邪馬台国畿内説 Part284
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邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
もう確定なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ更なる真実を探求しましょう。
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1507019410/
◆1(女王所都)
奈良県桜井市に所在する纒向遺跡が2世紀末に人為的・計画的に建設された前代未聞の巨大祭祀空間であり、また北部九州を含む列島各地の文化を受容し融合し、そして全国に発信する中枢的な場であったことは、夙に知られている。(◆2,FAQ38参照)
現・纒向駅近くに東西軸上に複数棟連続して計画的に建築された大型建物群(4棟まで発見済み)は、3世紀前半のものと公式発表されている。
居館域は桜井線西側のみでも東西150m、南北100m前後の規模を持ち、大小それぞれ構造・機能を異にする複数の建物が方形の柵列に囲繞されており、重要な古道として知られる上つ道に接面している。これに比肩するものは、弥生時代に存在しないのは勿論のこと、飛鳥時代まで見当たらない。大型建物の傍(大型祭祀土壙SK-3001)で宗教的行事が行われた痕跡も発見された。
この建物群は、位置関係から言って三輪山及び箸中山古墳と緊密な関係が推察される。建物廃絶の時期と箸中山古墳建設開始の時期が近いこと(FAQ10参照)を勘案すると、三輪山と関係の深い宗教的指導者がここに君臨し、死後に箸中山古墳に葬られたと考えるのは合理的である。この大型建物群と箸中山古墳そして上つ道の位置関係には、トポロジー的に咸陽と驪山陵を想起させる。
箸中山古墳は、日本列島広域各地の葬制を総花的に集約した定型化古墳の嚆矢であり、初期ヤマト政権の初代王墓と考えられるが、被葬者が女性であるという伝承にも信憑性(◆3参照)がある
乃ち、その葬制の総花的性格から初期ヤマト政権の初代王は各地の首長に「共立」され求心的に集約された権力基盤を持つ者であり、かつ女性と考えられる。その死亡時期は3世紀中葉(FAQ30参照)である。
この地に、青銅鏡や武具、新たな土木技術や萌芽的馬匹文化(FAQ21参照)、列島に存在しなかった植物の花粉等(金原2015)など、中国文化が急速に浸透する時期は、列島が魏晋と通交した時期と重なる。
ほぼ同時代史料である魏書東夷伝倭人条(魏志倭人伝)の記事と上記の考古的諸事実を突合すると、箸中山古墳の被葬者は曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、◆2〜8に詳述するとおり、ここ纒向が女王の所都である。 九州北部も女王国に征服された地域だが、
邪馬台国=ヤマトの地も女王国に征服され地だからな。
邪馬台国なんて有難くも何ともない。
山城を除く畿内(河内、和泉、摂津、ヤマト)が元々の狗奴国だろうね。
倭国大乱、2世紀末のヤマト征伐でヤマトの地は女王国の支配下になったんだね。
卑弥呼は、ヤマトの地に駐屯する。
女王のいるところ=都。
邪馬台国とは単なる大和盆地を指す地域名。
卑弥呼を王とする国=女王国=(新生)倭国 >>849
こんなふうに具体的な例を何も出せないのが短里説なんだよね >>741
>1万2千里は1里75m換算だと むしろ畿内の方が当てはまるようだが?
直線距離で ソウルー福岡間 530km ソウルー奈良間 856km
12000×0.075=900(km)だからな <
「南→東」などの方向の嘘吐きダマシや、
部分行程の隠蔽をしているから、×だよ。 >>849
史料事実からいちばん遠いのが古田説でしょ >>742
これが「南→東」などの嘘吐きダマシの大和説の全部w。 >>744
何だ?、自分らの、
あまりの「嘘吐きダマシ」の驚愕の事実に、
言葉も出ないのか?、大和説者は。 >>748
「南→東」の嘘吐きダマシの大和説の負け惜しみが、
実に心地よいなぁ 。 >>854
「南→東」?
南向きに出発すれば行き先の大和はどっちにあってもイイんだろ?
