>>569
こっちに、戦前、戦時中の呉市のことが出とったのう。
http://punkhermitusa.jugem.cc/?eid=12
全国から人が集まり、呉の街には戦中に44万人の人口があったというのだから、過密も過密、
超過密である。…「人の肩にぶつかって歩かんと呉の街のような気がせんのじゃけぇ」
年寄りは口々にそう言う。
というのも、呉の街にはほぼ1km四方しか平地がない。ゆえに、どんどん土建屋が岩を
削り、階段を作り、崖に張り付くようにして家が建てられた。ほぼ45度の急階段で
さえ、もっこを担いで昇り降りをしたのであろう。それだけ、この街に人があり、
栄えたということである。
…「そうなんよ、残っとるのは『メロンパン』くらいのもんじゃ」ハハハハハハ。義父は
笑ったが、呉に生まれ育った義父の中にある、寂しさや哀しみは隠しようがなかった。
ぼくらは呉名物の「メロンパン」に出かけて、カスタードクリームのたっぷり入った
「メロンパン」を買い、一緒に「牛カツサンド」も買った。西の楽しみは魚貝以外にも
牛肉の料理であり、こういうジャンク・フードでも、東にない、食文化の歴史や厚みを
感じることができるのである。」
まあ、東日本は豚カツの豚肉文化じゃけぇ、中国地方から関西の牛肉文化と違うけぇのう。