>>429
軍紀厳正カラーの広島師団と、蛮行の九州兵や近畿兵との違いはこっちでものう。
http://blogs.yahoo.co.jp/oosukashiba/66755379.html
「仏山に向かっていた今村は、広東市をはじめ、日本軍が占領した町の殆どが、住民が全て
いなくなり、無人の街となっていたのに対し、仏山とその周辺一帯だけは、住民が離散せず、
日本の兵士と共に過ごしていたのを、珍しく感じた。 おそらく、仏山市の占領部隊長の処置が
良かったのだろう。  本来、皆このようにあらねばならぬのに、正反対の状況を呈しているものが
多い。これは、日清、日露、北清、日独(第一次大戦)の諸戦時に示された国軍の仁義性に
もとるものであり、遺憾の極みだ。今村は、そう感じると共に、仏山を治める第5師団の
各部隊長に敬意を感じた。」
『今村均大将が「南支攻略軍(久留米18D・大阪104D)の占領した市街の多くは、広東をはじめ、
市民がことごとく避難して、無人の境をなしている のに、仏山地区(広島5Dの占領した地域)と
その一帯は、一人も離散せず、 日本軍と生活起居を同じくしていることは、珍しい風景だった。
皆この ようにあらねばならぬのに、正に反対の状況を呈しているもの方が多い。これは国軍の
仁義性に、もとるものであり、遺憾のきわみだった。 この点からも、第五師団(広島)の各部隊長に、
私は大きな敬意を感じた」
 今村均氏の回顧録に対して、元陸軍大尉、越智春海氏は、
「こういうことは、各部隊長よりも、部隊の気風ーつまり全将兵の生活態度 ーに係わる問題だ」と
雲の上の上層将校の見解を、現場を知る 前線将校の 立場として越智氏は今村氏の文章が不備で
あるとされる。』
広島の将兵は、部隊の気風として生活態度も自己規範、自己抑制が強い土地柄ゆえか、
九州や大阪の将兵のように、占領した現地市民の武器を持たん人らに弱い者虐めは
やらんよ。じゃが日清戦争でも汚点の旅順虐殺も九州、近畿、関東の兵が関与
したことを今村均大将は、指摘しておられん。