関ヶ原で西軍が勝つにはどうすればよかったんや
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多分これについてはよく議論されてるんやろうけど、話したくなったw
一つ一つの出来事を詳しく書いていってほしい 毛利秀元は、豊臣秀長の娘(秀吉の養女にもなった)である大善院の婿のはず。
関ケ原の戦い当時も大善院は存命のはずだから、秀頼の出陣が無理なら、大善院を連れて行って、関ケ原における名目上の大将にしたら良かったんじゃないだろうか。
豊臣家の血縁だし、秀次たちも秀吉の姉の子で女系だったので、秀頼の子どもが育たなければ、大善院の子どもが(できたなら)関白になる可能性すらあった重要人物。
東軍にはお勝の方もいたみたいだし、西軍に大善院が居たって不思議は無かった。 >>221
豊臣の音頭を取っていたのが家康その人だったんですけど >豊臣の音頭を取っていたのが家康その人だったんですけど
家康が寿命が尽きるまで豊臣家の音頭を執っていれば、西軍の勝ち。 徳川家康を「豊臣政権の執権」につなぎとめ、徳川宗家代々がこの地位に就く形に持ち込めれば、豊臣政権は維持されたといえるわな。
でも家康がそんな鎖を引きちぎって幕府を開いたのは、秀吉死去時で250万石という卓越した石高を持っていたから。
これはもちろん、秀吉自身が関東に与えたものだが、これぐらいしないと転封を承知しないと思われていた。
つまり、問題の源泉は、
天正壬午の乱で家康の旧武田領蚕食を牽制しなかったばかりか、影で後押ししたという秀吉の致命的戦略ミスにある。
あの時、家康ではなく上杉を支援して諏訪湖ぐらいまで取らせれば、家康は関東に移封させても100万石程度で済み、
五大老筆頭のまま、豊臣政権を壟断するだけで済んだ可能性が高い。 秀吉存命中に、秀頼、宇喜多秀家、福島正則、加藤清正のいずれかを征夷大将軍にしていればどうだろう?
関ヶ原に勝っても、家康に幕府は開けない。 秀吉存命中でも家康には遠慮せざるを得ない状況だったんだから、
秀吉が死ねばすべては家康次第、という状況になるのが必然。
秀長・秀次と貴重な一門を失った段階で秀吉は詰んだのかもしれない。 天正自身が無ければ、秀吉は家康に総攻撃を行い、家康は滅んでいた、というが、
この時家康は北条と同盟していたしその北条と伊達が同盟し、上杉・佐竹連合と対峙していた。
島津や長曾我部も反秀吉だったから、秀吉の味方で目立つのは毛利、大友、上杉、佐竹ぐらいしかおらず
、調略次第では家康勝っちゃうかも、という形成。 >>226
幕府を開いたらそれには逆らっちゃいけないと家康が考えていたとでも?
秀家「さあ、オレは将軍だぞ」
家康「知るか。宇喜多なんか滅ぼしたるわ」
清正、正則「俺は将軍だぞ」
家康「知るか。お前らなんか滅ぼしたるわ」
清正、正則「すみませんでした、あなたに従います」
大野治長「秀頼さまが将軍です」
家康「知るか」→あとは史実のように 秀次が切腹した段階で詰んだ。
この段階で豊臣政権の存続は諦め、家康へ諸大名の前で公式に禅譲し、
秀頼の後見を頼めば、家康も自分の政権の下で面倒をみたかもしれない。 >>229
そんなことは考えてないよ。
でも、関ヶ原後に将軍になったから、諸大名は臣下の礼をとったわけで、将軍になれなかったら、家康も諸大名も豊臣家臣のまま。
家康が言うことを聞かすためには、豊臣を叩き、各大名をひとつひとつ潰していかなければならない。
家康にそれほどの時間は残されてないよ。 黒田家を味方に付けてたら勝てたな
その後天下を掠め取られたとは思うが >>232
将軍になったら誰でも従うのか。
じゃあ足利にさからった信長はなんなんだろうな。 >>234
232をよく読みなおして、落ち着いて説得力のある反論をしてくれることを期待してるよ。 家康が将軍になったって臣下の礼をとらなかった武将も数多くいたんだけどそれはどう説明するんだか 将軍になっても実力が伴わなければいうことを聞かせるなんて無理だと思うけど? 加藤清正や福島正則を征夷大将軍に任官させるような朝廷工作をだれがやるのか?
それに朝廷だって一大名程度を征夷大将軍になんか任命するわけないだろ。 >>238
226では「秀吉が存命中に」とあるね。 >>236
>>237
232をもう一度声に出して読んでみよう。 >>241
ちゃんと読めてないのにどうしてそんなこと言えるのかな?
幼稚とか批評するのは、説得力のある反論ができないからみたいに見えるよ。 まず、任命の件。
秀吉存命中ということは、対外戦争中ということ。豊臣姓の外征将軍を征夷大将軍に任命することは道理にかなう。
しかも秀吉の意思であれば、何の障害もないよね。 次に将軍の権威の件。
仮に加藤清正が将軍になり、その後歴史通りに関ヶ原が展開したとしよう。
清正は東軍だし、将軍を罷免するわけにはいかない。
そうなれば、家康は豊臣政権の大老として主君秀頼の名のもとに戦後処理をするしかない。
家康が諸大名を臣下にするのは、個別に行うしかなく、そんな状況で九州にいる将軍清正を倒すには何年かかるやら。
さらに秀頼を滅ぼすとなると、時間がかかりすぎて家康の寿命が尽きるだろう。
実力を伴わない将軍に従うものは少ないが、権威のない実力者に従う者もそう多くないのだよ。 加藤清正は秀吉在世中は豊臣子飼いの一大名に過ぎないし、出自的に無理だろ。
家康は任官された時点では400万石の石高と内大臣の官職をもっていたし、
家系図を新田家傍流に書き換えて任官されるように土台を入念に準備している。 家康を征夷大将軍させない、秀吉が在世中に意図していたなら、
足利義昭にそのまま任官を続けさせることで、名誉職にさせていたはず。 >>246
加藤清正と福島正則は豊臣姓で秀吉と血縁関係もあるから、少なくも秀吉存命中には問題なく征夷大将軍になれる。
外征将軍だしね。
初代征夷大将軍坂上田村麻呂の出自は東漢氏で、それほど貴種というわけではないね。 >>247
なるほど、そういう手もあるかもね。
ただ、足利義昭は秀吉より先に死んでしまったんだよね。
空席になった将軍職が名誉職であり続けるかどうかは微妙かもしれない。 >初代征夷大将軍坂上田村麻呂の出自は東漢氏で、それほど貴種というわけではないね。
少なくとも朝廷の直臣であり、豊臣の陪臣である福島や加藤と同列ではないし、
近衛府勤務からスタートしていて、天皇に対する信任に至っては別格。
そんなゴリ押しで朝廷相手に紛糾するぐらいなら足利家をそのまま継続させて将軍家とした方が効率が良い。 >>226
秀頼は豊臣家なんだから関白にはなれても武士の頂点である征夷大将軍はなれないんじゃないかな? 宇喜多や加藤や福島は血統の面から不安要素が多いし >>229
そもそも家康に将軍任官を豊臣は後押ししてたやろ 四の五の言わずに三成が単体で東軍蹴散らせば良かったんだよ >>250
東漢氏は渡来系でもともと蘇我氏の陪臣のような氏族だった。
同じ源氏とはいえ源頼朝の陪臣(御家人)だった足利氏が将軍になったわけだから、摂関家である豊臣姓の加藤、福島が将軍になるのがそんなに無理とは思えないな。
小早川秀秋も関白になれると自他ともに思っていたわけでしょ? >>251
豊臣政権当時、武家の棟梁は武家関白だよ。 >東漢氏は渡来系でもともと蘇我氏の陪臣のような氏族だった。
田村麻呂自身は近衛府から出仕して紛れもない直臣だし、天皇の信任は歴史的にも稀に見る厚さ。
加藤や福島なんか当時の天皇からすればどこの馬の骨か分からぬ上に、秀吉の子分に過ぎない。
秀吉がゴリ押ししたとしてもそのせめぎあいの姿を諸大名に晒し、時間を浪費するだけだろ。
>同じ源氏とはいえ源頼朝の陪臣(御家人)だった足利氏が将軍になったわけだから、
源氏の分家筋だし、全国の武家を二分する一方の指導者だろ
>摂関家である豊臣姓の加藤、福島が将軍になるのがそんなに無理とは思えないな
加藤や福島が豊臣本家を乗っ取る形で諸大名に号令する立場になり、家系図も源氏なりそれなりの家に書き換えればなれるかも。 豊臣の家臣内ですら内輪もめするような加藤や福島が
征夷大将軍を名乗るだけの統率力には値しないだろ。
足利のような確かな血筋でもないし。 >>256
坂上田村麻呂のときの桓武天皇と、秀吉が関白になって以降の天皇じゃ持ってる権力が全然違う。
せめぎあいになんぞならんよ。
実際、秀吉は臣下を内大臣やら大納言にもしている。
あと、足利が源氏の分家筋なら、加藤福島小早川も豊臣の分家筋。
豊臣は摂関家で武家の棟梁だから、わざわざ源氏になどなる必要はない。
あなたは、源氏や将軍を特別視しすぎなんじゃね? >>255
だよなぁ…
征夷大将軍ガーという議論は、滑稽以外の何物でもないw >>255
秀吉が五摂家に取り入ったから関白になれたわけだからあくまで貴族の官位じゃん? 武士の頂点は征夷大将軍だと思うんだけど >>253
関ヶ原での三成って細川と黒田に入れ代わり立ち代わり攻め込まれても頑張って持ちこたえてたよな >>261
豊臣姓を下賜されて武家関白家となったよ。
武家関白は貴族の官位ではなく、武家の棟梁として認知されているから、秀吉は将軍を置かなかったわけだ。
自分の意のままに動かせる傀儡将軍が必要なら鎌倉幕府みたいに摂関なり親王なりを据えれば済むことだけど、そんなものは必要無かった。 >>257
鎌倉幕府四代将軍は摂家の非嫡子で、しかも3歳の幼児だったから、摂家分家筋も統率力も天皇の信任も全く問題にならないということだな。 >>264
なるほも あと気になったのは豊臣姓を下賜されたのは太政大臣になってからだと思ったんだけど違ったかな? 坂上田村麻呂は長年失敗してきた奥州平定に成功したし、天皇の近臣として厚い信頼を寄せられた。
頼朝や尊氏は源氏の血筋で、しかも多くの武家従えていた。
福島や加藤は豊臣の配下としては猛将かもしれないが、それまで叙任された征夷大将軍
としては豊臣家配下として同僚といさかい起こしている程度の人物で小物過ぎるし、
血筋も頼朝や尊氏に比べ不確か、大名としても二〇万石程度と小身、
少なくとも利家のように仲の悪い三成と清正を丸め込んでまとめる度量ぐらいは必要。
。 >>265
ある程度支える武力があればな
鎌倉には北条がいたから将軍が雑魚でも倒れなかった
しかし豊臣にはそんな勢力はないんでね
徳川が絶対服従なら話は別だけど >>268
秀吉に武力が無いとか不思議なことを言う人だね(笑) 加藤、福島の征夷大将軍に成れるか問題点とかw
こんな続くから逆に信憑性あるのかな >>269
秀吉亡き後の秀頼にないっていう話だろ。関ヶ原の時秀吉は存命だったのか?
