>>104-105
ほいから、東京師団はイタリアの一番弱い師団と同レベルなんはこっちものう。
関東の兵団は毎度弱かったけど、前代未聞の日本の恥を晒して仕舞うたよ。
日露戦争じゃ北関東兵士も 東京第一師団じゃったし、日露戦争の戦闘行動ものう…。
http://www.geocities.jp/takesanwind/book/siba/sakanoue72.html#top
 ■乃木軍の大潰乱と大敗走は公表を禁じられてきた
「乃木軍の大潰乱と大敗走がおこなわれたのはこの第一師団においてである。
これほどの大潰乱は日露戦争以来、日本陸軍においてはじめて発生したもので、
その後ながく世間では公表を禁じられてきた。」
乃木軍参謀津野田是重が実際に見た情景をかれの文章によって写すと、
「敗兵のほとんど全部は銃を捨て、剣もなく、ある者は背嚢も帽子ももっていない。
甚だしいのになると脚絆も靴もなく、まったくはだしの者もあった。……
予は狂奔し、大声疾呼して退却部隊に停止を命じたが、一人としてこれに応ずる
ものはない。
この潰乱敗走は、一個師団という大きな兵力単位托準這われたという点、
未曾有のことであった。日本陸軍にあっては西南戦争の大阪鎮台が弱兵で、その後の
兵制による大阪の第四師団がもっとも弱いとされ、東京の第一師団がこれに次ぐと
されたが、日露戦争にあっては第四師団に問題はなく、第一師団がそれをやって
しまった。」
「ロシア兵の突撃、皆で逃げれは怖くない 」云うわけか(笑)。