>>348
>>350の下の田所の続き。
「川沿いに、女たちが首だけ出して隠れているのを引き揚げてはぶっ殺し、陰部に
竹を突きさしたりした。杭州湾から昆山(クンシャン)まで道端に延々とそういう死体が
ころがっていた。昆山では中国の敗残兵の大部隊がやられていて、機関砲でやった
らしいが屍の山で、体は引き裂かれて、チンポコが丸出しで死んでいた。その
チンポコがみな立ってるんだ、ローソクみたいに。『チンポコ3万本』と
俺たちはいっていたが、3000人以上はいたろうな。…
読売のカメラマンで発狂したのもいたな。やったってしようがないのだが、
飛び出してやめさせようとするものもいた。普通の百姓だからといってね。
しかし兵隊はそんなのにかまわずぶっ殺していった。俺か? 俺は残虐な写真ばかり
撮っていたので病膏肓に入っていた。そういう残虐な写真を撮るのも喜ぶものも
いたし、やめとけというのもいた。参謀本部では証拠にちゃんと写真を撮っていたな。
蘇州(スーチョウ)の略奪もすさまじかった。中国人の金持ちは日本とはケタがちがうからね。
あのころでも何万円とするミンクのコートなどが倉の中にぎっしりつまっているのが
あった。寒かったから、俺も一枚チョーダイしたよ。(中略)東京の部隊では赤羽工兵隊
というのが一番悪かった。蘇州の女というのがまたきれいでね。美人の産地だからね。
兵隊は手当たりしだい強姦していた。犯ったあと必ず殺していたな。」