>>161
秀吉は山の民の系統でも家康同様、被差別系じゃけぇのう。
http://www.scs.kyushu-u.ac.jp/~hatt/sinanoisi.html
恩師石井進先生 服部英雄
「秀吉の妻ねね方の実家杉原氏は尾張清須の連雀商人の出身だ」ともいわれた。
これは急に七〇〇〇石取りの主になった秀吉が、家臣になる者がいないため、
もし自分が これから出世して石高が増えても必ず七分の一を与えるという約束で
杉原を召し抱えた、という有名な一節にある言葉だ。しかし「連尺」(連雀)の
意味にまでは気にとめる人はいなかった。
先生が『中世商人の世界』(一九九六)に詳しく述べられたように、連雀商人は
この時代には差別された存在で、秀吉はその家から妻を迎えた。秀吉自身が木綿針を
売り、わらじを売った。これも賤視された職種という。秀吉は百姓の小せがれでは
なく、賤民階層の出だった。すると 秀吉像は一変する。」
被差別民が山の民系統なんは折口信夫氏も指摘される。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/18408_27478.html
[「六 にせ山伏しとの結合
初春に里へ出て来る山人といふのは、日本には至るところにあつて、必しも参・遠・信の山奥とは
限らない。思はぬ奥山家から、大黒舞・夷舞などが出て来る。彼等は、年に一度、暮れ或は正月
になると、どこからともなく出て来て、或特定の村、即、檀那村を祝福して歩いては、また
どこへともなく帰つて行く。…かうした芸人は、山奥のものに限られた。」]
山の民は里の村落を祝福する芸能集団でもあり被差別民と近いし、武士やごろつきになるものも、
多かったし。 まあ、戦前の折口信夫氏も「被差別民」とか「賎民」云う事実的言は
避けとってじゃのう。縄文系の被差別系も多いいが、被差別系の芸能集団は、
朝鮮系統じゃろう。 白丁と同じ。家康は縄文度残存の広顔じゃが秀吉は狭顔肖像も
渡来系要素が強い。