ちなみに加藤福島が将軍になったら将軍の権威にひれ伏す連中連れて東軍についてしまうわw >>271
一番初め>>226に「秀吉存命中に」とあるよ。もはや、君に説得力ある意見を
求めるのは無理のようだね。
秀吉存命中に、朝鮮出兵時の司令官を征夷大将軍に叙任することが可能だというのは、もはや議論の余地が無いと思う。
「将軍ガー」君の蒸し返しに答えるのはこれで終わりにする。さようなら。
問題は、その場合でも関ヶ原(のようなもの)が起きて、徳川の世が訪れるかどうかということ。
俺自身は、それについての考えは固まっていないが、最終的に徳川の世になったとしても、そのプロセスは史実とは違った様相を呈するのではないかと思う。
賢明な諸兄のご意見を賜りたい。 つうかだなあ、太閤が自ら乗り出して、隣国の征服作戦に邁進しているその期間に、
何が悲しくて、部下にわざわざ征夷大将軍になってもらおうとするんだよ('A`)
そんなわけわからんことをして、唐入りの作戦遂行に、何かプラスにでもなることがあるのか? 天皇を北京に移して秀次を明の関白に、宇喜田秀家を日本の関白にするという
秀吉のアジア構想が実現すれば、家康の征夷大将軍もありえるかもな 諸国大名を腕力で黙らせて
最終的には帝の認定を貰う
これが長らく日本の最終的秩序だな 唐入りしたことがすべての元凶だな
朝鮮の冬の寒さに耐えきらず凍死者だしてるようじゃ華北も占領できん
戦力以前にそうしたことがダメ >>276
満州は関係ないでしょ
戦とは兵站で決まるもの、当時に三成より優れた人はいない 家康の将軍就任は、秀頼家臣から家康家臣に鞍替えしたかった諸大名に口実を与えた訳で、
将軍職を長生きしそうな別の奴にくれとくのは面白い嫌がらせ。
清正とか武張った奴に与えるより、ひょうげ者に与えて、将軍職の権威を落としておく方がいいと思うが。
しかし、将軍職は口実であって、その前の事実としての権力交代を防がないとな。 >>278
古織将軍ですか(笑)
それはそれで面白いですね。
ただ、あまり小者だと、将軍ごと担がれてしまうリスクがありますね。
そこそこ力があり、できれば秀吉と血縁のある豊臣姓のものが最適かなとは思います。 結城秀康と徳川秀忠や本田正信と大久保長安など徳川内部か抱えている対立を煽る。
出来そうな奴が西軍に居ればだが。 結局ペリー来航のあたりで歴史のブレークラインでチャラになるんですが
誰が支配してても結果は同じって所が日本の持ち味じゃないの? >>1
どうすれば西軍が勝てたか?
もう答えは出ているだろ。
秀頼が出陣するだけで勝てたはずだ。
西軍の陣頭に秀頼が自ら立ちはだかれば、東軍の軍勢はことごとくその場にひれ伏し、戦にもならなかっただろう。 >>184
絶対的な指揮者がいないから愚策。
離間工作して各個撃破。まずは上杉討伐,そして石田・毛利の本拠地を攻める
しびれを切らして戦端を開いたのは石田側。家康の死を待っても…
京を押さえられたら朝敵にされる恐れも
>>272
その征夷大将軍とやらは加藤にしろ福島にしろ石田三成を襲撃した際殺害しちゃうのでは。
でも上下関係が判らないよな
>>284
鳥羽・伏見のときの明治帝は幼かったけど慶喜は撤退したが >>285
帝を頂いたという強気と相手の動揺を嘗めんな
将軍の息子と比べるな 太陽を背に戦わなかったから負けたんやで
こんなの神武以来の常識や 日本人の戦争には常に正義と悪がある
帝を担いだら正義
それ以外は悪
指導者はこれを無視する事ができない
民衆が納得しないからだ
当然納得した兵士と納得しない兵士で戦えば結果は見えてる >>24
でも関西在住としては、西軍が勝ち政治の中心が関西となる歴史も見るたかった。 毛利や島津に戦勝後、豊臣政権での執権的な立場を約束するとか
タヌキが得意な根回しを、石田さんもしっかりしとくべきだったね >>220
だからその場で家康を討ち取らないとダメ 小早川秀秋が裏切る前に南宮山の毛利勢が土壇場で家康との内応を反古にして背後から襲ってその場で首を取れば歴史は変わってた。家康が毛利勢が動かないのを見て、前進を始めたタイミングなら絶妙。 家康が早死しててら歴史はどうなってのかな(´・ω・`)
秀忠と幕閣だけでも秀吉無き豊臣を圧倒してそうだけど 家康領を分割しないと無理
秀忠を江戸20万石
秀康の結城10万石
四天王も各10万石で他所に移す てか秀吉が死んだ時点で豊臣政権=徳川政権くらい家康に全部委ねてるから西軍に勝ち目ゼロ。 >>266
まぁ秀吉は関白を世襲するために結構裏技使ったからな…
既にここらへんから綻びは始まってたのかもしれん。 天下の豊臣が全力出しても倒せなかった徳川を、
一奉行に過ぎなかった石田がどうやって倒す?
無理だろ。三成に非はない。 >>299
秀吉が死んだ瞬間、すげー勢いで家康に擦り寄るってのはどうだ? 万が一、関ヶ原で家康が敗れても、家康さえ生きていれば無傷の徳川本隊が残っているから、何度でも復活戦できる
関ヶ原で1回負けただけで終了してしまった西軍とは大違い >>302
裏返せば家康さえゴルゴ13が討ち取れば東軍は烏合の衆で崩壊だな
総大将の代わりがいない
ゴルゴは冗談だが、桶狭間合戦のように家康本陣だけを奇襲して家康を討ち取る軍師が西軍にいればな
秀吉が天下を取った後に軍師の黒田官兵衛を冷遇していなければ、
官兵衛が秀吉死後の豊臣家を守るために知恵の限りを尽くしてくれただろうに 家康本隊だけでも西軍主力と同じくらいいて、さらに最前線に犬どもが頑張っているのに、
西軍の誰がどうやって家康本隊まで突撃出来るかねぇ。 個人的にはなんで三成は小早川秀秋なんてのを自軍に組み込んでたんだ…?
伝説を加味してもとても豊臣に忠義感じてそうには思えないんだが… >>306
家康は伊賀と甲賀が味方してるし、
剣豪柳生一族まで付いてるから並大抵の連中じゃ無理そうじゃないか。
冬の陣だが、豊臣の決死隊が秀忠襲ったけど柳生宗矩一人に蹴散らされたし。 >>305
徳川家康も律儀もので通ってたらしいから秀吉ってひとたらしとか言われるわりに人を見る目がないな
最も心の底から秀吉を尊敬しついていった人間がどれだけいたのやら
晩年こ数々のやらかしで人心は離れてったからこそのしょぼい結末 >>303
それは言えてる勘兵衛を恐れたからというがそれなら家康に250万石もの大領地を与えたのはうかつすぎる
もっと分散させなきゃ >>307
実際の忍者の役割は逃走補助と情報収集
戦闘能力は低い
ましてや暗殺なんて無理 >>303
それができたとしたら吉川広家だったと思う
東軍とは関ヶ原開戦前に内応していたと言われるがそれを土壇場で反古にして毛利勢が山を下り背後から家康を襲えば桶狭間の再現になったかも知れない >>310
実際、家康は戦国時代基準で見ると無茶苦茶律儀者なのよ。
恩義にはかなり忠実だし、その上交友関係がかなり広い。
織田から成り上がった秀吉は、悪く言えば織田を乗っ取って天下人になったから旧織田家臣団を抑えてくれる管理職は何人いても足りんくらいだった。
信長の盟友で、律儀者の家康は最高の人材だった >>126
領土配分でいえば、もし三成が挙兵せずに何もしなかった場合、
上杉は徳川連合軍に滅ぼされるだろう(もしくは上杉降伏)
その場合、上杉領の会津120万石をどう配分するかだな
(上杉が降伏した場合は、上杉は取り潰しされずに生き残る可能性があるので、
家康が上杉から召し上げた領土はもっと少なくなる)
あれだけ多くの大名を動員して、遠く奥州の上杉征伐に駆り出したのだから、
恩賞を与える必要になる
史実では関ヶ原合戦があったから、家康は味方に与える恩賞が莫大にあったが、
関ヶ原合戦が無かったらどうなってたのだろうか >>315
そうしたら@前田をいちゃもんつけて潰しに行くA毛利にいちゃもん(ry、B宇喜多に(ry、とやってくつもりだったのかねぇ… >>315
降伏したら上杉景勝と直江兼続は切腹かな >>316
前田にはすでにいちゃもんつけて攻撃しようとしたところ屈伏してきたので不問にしたこの時点で前田は実質徳川一味になってしまった
上杉が潰されたらもちろん次々に喧嘩吹っ掛けて潰していったろうな >>317
うろ覚えだけど、有名な直江状は種々の研究によると江戸時代に創作された偽書の可能性が高く、
当時の史料からは直江兼続は速攻徳川に土下座して事情を説明してる可能性が大とか言われてなかった?
だとすると上杉討伐は割と徳川のポーズで、
本命は石田三成一本釣りだった可能性も… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています