保坂正康氏の歴史修正主義批判。
膨大な「戦争の記録」を焼却した日本
「青木さんの問題意識をうかがい、すぐに思い出したのは昭和20(1945)年
8月14日のことです。この日の閣議と大本営の方針で、戦争に関する一切の資料や
の焼却が命じられ、軍事機構や行政機構の末端にまでそれは伝わった。全国の
市町村や軍事施設では膨大な資料が次々に燃やされてしまいました。『焼却せよ』
との文書も残したくないので、末端では役場の職員が、村から村へ自転車で伝えた
そうです」――戦争という極限状況下でも、民主主義の建前と原則が辛うじて
生きているか否かですか。
「そうなんです。我々の側は、資料を全部燃やしてしまった。そういえば何年か前、
慰安婦問題をめぐる意見広告が『ワシントン・ポスト』紙に出たことがありますね」
――2007年の6月、ジャーナリストの櫻井よしこ氏や自民党の国会議員らが
出した意見広告ですね。〈強制的に慰安婦にされたことを示す文書は見つかって
いない〉などと訴える内容でした。
「よくそんなことが言えるな、と思います。全部燃やしてしまったんですよ。なのに
『文書がない』などと平気で言える神経を僕は疑います」
公文書の大切さなどは、むしろリベラルなどと称される人びとがそれを訴え、
保守を自称しているはずの政権は公文書の隠蔽や廃棄に突き進んで恥じ入るところが
ない。政権を支持する保守や右派層からも疑問の声がほとんど上がらない。
再び保阪氏の話である。
「右とか左という問題もさることながら、資料というのは、物事を客観的に見ようと
する人たちには基本的な判断材料です。一方、客観的に物事を見ることができない
人たちは資料など必要じゃない。論点が崩れてしまう資料など、むしろないほうが
いい。そういう右派が近ごろ多すぎます」