【日本刀】鈴木眞哉史観を疑う七太刀目【騎馬武者】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>76
サヨクさあ、歴史板のここナメすぎ
昔の日本刀スレなのに日本ガーかよ >>79
何言ってんだ?
国を裏切ったサヨク工作をバカにしてんだぞ また1人バカサヨが
日本軍政府がサヨクに乗っ取られていたのを知ったかwwwww
良かった良かったwww 鈴木眞哉大先生ばっかり注目されがちだが
鈴木説のパクリ元といわれるトーマス・コンラン氏の説もちと大概だと思う
この人もパクリ元といわれるだけあって
軍柱状ありきっぽいし
例えば著書の「図説 戦国時代 武器・防具・戦術百科」戦国時代あたりの刀の認識が
鈴木説とは違う見解をすると思いきや予想以上にまんま
南北朝時代の軍柱状考察と比較してもあまり切り込んでないのが残念 まだまだ開拓できる世界だよな
刀の活躍史は
ただ調べんの面倒臭いよね 成瀬氏の実戦刀譚は貴重な史料だぞ
どの刀がどれぐらい人を斬ってどの程度損傷したか
あんな史料二つもない 海外の刀って結局、どういう使用法でどういう立ち位置だったか記してある資料はあっても
実戦でこうだああだってのはないよね 和弓や槍・薙刀も>>89と同じで
刀剣と比べて情報が断片的な上に、(人のこといえた口じゃないが)「自分の知らない事象は存在しない」という万人が陥りやすいという悪癖も相まって
日本刀sageに拍車をかけているんだと思う ああ、支離滅裂ですまん
日本刀剣はなまじ情報があふれ
それ以外の武器は情報が少ない故に
後者は前者に比べて過大評価や幻想が入りやすいって書きたかった 弓がメインというわけでなく
戦国時代の戦において殺傷能力が非常に高かった。
よって死因を調べれば、弓矢ダントツ1位
だから弓しか使ってないとはならない
上記が異説を唱える人のロジックの基本だけどね
草原にお互いに陣を張り、よーいドンで始まる運動会の騎馬戦
みたいのは実戦にてほとんどない。
日本において戦は部隊ごとの遭遇戦がメイン
待ち伏せしている伏兵ならいざ知らず
遭遇戦における白兵戦で弓の優位性はグーンと下がるから
当然、日本刀や手槍の出番は多かった。
勿論、高機動力もしくは移動しても志気低下しにくい騎馬武者
も優位性が確保される兵層である。 お前も何か勘違いしまくってる様だけど
軍忠状の解析では弓矢の死亡率は大体、刀の半分程度と出ている
それと私合戦では事前に開戦場所きめてそうほう陣形を整えてから戦うことは結構ある 93さん
いきなりお前扱いもどうかと思うが
一応、説明すると
死体を調べると死因1位が弓であったという文献を
用いた人に対して
弓死因は多かったのは理解できるがだからと言って
刀を使っていないということではないよと言いたいだけ
私もそれは一部の文献であって、戦国時代の戦において
弓矢でばかり殺傷していたとは思っていない。
私合戦において、両者で陣決めをして用意ドンで
戦をしたことが結構あるってのは
『結構ある』って、あるの頻度は少ないでしょ
ある=存在したであり、それが全てではない
鈴木さんロジックと一緒でしょ
外人がポニー言っていたことにふれ
ポニーは現在のポニーと一緒だから騎馬事態存在しないとか
あまりにも稚拙w 急所はだいたい鎧兜で防護されているわけだから、当たっても致命傷にはなり難いのかな? 合戦手負注文での「負傷率」が「死亡率」に脳内変換されるやつ多すぎ つうか合戦注文の原文みたことない奴多いよな
抽象的過ぎてあれで戦傷率とか調べるのムリやで 軍忠状見てたら「散々太刀打」「太刀打高名」とか結構見かけるけどね 「同所牛下合戦之時、散々太刀打、宗凶徒六人打取候了」
こんな感じで白兵戦では討ち取った数とか追い散らしたかどうかで論功されてて
傷を数え上げるとかしないんだわ
だから受傷の統計からは漏れるから刀傷が少なく出るのも当然 まずは中世の古文書を読めるようにならないとな
それができないと、いつまでたっても「ぼくのかんがえたちゅうせいのかっせん」を語るスレから脱皮できない 100さんの言い分は、ごもっともだけど
ハードルは高いですね。
原文読めなくとも、ネット検索で出てくる内容から
推察しても鈴木説に代表される異説論者の
『一部分を抜粋してそれが全てを打ち消す』みたいな論説で
騎馬武者すらの存在もなかったかのようにする
輩が増えてるのに閉口してしまう。。。 原文読めなくても
鈴木説がおかしいことぐらい
分かりますよという意 >>92
いわゆる藁人形論法(ストローマン論法、逸らし工作)だよな
日本刀ネガキャン馬鹿はさ 大太刀は癒し
【大太刀】長さ4・65メートルの日本刀、破邪の御太刀が脚光を浴びる
ttp://www.sankei.com/region/news/180119/rgn1801190076-n1.html
全長4・65メートル、重さ約75キロの日本刀「破邪の御太刀」が脚光を浴びている。
志士を後押しする住民らが奉納した。
花岡八幡宮に伝わる記録によると、御太刀は欧米列強の波が押し寄せてきた1859年の式年祭に合わせ、住民らが「邪気を払い、平和な社会を築こう」との思いから、奉納したと伝わる。 大太刀は癒し
【大太刀】長さ4・65メートルの日本刀、破邪の御太刀が脚光を浴びる
ttp://www.sankei.com/region/news/180119/rgn1801190076-n1.html
全長4・65メートル、重さ約75キロの日本刀「破邪の御太刀」が脚光を浴びている。
志士を後押しする住民らが奉納した。
花岡八幡宮に伝わる記録によると、御太刀は欧米列強の波が押し寄せてきた1859年の式年祭に合わせ、住民らが「邪気を払い、平和な社会を築こう」との思いから、奉納したと伝わる。 最古級の日本刀だった…春日大社・天井裏の1本
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20180123-OYT1T50009.html
約80年前に春日大社(奈良市)の宝庫の天井裏から見つかった太刀を研磨したところ、平安時代後期(12世紀)に作られた最古級の日本刀と判明したと、同大社が22日、発表した。
専門家は「制作当初の刃が残っており、刀剣史上、貴重だ」としている。
日本の刀剣は古代、反りのない直刀だったが、平安時代後期、反りなどの特徴を備えた日本刀が成立したとされる。
今回の太刀(刃渡り82・4センチ)は1939年に天井裏から見つかった刀12本のうち1本。さびに覆われ、詳細は不明だった。
鑑定の結果、無銘だったが、刃に表れた模様などから、最初期に伯耆ほうき(現・鳥取県西部)で作られた「古伯耆物」と判断した。
豊臣秀吉らが所有した「童子切どうじきり」(国宝)で知られる刀匠・安綱やすつな作の可能性があるという。
太刀は30日〜3月26日、同大社国宝殿で展示される。 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
HAOVT 現存する絵画類を見る限り、鎌倉から南北朝時代初期頃までは騎馬武者も徒士も刃を下向きに佩いていたようだけど、何時頃から徒士武者、足軽等々は刃を上向きにするようになったんだろう?
やっぱ戦国時代と呼ばれる頃になってからなのかな?
刃の向きが180°変わるって相当刀剣術の研究しないと起こらないし、全国的に伝播するもんでもないと思うんだが。 騎馬武者は戦国時代も下向きだね
つか、世界的には下向きが普通っぽいけど 刃上向きって打刀しか知らんな
その打刀も最初は下向きで帯に差したんだぞ >>110
打刀を下向きで差すようになったのは戦国末期から江戸初期にかけてのことらしい 居合道は刃上向きが基本みたいだから、そっちの方がコンマ何秒か早いんじゃないのかな? >>115
上向きが一気に普及したのはその抜き打ちのためだろうね 腰に帯刀したものを抜き打ちで
袈裟懸けで切ることを想像してみれば
刃は上の方が良い
戦場では抜き打ちではなく白兵戦時の第2兵装
として装備していたこと
また馬上にて太刀を装備することを考えれば
帯に差すのではなく、腰にぶら下げるのが必定 いや、打ち刀と太刀を一緒にすんなよ。
形は一緒でも、サイズも用途も全然違うだろ 打刀と太刀は、打刀が出現したあたりならば
サイズも用途も結構差異があったけど
だんだん差が携帯方法だけになってくるような >>118
117だが
分かってて書いたつもりだが
打刀と太刀の違いを述べたつもり
だったが文章力がなくてすまん。
(前半が打刀、後半が太刀) 「椿三十郎」のラストのやつが多分一番早いんだろうが、特殊過ぎて汎用性は無いだろうなw そういや、最近コンビニで売られていた日本史本だと、通説が「刀はほとんど使われていなかった」で、
実際は「刀は使われていた」「首取りは懐刀だった」とかになっていたw つうか同時代の絵とかみたら普通に戦場で刀使ってるじゃん
大坂夏の陣屏風とか兜の上から刀で斬りつけてる絵すらある
しかもその部分見る限りじゃ斬りつけられた方死んでるぞw
同時代の絵であり得ない戦闘シーンを描くとは思えない >>122
ああいうムック本読む層は
「通説は□□だけど本当は〇〇だった!」っていう面白逆張り説を仕入れるために買ってるからな。
出版社のマッチポンプになんて気づかないだろう。 雑学本は互いに孫引きしあって典拠がよくわからないことが多い
さらに逆張りの逆張りを続けてた結果クルクル回って再び旧来の説にもどってくるという現象が見らる
武田騎馬隊は実は存在した、三段撃ちも本当にあったetcetc・・・ 最近学者まで「実は」とか言い出す始末だからどうしようもない >>123
大坂の陣の屏風絵は監修が黒田如水の養子じゃなかったっけ?
何度も実戦経験していた筈だから出鱈目は描きようが無いだろうね。
周囲の武士達に笑われる。 そう
黒田一成
当時でも有名な実戦経験豊富な武将だよ 黒田一成は乱暴取りの光景まで描かせた写実派だからな
戦闘だけフィクションをまじえたとは考えずらい 屏風絵の鉄砲足軽が三列で射撃しているみたいなんだが、「三列で射撃している」のか「三段撃ち」なのかその辺がよく分からんw ざんねんな日本史: 武田騎馬軍団はポニーに乗ってやってきた
(小学館新書) 新書 – 2018/3/29
島崎 晋 (著)
いまだにこんな本がでるw ざんねんな世界史 モンゴル帝国はポニーに乗ってヨーロッパ連合騎士団を殲滅した
とかも書けるな。 ポニーでもスクーターでも自転車でも、向こうから武器持って猪突猛進してきたら怖い ざんねんな日本史 鎌倉武士団はポニーに乗ってモンゴル帝国を撃退した
ざんねんな日本史 神武天皇はポニーに乗って日本を建国した
ざんねんな世界史 ノルマン族はポニーにのってヨーロッパを征服した 残念という奴にはぜひ木曽馬に乗った騎馬武者と一戦交えてほしいわ
絶対ウンコ漏らして逃走する ビビらなくとも動きながら弓を射ることができるのは大きな利点やろ >>131
>島崎 晋
コイツ杭に縛り付けて木曽馬に体当たりさせたいな 歴史群像の武器と甲冑という連載と
刀と真剣勝負 日本刀の虚実という本によれば
南北朝期〜室町期(戦国期除く)は日本刀が主力武器の一つだったらしい。
あと野太刀や長巻だけではなくただの太刀も打物騎兵の主力武器だったとのこと。
南北朝期に下馬射が流行ったからそれ用の弓との携帯性の問題だろうか?
武器と甲冑 では鈴木説の遠戦志向の批判もしている。弓の方が多く敵を負傷させても太刀や薙刀を手にとった打物騎兵の突撃(白兵戦)の方が敵を撃退する効果は高いとのこと。
これそのまま戦国期の槍持った武士や槍足軽にも適用できそうやな。
武器と甲冑の著者の片割れの樋口隆晴氏のツイート見てるけど鈴木氏の本やガチ甲冑合戦も確認しているみたい。
今は戦国への序章編だけどしばらくして戦国期編に入ると「エーッ」てなるトンデモではないらしい内容になるとのこと。ツイートから察するに戦国期の日本刀の内容も期待できそうやで。騎馬に関しても鈴木説に批判的なようだし。 乱戦で刀を振り回している時には剣“術“の出番はなさそうだけど
乱戦からしばらく経って敵味方がばらけてきた時の戦闘用や
中距離で槍が壊れた際の護身用になら
剣術も役に立ちそうな気がする。あとは合戦だけでなく平時の護身用にも。 護身という価値観はちょっと近代的すぎるな
近代以前の人間って基本的に 名誉>>>超えられない壁>>>身体 だし
刀剣って護身用というより、名誉を守るための警察権という側面の方が強い
名誉(≒正義)のために振るわれるから、
剣には善悪を裁くようなイメージが、世界的にも付与されてるんじゃないの 大天使ミカエルは「剣」の守護天使でもあります。
まあ、大天使ってあんまり偉くなかったりするんですけどね。 >>139
朝鮮出兵のときに明朝鮮軍が脅威と感じたのがその剣術なんだが
「 倭人の剣術は向かう所、無敵である。前日、多数の降伏した倭が来たが
その中には用剣の妙を極めた者が多かった。」(宣祖実録58巻12月27日庚午)
一方で槍は「天兵の槍を畏るる」とあって胸囲どころか倭軍の弱点であるとまで書かれている
明側の「両朝平壌録」にも「倭は用槍に疎し」とあることから確実性の高い話だろ
どうも日本の戦史研究家?みたいな連中て名誉欲から突飛なこと言いたがる傾向があるけど
俺は後世の人間が断片的な記録から空想した者より実際に戦った明朝鮮軍の証言のほうを信じる >>142
その倭人の剣術って野太刀術とか長巻術ではないの?打刀ではなく。
ネットで
朝鮮出兵の際も大太刀が戦闘報告にしばしば記載される
との情報を目にしたのでカキコ。あと俺は剣術(打刀)が戦場で役立たずとは書いてないよ。 ガチ甲冑合戦で太刀や打刀を使う乱戦にならなかったのは単純に一度の合戦の参加人数が少ないからじゃないのか?
ニコ動で観たヘヴィファイトの集団甲冑合戦の動画だとあっという間に乱戦になっていたし、人数ももっと多かった。 >「倭は用槍に疎し」
明側の評価は、日本の槍は重くて使いづらいというものじゃなかったかな。
対日本刀用に針金鉄輪等で穂先を切り落とされないように加工していたんだろう。
槍同士なら少々リーチ差で負けていても素早く動ける方が有利だったのかも。 >>143
倭寇の刀に衝撃を受けて進歩した苗刀が大太刀サイズだから、野太刀・長巻ってことはねえよ。
辛酉刀法からして、影流を取り込んでるんだから、刀術だし。 揮刀如神
和冠の盛んなりし頃、明將の記文のうちに曰く、
倭奴刀を揮ふこと神の若し、人之を望めば輙ち懼れて走る、
其長ずる所の者は刀法のみ、其鳥嘴銃の類これ猶ほ我兵の如きなり、
弓矢の習猶ほこれ我兵の如く、此外殊に稱するに足るものなし、
唯だ倭性殺を好む一家一刀を蓄へざるものなく、童にして之を習ひ壯にして之に精し。
(中里介山 續日本武術神妙記より) 明側の評価をまとめると(明軍をAとした場合)
鉄砲 A
弓矢 A
槍 B以下
刀剣 S(神)
という事でいいのかな? >>143
「単刀法選」なんかでは五尺の長刀というのを出してるけど同文献から刃渡りを確認すると実は三尺いくらか程度
大陸側では柄を含めて刀剣類の長さとして表記する場合があったんじゃないかな
そうすると↓みたいに三、四尺ってのは八寸かそこらの柄の長さを入れた場合実は普通の打刀か
それよりいくらか長い三尺程度の太刀くらいになる
もっとも軍のトップである李如松提督ですら命からがら逃げ帰った戦いで正確に敵側の刀の長さを
確認できていたかは怪しいかもしれないが
柳成竜(朝鮮の領義政=総理)・著 『懲録』
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。 よく考えてみると、騎兵が短刀しか持ってないってなんだろう?
槍や弓はもってないのか? >>153
碧蹄館の戦いは北方騎兵が機動力を生かせない地形に誘い込まれて壊滅的被害を受ける戦いなので
それらの武器があったとしても狭隘な地形で肉薄してくる日本側相手に存在感を示せるほど
役に立たなかったということかもしれない
短剣というのもイメージするほど短い武器ではなく日本側の比較的長い刀剣との対比表現ではないかと思う チャイナの武器の分類でしょ。
長兵=槍、鉾、薙刀(大刀)等長柄の武器
短兵=刀剣類
短兵と言っても二尺程度のもので、馬上で片手で使うのには丁度良い長さなのかも知れない。
その手のものとしては日本刀が長過ぎるんだってw
まあ、それが利点ではあるんだろうけど。 数年前に韓国のマスコミが明代の「長刀」の意味をわからずに倭寇は「薙刀」で猛威を振るったみたいな記事書いてたり
当時の言葉とかその意味をちゃんと抑えないと変なイメージができあがるよね とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
TTF 歴史群像連載の樋口隆晴氏による
「武器と甲冑」が書籍化されれば少しは鈴木信者も減るよ。
樋口隆晴さんは
南北朝期〜室町期(戦国期除く)は薙刀が最強の武器だったとしながらも
太刀、大太刀、長巻といった
日本刀がメインウェポンの一つである時代だったと書いてるし、鈴木の本やガチ甲冑合戦も確認した上で戦国期に日本刀があまり使われなかった説に批判的なツイートをしている。
今はまだ戦国への序章編だけど。
東郷隆氏の連載が最近、書籍化されたけど
樋口隆晴氏も連載を書籍化したい旨のツイートをしていた。 だって戦国期に描かれた戦争についての絵で普通に日本刀持った侍が走り回ってんだから戦場で日本刀がほとんど使われなかったとかいうのは無理でしょw 秀吉の唐入りについての明の歴史書なんかでも日本兵の日本刀の切れ味が物凄かったことが書かれている
普通に切り込みしてるからこんな記述があるわけでね 鎧で完璧に武装してる人間はそう多くない
上の方の武士以外は戦場でも結構な軽装
普通に日本刀が能力発揮する場面は多かったはず 日本刀がお飾りという説は、選挙の泡沫候補がまかり間違って大統領になっちゃったかのような違和感があるんだよな >>159
絵と実際はよく違う。
絵は見栄えやわかりやすさ重視だもの 分かりやすさ重視だからこそ現実的でない表現は排除されて単純化されるだろうね >>163
大坂夏の陣図屏風とかどうみてもに行われたことをリアルに表現しようとしてる絵画でしょ
そういう絵画で刀を振り回している侍が大勢描かれているよ
もし戦場で刀をほとんど使わなったとしたらその描写は絵の価値をぶち壊すもので無駄な描写ってことになってしまうよ 兵器と戦術の日本史という本によると
弥生時代前期と中期が鉄鉾と盾と弓の時代で
弥生時代後期が鉄大刀(日本刀の前身)と盾と弓の時代とのこと。
戦列を組まない散兵戦、個人戦の場合は槍&盾よりも刀剣&盾の方が強いのだろう。
ちなみに古墳時代前期〜中期が両手で長槍持って密集隊形の時代、後期が再び大刀と盾の時代
あとは倭寇が野太刀や長巻で明軍の槍、朝倉軍の力士隊が野太刀で織田軍の槍、ランツクネヒトがツヴァイハンダーでパイクやハルバードの槍襖を切り開いているから大型刀剣は長柄武器に対して割と相性良いような気がする。長太龍太の中世ヨーロッパの武術の記述通りに。
戦国紫電将
http://paomaru.dousetsu.com
とらっしゅのーと 軍事史図書室
https://trushnote.exblog.jp/14951953/
この2つのサイトは古代と中世と近世の軍事を学ぶ上で役立つと思う。
あといつの間にかウィキペディアの武具の項目が結構 追記・修正されてないか?
剣
日本刀
太刀
大太刀
長巻
薙刀
倭刀
メイス
ツーハンデッドソード
バスタードソード
ハルバード
鎖帷子
の項目で確認したぞ。 大型刀剣は扱うのに腕力も技術も要るし、高価だけど長太龍太の中世ヨーロッパの武術によれば
長柄武器に対抗するのに最適で
複数の敵を相手にするのにも向いているんだよな。
マーティン j ドアティの図説 中世ヨーロッパ武器防具戦術百科でも武器として高く評価されていたし。 日本史板の住人なら模造刀の二本や三本持っていて当然だよな。 敗戦後は軍事研究がほぼ壊滅したからなあw
やっても、まず最初に旧日本軍のやり方全否定がスタートラインだし。
日本刀ガーもその一環じゃないの?
国内と海外の評価の差が大き過ぎてそういう見方にしかならん。 >>171
もう戦後70年過ぎたんだからイデオロギーとか抜きに冷静に研究して欲しいよね ボロ負けして味方を大量に無駄遣いしたダメ軍隊の戦法など何の役にも立たん >>166
いやそのサイト二つともどっから突っ込んでいいのやらと思うほど突っ込みどころ満載なんだが
歴オタ学生が適当に流し読みした覚えた者を羅列してる感じ
特に下は思い込みがひどすぎる 日本の戦について知りたければ武具の本ばかりではなく
平家物語
太平記
信長公記
ぐらい読まなければいかんのかね? 178です。一応、
近藤好和、
藤本正行、
笹間良彦、
中西立太、
歴史群像の樋口隆晴の武器と甲冑
新紀元社の本、
鈴木大先生(嫌味)の本(読んだ後捨てた)
辺りはチェックしてきたけど古典は雑兵物語の現代語訳しか持っていない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています