亀井静香にも野中評を聞きたい。81歳。この人も野中とはツーカーだった。
自社さ連立政権作りなど、政局の節目節目で協働し、あるいは対立した。
亀井の場合は7歳の時、広島に投下された原爆の閃光を目撃、実姉が被爆し、白血病に苦しんだ。
同じ戦争体験者として野中とは非戦の同志的存在であった。

 亀井は昨年の総選挙で引退表明したが、今なお政治活動を続けている。
特に今の北朝鮮情勢の悪化を危惧し、韓国・文在寅政権との間で独自に作ったパイプを使って、
トランプ米政権の圧力路線が戦争に至らぬよう、日韓提携による外交的解決を模索している。
1月30日には韓国ソウルまでトンボ返りで、安全保障問題を仕切る鄭義溶国家安保室長に会ってきた、という。

 さて、野中をどう悼む?

「野中はね。下から目線の男だ。一つはやはり出生にある。被差別部落の出身でしょう。本人が認めている。
認めたうえでだから、常に下からの目線でやってきた。ああいう政治家がいなくなるのは残念だ。
絹のハンカチなんか使う自民党議員だけでは困る」

 亀井はいきなり野中の出自に触れた。なかなか新聞では報じられていない部分である。
ただ、野中自身がそれを公然と表明していたのも事実である。
ポスト森で野中が総裁候補に擬せられた時、麻生太郎が自派の会合でその出自を理由に反対したことがあった。
それに対して野中が党総務会という公式の場で、麻生を難詰したことは、党関係者の間で語り継がれている。
これも野中という政治家の反差別という、非戦と並ぶ基軸を語るうえでは欠かせない部分であろう。

 亀井は野中の非戦についてはこう語った。

「野中の平和への意志といっても、彼が高邁(こうまい)な平和理論を構築しているわけではない。
ただ、戦争をやっちゃいかんということだよ。それは野中だけではない。戦争を経験している政治家は保守も革新も皆そうだ。
その中で彼の真骨頂は、下から目線でものを見られるところだ。権力者の立場から政治を見ない。だから同じ非戦でも迫力が違った」