古田説ってそういう説じゃないの? >>858
論破された九州説がまた思考停止してオウム返ししているね ヘイトスピーチって>>856->>858みないなやつのことだよな >>752
>仕方ないな 道のりを考えて特別にそれぞれプラス100kmすると <
ダメだよ。
道のりは、直線の2〜3割の増加だよ。
>ソウルー福岡間 630km ソウルー奈良間 956km
ありゃ 12000×0.075=900(km)だから
道のりを計算に入れてもまだ短里の1万2千里は畿内を指してるな <
ありゃ?、この男は、まだ「南→東」などのウソ付きダマシをしているばかりではなく、
不彌國で1万2千里が殆ど終わっている事も、伏せて隠しているよ。 漢書西域伝が1万2千里前後だから東夷の倭国も最初から1万2千里なんだよ >>862
行程に島の大きさを水増ししちゃうウソ付きダマシだね >>849
証拠なんてすぐ出せるんだぞ?
なんでそんな簡単な事に思い至らない?
そんなに恥をかきたいのか? >>862
2〜3割増しか仕方ないな
ソウルー福岡間 530km
ソウルー奈良間 856km
の2〜3割増だから
ソウルー福岡間が530+106〜159
ソウルー奈良間が856+171〜257
道のりは
ソウルー福岡間 636〜689km
ソウルー奈良間 1027〜1113km
ありゃ1万2千里は短里だと
12000×0.075=900(km)だから
これでもまだ短里の1万2千里は畿内の方が近い事になるな >>862
不彌国まで1万7百里で
残り千3百里以上ある事をこの男は黙っているよ 女王国までが1万2千里とあるのだから
行程の合計も1万2千里にならないとおかしい
島の大きさを加えないと1万2千里にならない
陳寿は島の大きさも行程距離の一部として書いてるな。 >>870
九州までで1万2千里にならないとおかしいって事を
アンタはいいたいのか?
1万2千里は九州を指しているはずだから
対島、壱岐島の周囲の大きさが
行程に含まれていたはずだというのは循環論法に当たる 渡海→島に到着→島の説明→渡海→島の到着→島の説明→渡海
島の大きさを足すべきですな。 >>874
「島に到着」ってウソ書いてる
やっぱり九州説は詐欺 わからないわからない
わかってしまうと九州説になってしまうw 海の部分は対馬海峡のところだけだからなあ。
渡海と島の大きさが別で納得でしょ。
違うなら対案を示したらあ?
(どうでもいいけどw >>872
女王国までが1万2千里とあるから
行程距離にも1万2千里が出てこないとおかしいってこと
九州までで1万2千里にならないとおかしいって事じゃない。 上のほうに書いた
神聖・・・国と同じだと思う
実際は多民族国家? >>881
残りが1300余里だって誰でもわかるでしょ >>881
なら考え方としては
日数表記の部分が残り1400里に相当するんだろ
畿内説は行程なんぞはアテにはせんけれど 本当にどうでもいい。
帯方郡から邪馬台国までの一万二千里のうち、朝鮮半島で七千里、対馬海峡で三千里であることは明記されているんだよ。
島を加えようが加えまいが、残り二千里、対馬から九州の距離では九州北部を出ないだろう。
何をごちゃごちゃ言っているんだ。 >>885
>畿内説は行程なんぞはアテにはせんけれど
畿内説だと魏志倭人伝に矛盾するからでしょ。
邪馬台国は畿内じゃないってことだよ。 >>887
いやアテにしてもいいんだよ
短里で1万2千里は九州より畿内を指すからな
だけど短里は資料的に裏づけがないから
短里はあった、1万2千里は機内を指しているという風にしないだけ >>882
もわっとした話じゃなくって、自説の邪馬台国に至るだけの対案を示したらあ?
(どうでもいいけどw >>886
どうして出ないの?
いつも
理由のない九州説 >>889
語り尽くされてることだから今更いう必要もない >>886
上陸してからたった7百里で北九州の端の不彌国まで行くんだぞ
残り千三百里もあるから畿内も十分考えられるんじゃね 島の大きさを水増しするなんて古田説だけでしょ
賛同者のいない珍説だ 古田説もある程度の古代史の知識を持って見れば
いかに適当な事言ってるのか良くわかるよな >>894
津屋崎から三輪までドンピシャ
約1300魏里だよ 逆にわざわざ島の大きさが明記されているのに足さない理由ってなんだよ? >>898
逆に現在九州→四国→本州と車でドライブしたとして
四国の外周の大きさを行程に加えるかよ >>899
四国の大きさは行程に加えるね・・・
つか、お前の例えがお前に不利すぎて
憐みの涙が止まらないw >>900
帯方郡から狗邪韓国までも、沿岸航海ではあるが、基本的には陸地の大きさ。
三国志も大陸国家の書物だから陸地の距離記載ばかり。
むしろ渡海の部分のほうが異例であって、
陸地である島の大きさは足さなければならない。 他の国と同じ記載法
国から国と書いてあるのに
島の場合だけ島の端までの距離だと解釈するアドホックさが異常 九州→四国→本州と車でドライブしたなら、
渡海部分はゼロで、
「島の大きさだけ」を行程に加えるねw >>902
なぜ島だと大きさを足さなければならないんだ?
