毛利元就と武田信玄
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
同時期に出現した東西のそっくり武将。
慎重すぎる性質が似てるんだよな。 甲陽軍鑑
・三河以東の東国武士はどこも強敵
・特に信濃勢は恐るべき相手
・武蔵武士は個人の戦闘能力が高い
・関東武士は騎馬戦を好む
・東海では三河が最強
・三河武士は戦慣れしている
・三河勢5千で関西勢2万に対抗できる
・家康軍の戦死者を見ると敵に背を向けている者は一人も居ない
・信長軍は数は多いが一兵、一兵は大したことない
・信長軍限定では美濃兵が最強
・尾張から都までの間では一戦ごとに我々と力の差が開いて行く
・尾張>伊勢>近江>山城(最弱)
・五畿内の侍は町人に似ている
・名将は元就、氏康、信玄、謙信、若手では信長、家康
・臆病な大将は大内義隆、上杉憲政、今川氏真
・今川家滅亡の元凶は上方浪人の武藤、のちの三浦右衛門 毛利家の旗がオリオン座なのが興味深い。
武田家の家紋は山口組の代紋と同じなのかw >>10
遠洋海人族だからね
オリオン座で方角を測っていたわけだから 武田と毛利はどちらも織田に攻められたけど、一族の結束の違いが違ったね。 そういえば毛利家の軍師である安国寺恵けいは安芸武田氏。
これも信玄と元就の不思議な因縁である >>19
ライバル会社を潰して
路頭に迷った元社員からヘッドハンティング
うちにこない?作戦 幸いなるヒロシマよ
汝、結婚せよ
戦は他家にさせておけ
わしは繁殖する どちらも100万石くらいになったんだよね。
スタートの時点は、信玄が20万石、元就が5万石くらいだっけ? 元就は三千貫だと聞いたことあるから、もっと少ないんじゃないかね 相手にしてた敵が
武田信玄が上杉、北条、徳川という全国最強クラスなのに
毛利元就が大内、尼子、陶という地域最強クラスだから軍配は信玄に挙がる ボクシングで言えば
武田信玄がヘビー級で戦ってたのにたいして
毛利元就はミドル級で戦っていた
どちらが凄いかではなくて土俵が違うということだ .
武田信玄=全国戦=国政選挙
毛利元就=地域戦=地方選挙 >>30
武田が最初に相手にして買ったのは信州の領主レベル。
信州を取ってからは、自分より小さい上杉と戦ったけど勝てなかった。
北条にも勝てなかったので手を結んだ。
徳川と手を結んで棚ボタで駿河(今川)を取れた。
要するに自分より大きい勢力と戦ってないし勝ててない。
武田が勝ててないから上杉も北条も徳川も残って有名になれた。
毛利は、数万石レベルの時に周りは100万石の尼子と大内(陶)で、どちらも滅亡させたので知名度も低い。
その後は大友(ただし勝てなかった) 西の京都と呼ばれた大内、その大内と互角の尼子。
両方滅ぼした毛利は十分凄いと思う。
武田は領土の条件が悪すぎた。あんな土地で
あそこまで勢力拡大できたのが異常。 待て。
武田信玄は野戦では戦国最強と評されてる全盛期の上杉謙信と五度も戦い一度も負けなかった
同じく野戦では最強と呼び名も高い徳川家康と織田信長の連合軍に三方ヶ原の戦いで圧勝してる。
これでは毛利元就が相手にしてた尼子と大内ではスケールダウンしてしまうよ。 毛利元就は相手に恵まれすぎている。
大内や尼子や陶では上杉謙信や織田徳川の代役になれない。 毛利元就と武田信玄の類似性が多いとは昔から歴史家の間では定説。
ただし毛利は中国地方の辺鄙な弱小大名ばかり相手にしてたから
あまり武田信玄みたいな何でもあり殺戮の権謀術数を駆使しないで普通の奇襲戦で勝利できたから毛利の評判は武田より良い。
やっぱり信玄の宿敵である上杉謙信と比較すると中国地方の大名じゃ遥かに格落ちする。 あれだな。
元就はザコ相手に無敵神話を作り出したイスラエルと同じなのかもしれない。
元就が上杉謙信と互角に戦えたかな?
元就死後に毛利家が秀吉や家康の相手にならずにやりたい放題されてしまったのも毛利家の限界が露呈したんじゃないか?
武田信玄は織田徳川連合軍をボコボコにしてるぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています