レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。