理由は? >>901
ほぉ
A県から10km海を渡った所にある1周5kmの島B島
そこからまた2km海を渡ればC県です
A県からC県までは何km離れているでしょうとある時に
お前は17kmと答えるのか? A県から10km海を渡った所にある1周5kmの島B島
そこからまた2km海を渡ればC県です
A県からC県までは何km離れているでしょうとある時に
お前は17kmと答えるのか?
17kmじゃん たのむ、畿内説
もうやめてくれえw
寝る前に大笑いして眠れなくなるwww A県から10km海を渡った所にあるB島がある
B島は1周5kmの島
そこからまた2km海を渡ればC県です
A県からC県までは何km離れているでしょう
10+5+2=17kmでしょ。 >>914
イヤ違う
ならこれならどうだ
A県から10km海を渡った所にあるB島がある
B島は縦横5キロ平方メートルの島
そこからまた2km海を渡ればC県です
A県からC県まで行くのに何km移動したでしょう
これは流石に17kmじゃないだろ >>920
「B島がある」ではダメ。
「B国の首都がある」でないとね。 A県から10km海を渡った所にあるB島がある
B島は縦横5キロ平方メートルの島
そこからまた2km海を渡ればC県です
B島に上陸したなら、素通りと考えて、
10+5+2=17km
上陸しないなら、
10+5×2+2=22km >>921
アホの九州説が責任転嫁してるだけ
気がつかない.>>914が低脳 スゲェな九州説
これじゃ短里による行程論とかアッサリ信じ込むはずだ A県から100km海を渡った所にあるB島がある
B島は縦横5キロ平方メートルの島
そこからまた200km海を渡ればC県です
これなら300kmでもありうるかな。 A県から10km海を渡った所にあるB島がある
B島は縦横3キロ平方メートルの島
そこからまた10km海を渡ればC県です
これなら島の大きさを入れなくちゃね。 いやさすがにネタだよな?
畿内説一同ドン引きですぞ >>927
B「島」と言ったらダメだ
それじゃ類例にならない
倭人伝では「島」じゃなくて「国」と言ってるんだから >>928
海の距離に比べて陸の距離がそれなりに大きいから。
逆に
>>899だと、海の部分は行程にいれないでしょ。 もしかしてアレか
数字出てくればそれ全部足しちゃうとか a県の県庁があるA市から100km海を渡った所にb島のB市がある
b島は縦横5キロ平方メートルの島
そこからまた200km海を渡ればc県の県庁があるC市です >始度一海 千餘里 至對海國
海を渡って千余里で、対馬国に至る。
そして対馬の大きさがわざわざ記載されている。
別物ですなあ。 >>936
まあ、特段記載がなければ
A市からC市に行くに
海を300kmほど渡る事になるな
B島内を何km移動してとかないからな >>940
けど実際は、
A市からB島まで10km
B島は5kmもあって、
そこから10kmでC市だからねえ。
B島の5kmは無視できない大きさ。 >>941
倭人伝は「B島まで」みたいな書き方はしてないから詐欺 >>941
島がいくら大きくても
「島内を何km移動した」とか書いて無ければ
移動距離がわからないからむしろ行程に足せない
そもそも島なら到着した港と出発する港が
普通なら同じだから
わざわざ島内を移動するとは考え辛い A市からB島=B市まで10km
B島=B市は5kmもあって、
そこから10kmでC市。
B島=B市の5kmは無視できない大きさ。 A県から10km海を渡った所にあるB島がある
B島は縦横100キロ平方メートルの島
そこからまた10km海を渡ればC県です
このとき、A県とC県の距離は20kmでしょうか >>945
「B島=B市」とか言い出すのは、さすがクズ説だな 方可四百余里
方可三百里
詳しく書いたのにね。
一万二千余里を計算したA型の陳寿さんが嘆いてるぞ。 どうやらキロメートルと
平方キロメートルの区別がついてないように思える レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。