なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか9
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密着1週間「籠池理事長」はボンボン育ちだった
https://smart-flash.jp/sociopolitics/17887
報道陣の前では胸を張り仰々しく語っていた理事長だが、ふだんはとても穏やかなことに驚いた。
あまり強い大阪弁は使わない。むしろ上品なのだ。育ちがいいのではと思い尋ねてみた。
「香川県のご実家はどんなお仕事をなさっていたんですか?」
「籠池海運っていう会社をやってて昔はけっこう羽振りがよかったんだ。
道を歩いていると、籠池の坊ちゃんと呼ばれたよ。でも僕が小学校5年生のときに潰れてしまってね」
その後、夜逃げ同然で兵庫県尼崎市に移住。金銭的にかなり苦しい生活が続いたという。
(週刊FLASH 2017年4月11日号) 籠池一家の歴史 10億円の借金や糞尿嫌がらせ等で変化
https://www.news-postseven.com/archives/20170330_505920.html
籠池氏のふるさとは香川県高松市。瀬戸内海を臨む港町で、海運業を営む裕福な家庭に生まれた。
「生家の目の前の道は近所では『籠池通り』と呼ばれ、その先はもう波止場。
籠池と書かれた船が並んでいました。近隣住民からは“籠池のお坊っちゃま”と呼ばれていました。
ご家族からは“村上水軍の末裔”だと聞いたことがあります」(実家近くに古くから住む住人)
籠池氏の亡父は先の大戦で小型船による特攻を行う『震洋』の特攻隊に属し、国のために命を捨てようとした経験があった。
それゆえに、幼い日の籠池氏は父親から「国の発展、増強のために寄与せよ」と繰り返された。
籠池氏のイデオロギーの素地は、この頃に醸成されたのだろう。
だが、籠池氏が小学3年生の時に家業が行き詰まり、夜逃げ同然で兵庫県尼崎市に転居した。
籠池氏は、そのとき祖母から言われた「武士は食わねど高楊枝」という言葉が強烈に記憶に残っているという。
森友学園の創設者だった諄子氏の父・寛氏もまた陸軍士官学校を出ていた。
1950年に珠算教室を開いていた寛氏が日本初の学校法人幼稚園『塚本幼稚園』を開園したのは、地域住民から強い要望があったからだ。
寛氏は家財を売って資金を捻出し、子供たちには「お腹いっぱい食べさせることが何より」と貫いた。その精神は、娘である諄子氏にも伝わった。
結婚後すぐに長男に恵まれたが、26才の時に静脈血栓を患い長期入院。
医師からは「もう子供は産まないほうがいい」という厳しい宣告を受けた。
入院中の諄子氏は自らの運命を呪い、友人の紹介で知った保守系の新宗教『生長の家』に傾倒。
その後、病気が治ったのも、「宗教の教えのおかげだった」と彼女は述懐している。
「籠池さんは真面目で実直な人柄で物腰も柔らかく、いつも笑顔で子供と触れ合っていました。
寛さんから『まずは掃除が基本や』と叩きこまれた籠池さんは毎日、園内のトイレ掃除や雑巾がけに明け暮れてましたよ」(当時の幼稚園関係者)
そんな籠池氏の前に現れたのが、愛国者を自認する保守系の安倍首相だった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています