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★★ 邪馬台国は【葛城】である【4】 ★★
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0001日本@名無史さん
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2017/12/28(木) 22:23:17.78
邪馬台国は葛城である。
葛城に住んでいたヒミコが判明したからである。

10代崇神天皇がいつごろの人物なのか。

これで邪馬台国論争は終了する。
崇神陵=行燈山古墳=布留1式=4世紀初頭から前半。

2015久住編年でもこれが最有力。

そして卑弥呼擁立の時代=庄内0式(2世紀末)まで文化断絶がない。
という事は崇神から卑弥呼の時代までを普通に遡れるのだ。
にもかかわらず古代史家、考古学者の誰一人ヒミコを探そうとしない。
ヒミコは記紀に登場しないという固定観念があるからであろう。

わしは探した。 ほらヒミコもトヨもいた。

I崇神(310年頃 318年没)
H開化
     G孝元
          F孝霊   
トヨ津        E孝安 D孝昭
トヨ津   (250年頃)C懿徳 
ヒメ踏鞴        B安寧
ヒメ踏鞴        A綏靖
ヒメ踏鞴 (200年頃) @神武 

神武から6代孝安まで宮は葛城である。
また神武から孝安まで不自然な事に正后はいても「妃」がいない。
彼らは複数の妃を持つ大王ではなかったからである。

つまり魏志に書かれた女王国とは神武〜孝安時代の事であり、 それは葛城王朝であった。
0719日本@名無史さん
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2018/02/12(月) 12:25:27.43
関係ない
0720日本@名無史さん
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2018/02/12(月) 12:28:33.60
このコジキが仕事をしろ!!
と言ってる人がいたでしょ
0721日本@名無史さん
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2018/02/12(月) 12:29:10.62
>>718
記紀には崇神紀七年、「大田田根子」を大物主大神の祭主とし、翌八年には高橋邑の「活日」を大神(オオミワ)の掌酒(サカビト)にすると記されている。

その大神とは「大物主大神」を指し、祭主となった大田田根子の「祭祀場」と掌酒を分担した活日の「高橋邑」は近接していたことになる。

阿波国旧美馬郡にある「段の塚穴型石室」といわれる特異な石室構造をもつ古墳は、分布範囲がほぼ旧美馬郡に限られており、
段の塚穴の2基のみでなく、旧美馬郡の範囲の古墳に共通してみられる特徴である。

その吉野川北岸美馬郡美馬町「段の塚穴」の南対岸 貞光町に「太田」と「高橋」の地名が並んで残っている。 
尚且つ、日本唯一社「倭大国魂神社」が旧美馬郡美馬町に存在している。

「大田田根子」は「大国主命」の五世孫とされ、崇神天皇は河内の美努村(ミノノムラ)から「大田田根子」を探し求めたとされる。

この「河内の美努村」とは「三好郡美野郷」のことで、現在の三野町にあたる。

また日本書紀では「陶邑(スエムラ)から大田田根子を得た」とあるが、これは「三好郡美野郷」三野町の吉野川対岸に位置する三加茂町、
その下流の半田町が「陶邑」と考えられる。

半田(ハンダ)は植田(ハニタ)が変化したもの。 これは陶器や埴輪、瓦をつくる邑の意味になる。

このように「太田田根子」にまつわる伝承は、阿波の地名や伝承、そして「倭大国魂神社」が、現に美馬郡に鎮座していることから裏付けられるのである。  @阿波
0722日本@名無史さん
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2018/02/12(月) 12:30:19.71
他人の家に寄生したり、人の家の真似をしたり、
そんなことをしていないで、仕事をしろ

と言っていた人
0723日本@名無史さん
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2018/02/12(月) 12:33:42.86
便乗

例えば、
家が作ったものの上に乗り(物語などに沿ったようなカタチ)

商売をしていたり
0724日本@名無史さん
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2018/02/12(月) 22:10:37.00
阿波、熨斗鮑を刻み、その都度罪を噛み締める役割を忘れたようだな。
0725日本@名無史さん
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2018/02/15(木) 14:32:05.78
なぜ記紀が古代天皇の年齢を100歳超えるほど大きくずらしてるのか、
それを考えろ。
武内宿祢が300歳になってしまった。
子供にも笑われる。
しかしながら、それでもななお、なぜ大きくずらしたのかを考えろ。

何か絶対に隠したい、知られてはいけない史実があったのだ。

それはスサノオ=帥升の朝貢だ。

彼は107年中華皇帝・安帝に土下座した。
これを隠したかったのだ。

ならばそこから100年後の女性で最高位の人物が分かるだろ。
つまりヒミコは分かるだろ。

ヒメ踏鞴五十鈴だ。
神武東征紀は実際は女王国であったことをごまかすために大げさに書かれた。

ヒメ踏鞴五十鈴が住んだのは葛城、奈良県御所市だ。
九州でも纏向でもない、葛城だ。
0726日本@名無史さん
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2018/02/17(土) 06:26:07.74
    事代主
     ┣━━━━━━━┓    
   クシヒガタ(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
     ┣━━━━━━┓
     建飯勝  ヌナソコナカツ媛━━ 安寧
     ┃            ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没) 
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津 ━━ 懿徳
     ┃               ┃
   大御気主             孝昭
     ┃               ┃
    阿田賀田須         天足彦国押人命
                     ┃
                   和邇日子押人命



宗家とは大物主一族(左側)、ヒメ踏鞴も天トヨ津も宗族です。
明らかに他氏族なのは神武であり、彼は王でも何でもない。

最後の大物主が阿田賀田須。
先代旧事本紀には彼の妻の名だけが書かれてない。
間違いなくモモソ媛でしょう。
中平銘鉄刀の出た和邇氏は今も和爾坐赤阪比古神社で阿田賀田須を祀ってます。
0727日本@名無史さん
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2018/02/17(土) 08:22:00.59
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。

その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。

この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。

いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。
0728日本@名無史さん
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2018/02/18(日) 07:32:17.64
>その祖は博多の王である大山祇の子

ないない(笑)
博多のような辺境地に王はいない♪
0729日本@名無史さん
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2018/02/18(日) 07:42:59.25
>天日方奇日方はまたの名を鴨主という

主ではない王だ。
さらっと嘘をつくな。
0730日本@名無史さん
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2018/02/18(日) 08:56:16.53
>>728
三島については、ちゃんと筑紫日向から来たという伝承があるから、信用できないならググってね。
0731日本@名無史さん
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2018/02/18(日) 08:58:46.10
>>729
葛城だけの王としてなら、そう呼ばれることもあったろうが、別に日本語としては主が格下ということもない。
大国主の例もあるからね。
0732日本@名無史さん
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2018/02/18(日) 11:19:54.06
>>718
登美/向家(いわゆる葛城の大鴨王、三輪/大物主、事代主家)の地名があまた残るので間違っていないかと。

和泉(イズミ)はイズモと音韻(母音)が同じ。

登美ヶ丘。(ダンスで有名な登美ヶ丘高校等)
富田林。(出雲大神荒魂。こと、美具久留御魂神社(崇神、垂仁が直接創建に関わる)が鎮座。葛城を逐われた出雲族の中心地の一つだった?)。
0733日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/18(日) 11:34:57.93
神武天皇に鳴門で敗れた長髄彦は、『古事記』では 「那賀」須泥毘古 また 「登美能那賀」須泥毘古 と表記されている。

『日本書紀』には、「ナカ」邑の地に、また「トビ」の地名が起こり、それが後に訛って「トミ」になったと書かれている。

「登美」の後裔氏族には「中臣(ナカトミ)氏」がいる。

徳島県板野郡板野町周辺は、「東中富」「西中富」「富の谷」「富の谷口」「富の谷川」など中臣の地名が多く残る遺跡の密集地である。

長髄彦の末裔 中臣氏の本貫地は徳島県板野郡板野町周辺の可能性が高い。  @阿波
0734日本@名無史さん
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2018/02/18(日) 12:00:17.35
>>732
奪われたとかどこから思いつくのか不明だが、もともと鴨なら大阪三島から京都賀茂まで領土であったくらいなので、登美の名がつくところすべても領土でいいよ。
ただ、事代主はこじつけの可能性もあるから注意。
0735日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/18(日) 12:01:42.58
出雲の東の王家、富/向王家の当主で連合帝国(帝国と言って差し支えないかと)第8代少彦(スクナヒコ/副王の称号)で在られた
八重波津身命に摂津三嶋の豪族(高槻市あたり)から嫁がれた生玉依媛との間には、
天日方奇日方命(後、葛城に移住して登美家を号して分家独立)。
媛踏鞴五十鈴日女命(
後、兄?に随伴して葛城に移り、さらに御諸山/三輪山に父親の御霊を大物主と奉り祭祀慰霊。
併せて出雲族の国教え、幸神(サイノカミ)三神の、(大元神)クナト大神(始祖/イザナギ)、(后神)佐毘女大神(イザナミ/水神であり、太陽の女神(後、天照大神に改ざん))、(御子神)サルタ大神(スサノオ/猿田彦に改ざんされる/象頭神))をも祭祀して初代の祭主/大日女命となる。

後に丹波から南下して威勢を誇った天村雲(祖母は八重波津身の妹?高光媛)を倭の大王と奉るにあたり、連合王国の証として嫁がれ初代大后となられた。(二従兄弟の関係)
、、、ちなみに、大王宮は笛吹神社の場所に都したと言う。
(天村雲命(建位起命)に随伴してきた秦族(元は祖父の徐福が引き連れてきた秦族(渡来人))が故郷を懐かしみ望郷の念から笛吹していた事から笛吹の地名他となったらしい)

五十鈴依日女命。
、、、天村雲命(神武の一人目)と媛踏鞴五十鈴日女命の御子、第2代大王の大后(政略結婚。叔母と甥の結婚。かなり年上女房?)
0736日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/18(日) 12:10:22.49
>>734

大阪三島から京都賀茂までも、忌部一族の入植地ですから。  @阿波
0737日本@名無史さん
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2018/02/18(日) 12:12:02.28
>>734
鴨は、古代、出雲の王族を神族と奉り「神をカモと発音していた」事から
鳥(「トビ」廻るもの)の鴨が宛られたらしい。
鴨の文字も意味深?で、甲(申に同じ。日(天/神)に通じる|=神)+鳥(トリ=十霊=最高神(王族))
0738日本@名無史さん
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2018/02/18(日) 12:13:36.36
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。

その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。

この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。

いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。
0739日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/18(日) 12:14:26.73
>>737
最高神というところが根拠なし。
単に王であっただけ。
0740日本@名無史さん
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2018/02/18(日) 16:41:05.09
加茂大神、死せる神々を蘇らせる神。
死んだものは、甦らないんだな。

鴨が死せる神々を蘇らせる仕組み。
悍ましいわい。

古墳時代の秋津遺跡。
強固な板塀で囲まれたエリアで何が行われていたのか?
死んだ神々の姫達を収容していたんだな。

姫達からの系図、姫達の持つ権威を利用したんだよ。

復活した神々の種は知らん。何でも良かったんだろう。クモでもな。
0741日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/18(日) 19:09:05.78
>>730
>ちゃんと筑紫日向から来たという伝承があるから


ないw
0742日本@名無史さん
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2018/02/19(月) 00:26:32.21
新石器時代縄文弥生、、、その遥かな時の流れで都がずっと同じ場所に在ったとゆうのが根本的に見誤る原因だろあな。
ポリネシアからの古来民は南西諸島→九州南部→九州北部→四国→畿内へと長い時間をかけて移って行ったんだろう。
その主流部隊は国栖、土蜘蛛、熊襲(隼人)ら古来の民じゃないのか。
それを束ねたのが葛城やと思うわ。

九州北部で留まってたとか考える方が不自然だわ。
0743日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/19(月) 07:13:28.35
    事代主
     ┣━━━━━━━┓    
   クシヒガタ(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
     ┣━━━━━━┓
     建飯勝  ヌナソコナカツ媛━━ 安寧
     ┃            ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没) 
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津 ━━ 懿徳
     ┃               ┃
   大御気主             孝昭
     ┃               ┃
    阿田賀田須         天足彦国押人命
                     ┃
                   和邇日子押人命



倭国王とは大物主一族(左側)、ヒメ踏鞴も天トヨ津も同族です。
神武は王でも何でもない。


最後の大物主が阿田賀田須。
先代旧事本紀には彼の妻の名だけが書かれてない。
妻の名は間違いなくモモソ媛でしょう。
中平銘鉄刀の出た和邇氏は今も和爾坐赤阪比古神社で阿田賀田須を祀ってます。
0744日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/19(月) 07:32:43.61
>>742
>その主流部隊は国栖、土蜘蛛、熊襲(隼人)ら古来の民じゃないのか。
>それを束ねたのが葛城やと思うわ。

別に土蜘蛛とか古来の民というわけではないし、まして葛城は交通の便の悪い奥地だから交流の主体になれないし、妄想だらけ。
0745日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/19(月) 08:14:18.70
時代とともに移り変わり奥地と言われる場所に落ち着いたんやろな。
その拠点はやっぱり水か、紀和の豊潤な土地をつくる川やろな。
0747日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/19(月) 09:18:43.00
水浸しすぎて発展できないだろう。
海運が主力の時代に奈良盆地に高度な政治的中心は成立しないよ。
0748日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/19(月) 18:50:16.61
>>747
奈良盆地に高度な政治的中心は存在してるじゃないか、纏向とか。
まぁわしはあそこに卑弥呼がいたなんて思わないが。
0750日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/19(月) 19:38:14.85
>>748
おちょくっていないよ。
纏向とは今に例えれば政治が行われてる永田町。
皇居とは別。
0752日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/19(月) 20:25:35.08
>>751
唐古鍵
0753日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/19(月) 20:54:10.30
>>750
規模が小さくて周りに何もないから、地方のハコモノ行政で建てた県庁止まりだな。
0754日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/19(月) 20:58:06.29
>>752
皇居の相当するのが唐古鍵ってか?  消滅してるぞ! どうすんねん?
0755日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/19(月) 21:14:46.67
ん?
大物主の王居だよ

>>743
大型倉庫との間に代々の大物主の王墓があるじゃないか。
わかりやすい。
0756日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/19(月) 22:09:44.87
箸墓伝説
地元の人が大物主を馬鹿にした話。

能の三輪でも馬鹿にされている。

思えば伊勢と三輪の神。思えば伊勢と三輪の神。一体分身のおん事。今さらなにと岩倉や。
0757日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/19(月) 22:13:41.92
伊勢も三輪も、福岡県からのコピーじゃないかw
0758日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/20(火) 00:15:08.92
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
0759日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/20(火) 07:53:23.12
>>751
皇居に当たるのは葛城

>>752がアホなこと言ってるが無視しろ
0760日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/20(火) 08:01:52.72
妄想は楽しいね。
0761日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/20(火) 08:12:44.50
妄想してるときはワクワクするよね
0762日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/21(水) 03:48:35.26
>>732
>和泉(イズミ)はイズモと音韻(母音)が同じ。

発音は似てるが和泉の語源は水が湧き出る泉のようだな、残念。

>登美ヶ丘。(ダンスで有名な登美ヶ丘高校等)

登美丘ね。
古い地名でなく20世紀に出来た地名。
0763日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/21(水) 07:37:53.27
息を吐くように嘘を吐く>>1晒しage
0764日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/21(水) 14:14:56.43
畿内登美なんて言ってる馬鹿は消えてくれ。
ましてやそんな所に王権はない。
0765日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/21(水) 15:51:49.90
葛城の鴨(=神=王)族には天日方奇日方命を初代とする登美家
(本家は出雲の東王家、富家。また、向(ムコウ)家とも)
、、、葛城の下鴨神社こと、鴨都波神社を氏神と仰ぎ、
併せて三輪山にも同じ祭神=氏神(八重波都身命=少彦(役職名としての出雲の副王)。故に、キキ編纂に当たり、それを改竄して都美羽八重事代主(生前の御名を反転した呪詛)とした。)

、神名を大物主神と仰いで初代の祭主には祭神の御子、葛城の登美家 初代、天日方奇日方の上の妹君の媛鞴踏五十鈴日女命(母親は摂津三島(高槻市島本町辺り)の生玉依媛命)が就かれた。
(以降、九州から侵攻、平定した物部王家(第2次侵攻。第1次侵攻はニギハヤヒやウマシマジに仮託された物部王家の別流。)の
崇神(実際には垂仁=イクメ大王)による祭祀の一旦停止迄、登美家の血筋の日女命が
歴代、三輪山の祭主/日女命(ヒルメの命/いわゆるヒミコ。なかんずく、数人に冠された大倭日女命の称号はまさしく偉大なる女王で大巫女で在られた証。))に就かれた。

その登美家を頼り、葛城の中南部に移住したのが
高彦/味耜高彦(出雲第9代少彦(副王)で西の王家、神門臣家の当主)の
御子の多岐津彦(祖母は宗像家の多岐津媛命)と出雲人ら。
多岐津彦は高賀茂家と号してその初代となり、
高賀茂神社に父親の高彦=味耜高彦を祀り一族の氏神、カモの大御神と仰ぎ(高賀茂神社)、また、叔母の下照媛命も氏神として祀った(中賀茂神社)という。
0767日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/22(木) 10:45:44.45
age
0768日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/22(木) 12:27:20.04
age
0769日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/23(金) 19:30:31.64
三輪 能

思えば伊勢と三輪の神。思えば伊勢と三輪の神。一体分身のおん事。今さらなにと岩倉や。その関の戸の夜も明け。かくありがたき夢の告げ。覚むるや名残.なるらん.覚むるや名残.なるらん。

三輪の神さんと伊勢の神さんは一心同体で石。
天の岩戸は関。
関の向こう側に追いやられていた勢力が、ヤマトを征伐し大和朝廷を作ったんだな。
0770日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/24(土) 09:56:09.44
神武が実在したと考える人も、
実在しなかったと考える人も(ここにはあまりいないが)、
神武東征紀が異様に誇張された記述であるという考えでは同じだと思う。

ではなぜ誇張する必要があったのか。

神武の時代が魏志倭人伝の女王国であったからである。
神武の時代にヒミコが、少し後にトヨがいるのである。

この系図、わしが死ぬまで貼り付けてやるから覚悟しておけ。


    事代主
     ┣━━━━━━━┓    
   クシヒガタ(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
     ┣━━━━━━┓
     建飯勝  ヌナソコナカツ媛━━ 安寧
     ┃            ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没) 
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津
     ┃            ┃
   大御気主          孝昭
     ┃            ┃
    阿田賀田須      天足彦国押人命
                  ┃
                和邇日子押人命
0771日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/24(土) 13:54:00.18
>>770
>ではなぜ誇張する必要があったのか。

のちに天皇家が台頭するから。
0772日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/24(土) 16:24:19.74
>>770
>神武東征紀が異様に誇張された記述であるという考えでは同じだと思う。

異様に誇張されたと思うのは、トンデモ説だから。

ちっとも誇張なんかされてはいない。 単なる倭国(阿波)国内での東征譚。  @阿波
0773日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/24(土) 18:12:21.14
天武が磐余系、神武の系譜なんだろうな。

問題は、天武と天智桓武が同じ系譜かということだな。
0774日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/25(日) 18:18:59.26
>>771
>>ではなぜ誇張する必要があったのか。

>のちに天皇家が台頭するから。

意味不明。
のちに天皇家が台頭するからという理由で、
何で神武を127歳にする必要があったのかな?
0775日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/25(日) 18:20:19.74
>>772
>異様に誇張されたと思うのは、トンデモ説だから。
>ちっとも誇張なんかされてはいない。

意味不明。
何で神武を127歳にする必要があったのかな?
0776日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/25(日) 23:13:39.27
帯方郡(ソウル)から狗邪韓国まで七千里、帯方郡から邪馬台国まで1万二千余里
なので狗邪韓国までで半分以上の距離を使っている、その先で判っている里程は
狗邪韓国から末艪国までが3,000里、末艪国から伊都国、奴国
不弥国まで700里あるから残りは12,000-7,000-3,000-700=1,300里しか無い
僅か千三百里では不弥国から奈良の邪馬台国には到底届かない
邪馬台国は北部九州にあったと考えるのが正常な思考力。
0777日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/26(月) 06:48:01.00
福岡県発祥の神社
            
1.八幡神社・・・・・・飯塚市の大分(だいぶ)八幡宮発祥
            (築上町の金富神社説もある)
            総本社は大分県宇佐市の宇佐神宮
            分社数約四万四千社〜二万五千社 
            関東では鶴岡八幡宮が有名

2.宗像神社・弁財天・・宗像市の宗像大社発祥、総本社も宗像大社
            分社数約七千社 関東では藤沢市の江島神社が有名

3.住吉神社・・・・・・那珂川町の現人神社発祥、総本社は大阪市の住吉大社
            分社数約二千三百社
4.海神社・綿津見神社・・福岡市東区の志賀海神社が発祥地、総本社は志賀海神社
神戸市の海神社や安曇野市の穂高神社が有名
0778日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/26(月) 08:12:33.61
>>775
>何で神武を127歳にする必要があったのかな?

稗田阿礼が誦習した帝紀や先代旧辞には、年齢は春秋歴を用いていたのだろう。  @阿波
0779日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/26(月) 09:04:29.67
>>777
>福岡県発祥の神社
>1.八幡神社

まず八幡神って誰なのか。
わしは、日本の神様とは、実在した人物が神格化された場合がほとんどではないかと考える。
葛城(高天原)にいた高天彦がタカミムスビに、
同じくシタテルヒメ(タカヒメ)がアマテラスに。
イザナギ・イザナミも瀬戸内の沼島に初めて住んだ夫婦が神格化されたのだろう。
では戦いの神・八幡神とは誰だろうと考えた。
どうも応神天皇と同一視されてるが、実は応神天皇は、お母さんの神功皇后と違ってあまり武勇伝がない。どうも結びつかない。
で、この人ではないかと思ってる。

羽田矢代https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E7%94%B0%E7%9F%A2%E4%BB%A3

『日本書紀』応神天皇3年是歳条によると、百済の辰斯王が天皇に礼を失したので、羽田矢代宿禰は紀角宿禰・石川宿禰・木菟宿禰とともに遣わされ、その無礼を責めた。これに対して百済は辰斯王を殺して謝罪した。そして紀角宿禰らは阿花王を立てて帰国したという。

羽田矢代宿禰(はたのやしろのすくね)
波多八代宿禰(はたのやしろのすくね)

波多矢代  八多八代

八幡(やはた) 「矢」 「八」 

いつしかこの武勇伝が応神天皇のものとされるようになったのではないか、と考えてる。
0780日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/26(月) 09:11:39.71
>>778
古田の言うように継体以前が倍歴だとしても、
神武が紀元前になり、当時の平均寿命や考古学的結果から大きく逸脱するので、
倍歴なんぞ到底無理。
0781日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/26(月) 10:29:43.27
>>779
八幡神は神功皇后が産んだ応神天皇となっている、父親は仲哀天皇かどうかは不明、
仲哀天皇と神功皇后は朝鮮出兵前に宇佐宮を詣でている、この時の宇佐宮の祭神は
比売大神だけだった訳でその後神功皇后と応神天皇を祀って八幡宮になっている。
比売大神が卑弥呼=天照大神説が強い
0782日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/26(月) 12:29:51.47
>>780
それなら、稗田阿礼が誦習した帝紀や先代旧辞に間違いがあったのだろう。 なにも問題はない話。  @阿波
0783日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/26(月) 12:39:50.12
>>781
>比売大神が卑弥呼=天照大神説が強い

強いってどこで?w
君の脳内で強いかろうが関係ない。

宇佐の赤塚古墳は3世紀末、当地が大和の前方後円墳体制に組み込まれたというか、
大和から派遣された国造および防人さんの墓であろう。
その一族が神功皇后時代まで続いていただけで、
比売大神というのはその一族の中の姫様が祀られてただけ。
あるいは神功皇后そのものかもしれない。

どちらにしても応神天皇というのは武勇伝がない。
後世、八幡神にされたとみるべきだ。
0784日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/26(月) 12:42:25.05
>>782
考古学的に(あるいは半島の文献との比較でも)
15代応神が4世紀末から5世紀初頭、
10代崇神が4世紀初頭から前半。

この時点で倍歴説は崩壊。
0785日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/26(月) 12:57:00.59
>>784
>この時点で倍歴説は崩壊。

倍歴説が崩壊だろうが、有効だろうが、どうでもいいことなんですよ。

いずれにせよ、稗田阿礼が誦習した帝紀や先代旧辞に間違いがあったってこと。 なにも問題はない話。  @阿波
0786日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/26(月) 14:48:24.81
【邪馬台国の終焉】

八咫の鏡を持つ卑弥呼の後継者の一人であり、筑紫の梟帥の称号を持つ神橿日姫(神夏磯姫)の時、外部勢力である景行天皇とともに耳垂などかつての邪馬台国の官を粛清している。
景行天皇の孫の仲哀天皇が息長帯姫(神功皇后)とともに神橿日姫ゆかりの筑紫橿日宮に入るとき、
伊都高祖宮と筑紫岡田宮のそれぞれの王(五十迹手、熊鰐)が出迎えているが、仲哀天皇は筑紫橿日宮で急死してしまう。
景行は神橿日姫と共闘していたが、息長帯姫は筑紫を支配していた羽白熊鷲や、神橿日姫の末裔とされる田油津姫を殺し、武内宿禰とともに筑紫の全権を掌握し、朝鮮半島に出兵する。

倒された側の耳垂や田油津姫はいずれも正史では土蜘蛛と称されており、勝てば官軍、負ければ賊軍のような状態であったと考えられる。
田油津姫の宮は銅を産出する香春岳の麓の香春宮であったが、決戦の地に筑後山門を選んだのは、そこが本貫地であり、自身が邪馬台国の女王であるという意識があったかもしれない。
羽白熊鷲の名は息長帯姫側の熊鰐と同類の名前であり、筑紫の王家の一員であったろう。
田油津姫も八咫の鏡を保有していた神橿日姫の末裔と伝えられており、筑後〜筑豊の女王であったと考えられる。
つまり息長帯姫の土蜘蛛征伐は筑紫倭国すなわち邪馬台国の末裔による内紛に他ならない。
その中でも、筑後・筑豊・肥前に拠点を持つ肥国邪馬台国の女王の系譜は、卑弥呼、壹與に続く神橿日姫、田油津姫までで終わりとなる。

仲哀の急死は息長帯姫と武内宿禰による暗殺であり、その夜に息長帯姫と住吉の神(武内宿禰)の間に密事があったと伝えられている。
息長帯姫は、仲哀の本来の皇后(大中津姫、仲哀と同じ景行の孫で息長帯姫より高貴な身分)の皇子二人も殺害し、仲哀の血筋を根絶やしにして、武内宿禰との間の子である応神を天皇にする。
天皇の諡号の中に神の文字が入っているのは、王朝の始祖神を表しているという説がある。神武、崇神、応神がそれであり、応神天皇が現在の天皇家の始祖となる。
その宗廟である宇佐神宮は八幡信仰と結びつき、後世の天皇家から伊勢神宮以上の崇敬を集め、政治的権威も強かった(宇佐神託事件など)。
0787日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/26(月) 15:02:47.10
>>705
いや九州説の丹に関しては、倭人伝の内容を考察しての内容だが、畿内説の鉄鏃に関しては、支離滅裂

倭人伝には"宮室と楼観や城柵を厳しく設け、常に兵器を持った人々が守衛している"とあるからね
0788日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/26(月) 23:09:52.24
宇佐神宮の境内にある古墳を調べたら少しの糸口が見つかるかも知れんが
神社側の許可が下りんから全く調査は出来てない、奈良の重要古墳並の扱い
0789日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/27(火) 01:46:05.18
>>780
二倍歴を何か勘違いしていないか?
年数が2倍になるんじゃなくて半分になるんだぞ
0790日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/27(火) 16:07:51.75
>>789
だから1年を2年と数えるのだよね?
間違いだ。
0791日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/27(火) 18:46:08.81
明治以前の天皇が伊勢に参拝しなかったのは、
崇神が放逐したご神体の鏡が原因。

日本で一度だけクーデターがあった。

クーデターを起こしたのは現天皇家の祖先・崇神である。
クーデターを起されたのは出雲系・大物主である。
崇神は出雲から神宝を奪い(出雲振根事件)、出雲国造を置いた。
ヒミコやトヨはクーデターを起された出雲系・大物主の家柄である。
その証拠にヒミコの刀・中平銘鉄刀が出た和邇氏が和爾坐赤阪比古神社で今も祀っているのは、
最後の大物主・阿田賀田須である。
この阿田賀田須の妻がモモソ媛であろう。

伊勢神宮で、今も行き場がなく、20年に一度の式年遷宮という形で彷徨っているのは、
崇神が殺した阿田賀田須の血で染まった鏡(ご神体)である。

だから皇室が伊勢に参拝しなかったのであろう。
0792日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/27(火) 21:40:38.69
徳島県美馬市美馬町にある「玉振神社」。
主祭神は、玉振姫命・大己貴命で、美馬市美馬町宗重部落のほぼ中央にある。
すぐ東には四国最大級の巨石墳(円墳)の「段の塚穴古墳」があり、西には白鳳時代の寺院跡「郡里廃寺跡」がある。
この社はもと正部神社の祭神、清姫霊神の侍女、玉振姫霊神を祀っていたといわれている。
延宝五年(1677)に大己貴命を宗重部落の氏神として合祀し、鎮座したものだそうだ。
この美馬町は、吉野川中流域にあり「倭地」なのである。 美万岐に入り込んで美万岐に居を定め、師木水垣宮を宮殿にしたと伝えられている。
この「所知初国之御真木天皇(はつくにしらすみまきのすめらみこと)」は「崇神天皇」のことなのである。
この師木水垣宮の御宇に疫病がはやり、多くの人民が死ぬという大変な出来事が起こっている。
これは、大国主命に近い埴夜須比賣命の一族を討亡した祟りと考えて恐れられたとも考えられ、後世の贈名でも祟神(たたりがみ)の天皇となっている。
また、大国主命の長男「阿遅志貴高日子根神」(加茂の丹田古墳が神陵)の真系であり、美万郡美農郷に居をかまえ、
大田村や種穂山一帯を支配する大人大田々根子(うしおおたたねこ)をわざわざ呼び出し、大田々根子を神主として大御倭の大神(大国主命)を拝祀させ、
伊加々志男命をして「倭大国魂、倭大国敷両神宮」を建立させた。

崇神天皇の謚号のとおり、崇神紀には天照大御神や倭大国魂神社の祭祀、天神地神、神地・神戸を定め、
供物の定義等のほか「玉振」として大田田根子や市磯長尾市が求められるなど、神祇制度の起源説話ととれる記事が集中している。

「玉振神社」は「玉振り」として求められた淳名城入姫命が祀られていたものと思われる。  @阿波
0793日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/27(火) 21:51:11.21
皇室が北朝のときには参拝しなかったんだよ

明治でインチキ南朝が復活したんで伊勢神宮参拝したんだよ

伊勢神宮は南朝、宇佐神宮は北朝
0794subo
垢版 |
2018/02/27(火) 21:53:04.57
伊勢神宮は畿内ヤマト、百済、平氏、南朝

宇佐神宮は九州倭國政権、新羅、源氏、北朝(基本である、いいな
0795日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/27(火) 22:02:54.86
伊勢湾は鎮魂の場所。
倭国大乱の犠牲となった神々を祀る処。
荒魂は本来の場所と違うところに祀るのが原則。
伊勢湾は大阪湾のコピー。

阿波忌部は倭国大乱の罪を償うのが生業。
アワビを刻み倭国大乱の罪を噛み締め、熨斗アワビを作るのが役。

祝い事に熨斗アワビ。
0796日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/28(水) 04:41:34.03
新井白石
「大和朝廷および古代天皇は中国に朝貢などしていない(本当はしていたが)」

本居宣長
「大和朝廷および古代天皇は中国に朝貢などしていない(本当はしていたが)」

金印を偽造した江戸幕府
「大和朝廷および古代天皇は中国に朝貢などしていない(本当はしていたが)」

金印を国宝にした満州事変(昭和6年)当時の軍部
「大和朝廷および古代天皇は中国に朝貢などしていない(本当はしていたが)」
0797日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/28(水) 06:12:27.20
>794
「神道五部書」の『豊受皇太神御鎮座本記』の内容を「国史大系」の第七巻から見てみると

「天村雲命伊勢大神主上祖也。 神皇産霊神六世之孫也。阿波國麻植郡座忌部神社、天村雲神社、二座是也」

阿波國に座す二社(忌部神社、天村雲神社)が皇祖皇統の正統なる末裔であると記している。

阿波忌部が伊勢神宮(少なくとも外宮の)の正統なる祭祀者であり、伊勢神宮は阿波忌部の上祖を祀っているのである。

内宮、外宮、両宮の御鎮座当初より忌部氏が祭祀を司っていたのはまぎれもない事実であり、6世紀に中臣氏に取って代わられるまでその地位は安泰だった。

その御鎮座時を記録するために度会氏が14世紀になってこの『豊受皇太神御鎮座本記』を記したのであろう(基本である、いいな  @阿波
0798日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/28(水) 06:21:00.11
>>794
宇佐神宮の勧請元は、阿波國神山町宇狭の「宇佐八幡宮」(辰の宮)。 

『国府町井戸 八幡神社』
「是社ノ奥深ク厳シク鎮守シ給フ当八幡宮(古称 井上八幡宮)ハ奉勧請白鳳二年 宇佐八幡宮ヨリ御分遷 誉田別命 仲哀天皇 三女命ヲ奉斎爾来惟神ノ誠を捧ゲ今ニ至 迄幾度改修....」 以下略

御祭神 誉田別命、仲哀天皇、三女命(いわゆる宗像三神)

※大分の宇佐神宮の開基は725年。

※大分の宇佐神宮より遡ること、白鳳二年(674年)にこの『国府町井戸 八幡神社』 は「宇佐八幡宮ヨリ御分遷」とある。

※よって、大分の宇佐神宮も『国府町井戸 八幡神社』 より51年遅れて、 神山町宇狭の「宇佐八幡宮」(辰の宮)から勧請されたのである(基本である、いいな  @阿波
0799日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/28(水) 09:17:39.31
五塚原古墳https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%A1%9A%E5%8E%9F%E5%8F%A4%E5%A2%B3

古墳時代最初期の3世紀中葉-後半頃の築造と推定される[3]。
向日丘陵の首長墓群では最古になる[4]。墳丘の「斜路状平坦面」は箸墓古墳(奈良県桜井市、一説に卑弥呼の墓)と共通する古い形式であるほか、
前方部の形状は東田大塚古墳(奈良県桜井市、箸墓古墳と同時期か)と一致する[8][3]。


被葬者は誰であろうか。
候補者がいる。
先代旧事本紀・巻第五「天孫本紀」に出てくる山代県主の祖・長溝(ながみぞ)である。
崇神の叔父である伊香色雄命の義理父にあたる。

同じく箸墓との関連が言われる大阪・交野の森古墳群の雷塚古墳。
被葬者は誰であろうか。
天孫本紀に交野連の祖と書かれてる多弁宿祢命(たべのすくね)であろう。
伊香色雄命の子である。

また山代も河内も庄内土器で共通する。

このように先代旧事本紀は考古学と整合するのである。
偽書と片付けてる人間は馬鹿である。
0800日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/28(水) 10:08:07.79
>>799
>被葬者は誰であろうか。

いずれにせよ、倭国(阿波)から進出した忌部一族のひとり。  @阿波
0801日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/28(水) 11:31:30.71
>>800

そんなアフォなw
0802日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/28(水) 11:36:07.80
>>801
倭人伝にも「女王国の東、海を渡ること千余里にして、また国あり、皆倭種なり」とある。
縄文時代晩期末より、主に倭国(阿波)の海人族の大人らが東は関東、西は九州まで全国を移動し、
子孫や一族らによる新地開拓や移住・婚姻によって、列島全域に勢力を伸ばした。
また同時に、石器、青銅器、鉄器、朱、農耕技術や軽量薄型土器、墳墓築造などの先進文化・技術を全国に広めていったのである。

これまで「忌部」の研究が不足していたため、歴史の中で有名なその他の氏族のみで仮説・ストーリーが立てられてきた側面がある。

今後の研究が進み関係が明らかになることを期待する。  @阿波
0803日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/28(水) 11:40:00.93
>>801
古代、朝鮮半島まで進出できる航海術を持っていたのは、「阿波の忌部一族(海人族)」だけ。  

一方、今日まで、各地に伝承・痕跡を数多く残した阿波の「忌部一族」のように、

畿内や九州から全国へ進出した「忌部一族」に代わるような部族は認められない。  @阿波
0804日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/28(水) 11:56:21.44
>>801
阿波から奈良大倭への遷都(7世紀後半〜710年)によって、忌部の本家は阿波に留まる一方、その一部が奈良大倭に渡り、
やがて諸国の忌部を統括することになる。これが中央忌部である。阿波に残った忌部の本家は、同家の本源的職掌である
麁布・木綿及び高天原の山の幸を由加物として、践祚大嘗祭の度ごとに新都に送った。母国からの調進である。
忌部の本家が阿波に残った理由は、天照大神以来、天孫(天皇)の祭祀に必要な神具は「高天原で採取調整されなければならない」という、
天岩屋戸神話に由来する神典を墨守したからである。
「由加物使」一行が阿波から京に向かうに、通過する国々の道路は掃き清められ、国司らが出迎えるという『延喜式』の別格規定は、
高天原から新都に向かう「宗国からの使」という意味からである。また、「麁布」がすべての貢進物の中で、唯一神祇官扱いになるなど、
超絶した扱いとなっているのは、記紀神話で、天照大神が高天原において機織女を召して織らしめ、また大神自らも織られたとする
「神御衣」と見立てているからであり、それを忌部の本家(阿波忌部)が、畏れ多くも代行厳修し、麁布として織り上げたものを、
新天皇が践祚大嘗祭に奉奠して天照大神にお示しし、大神から、日嗣の認承を賜る「物実」(正当な皇位継承者であることを大神の御前で証明するための品)
と観念されたからである。  @阿波
0805日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/28(水) 12:22:58.80
サルタヒコの遺言。倭国大乱の犯人を教えてくれる。
「底どく御魂」「つぶたつ御魂」「あわさく御魂」

底、独、常、立
国底立神、国常立神、天香山の山頂に祀られている神。
鬼門に封じ込まれた神。

&阿波咋。

阿波忌部の役は倭国大乱で犠牲となった神々の鎮魂。
責任をとり、代々鎮魂に励むのが役。
0806日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/28(水) 12:54:55.25
>>805
>阿波忌部の役は倭国大乱で犠牲となった神々の鎮魂。

倭国乱は倭国(阿波)の乱。 当然、倭国乱で犠牲となった神々の鎮魂をするのは当たり前。  @阿波
0807日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/28(水) 13:14:39.52
>>805
>倭国大乱の犯人を教えてくれる

ヒミコを擁立した王族のA集団ともう一つのB集団が争ってたのであろうね。

簡単。
ヒミコの時代に申食国政太夫(おすくにのまつりごともうすまえつきみ)が二人いる。
葛城にいた鴨の天日方奇日方と磯城にいた物部のウマシマジ。

4世紀には崇神を産んだ物部の勝利となるが対立はまだ続く。
葛城を出自とする蘇我との対立だ。

蘇我が丁未の乱(ていびのらん)で勝利して物部宗家滅亡。
ところが蘇我も後の乙巳の変で中臣にやられ、
ちゃっかり物部の石上麻呂が最高名誉職「太政官」になっているのだから、
乙巳の変は物部の復讐劇であろう。
0808日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/28(水) 13:20:29.43
延喜式(巻7、神祇7)[践祚大嘗祭式]の「由加物」条に記載された内容。
・由加物―大嘗祭に諸国から貢進される品物、即ち神に供える聖なる品のこと。 「雑贄」とも呼ばれた。
・由加物の貢進―阿波・淡路・紀伊の三国のみと定められた。
・聖なる由加物―これら阿波・淡路・紀伊の三国の由加物が通る国々の路地は道を掃き清められ、国司・郡領らがこれを送迎した。

由加物とは、清浄を期した聖なる産品。

阿波国から貢進される由加物のうち、海部(那賀郡に住む海女)が作るもの(県南部)
・鰒卌五編―加工したアワビ45編
・鰒鮨十五坩―アワビのスシ15壺
・細螺―シタタミ(小さな巻貝)
・棘甲臝、石花等併せて廿坩―ウニ、「セ」と呼ばれた節足動物のカメノテやフジツボの類を加工して土器に入れ献上していた。それは、現代風にいえば瓶詰めであったとされる。
0809日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/28(水) 13:26:52.28
>>807
>ヒミコを擁立した王族のA集団ともう一つのB集団が争ってたのであろうね。

倭国(阿波)乱とは
旧吉野川流域北岸勢力内での争乱および旧吉野川流域南岸勢力内での争乱また、鮎喰川下流域勢力内での争乱および各地域間の争乱。

北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)は粟国(旧吉野川流域北岸勢力と旧吉野川流域南岸勢力と鮎喰川下流域勢力)
南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)は長国(勝浦川流域勢力・那賀川流域勢力)

※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)
【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・吉水遺跡・拝原東遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地

【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡

【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡

こういう「邪馬台国勢力」を「弥生集落遺跡」で提示できるのは倭国(阿波)だけ。  @阿波
0810日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/01(木) 17:52:00.77
102 本当にあった怖い名無し[sage] 2018/02/27(火) 19:15:49.42 ID:
>>101
いや、すべての証拠物がもう既に出土してる
1万%、邪馬台国の場所は確定されてる
いまさら言うまでもなく、奈良だ

徳川の埋蔵金場所も1万%確定しているが完全に無視されとる
何でもかんでも暴けばいいってもんじゃねえ

聖徳太子についても
いまさら教科書に載せないとか片腹痛いわ!w

ホント学者は使えねえ
0811日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/01(木) 18:35:15.39
>>810
>すべての証拠物がもう既に出土してる

なんでやねん。
正確に言うなら「卑弥呼の遺物の一部がすでに出土している」ということ。
それを卑弥呼のものではないとは誰も言えない。
その卑弥呼の遺物の一部とは東大寺山古墳出土の中平銘鉄刀である。
発見者の金関さんが2017年3月の考古学雑誌で卑弥呼がもらった五尺刀ではないかとの見解を寄稿をされた。
2世紀末から4世紀にかけて刀を貰ったと記されてる人物は卑弥呼しかいないからだ。
おそらく誰も反論はできないであろう。
0812日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/02(金) 07:37:32.14
>>807
葛城の大鴨、登美家(出雲の東王家で宗家、富家から分家)の初代、天日方奇日方は紀元前2世紀の人。
(妹で三輪山の祭神の初代神主/祭主で在られ、後には初代大倭国大王の大后にトップ媛踏鞴五十鈴日女命(大倭国初代のヒミコ(各地にいた)/大日霊女)も2世紀の人)
、、、この家系が大倭国〜大和朝廷の歴史のフィクサー。事代主家、大物主家、大鴨王(きみ)家

ウマシマジ(第一次物部(ニギハヤヒ)侵攻で葛城の出雲神(かも)族らが担いでいた天村雲命(ホアカリ=ニギハヤヒの孫)を祖とする海部大王家(当時は孝霊天皇。やむを得なく大倭国を放棄して大吉備国を建てた(お伽噺の桃太郎の冒頭の元ネタ))を
逐って(葛城の出雲神(登美家、高賀茂家)族らが寝返り旧主を裏切ったのが勝因)一時期大倭国の大王家となった)は紀元一〜2世紀の人
0814日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/03(土) 18:54:29.88
>>812
>天日方奇日方は紀元前2世紀の人

なんでやねん、じゃ神武も紀元前2世紀かいな、アホ言え。
時系列が無茶苦茶な論者は来ないでくれ。
0815日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/03(土) 19:56:56.90
畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
狂人のキナイコシが、焦ってインターネットで暴れるだけになってしまったね、、、、
0816日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/05(月) 19:07:28.02
age

何がgoneやねん、ボケ。
0817日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/06(火) 04:54:19.88
>>814
反論は具体的にしないと。
0818日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/06(火) 16:18:47.40
>>817
>反論は具体的にしないと。


いや反論も何も、10代崇神が4世紀前半なのだから、
神武や天日方奇日方の時代が紀元前2世紀なら10代崇神から400年以上も古い事になる。
崇神から遡る事9世代であったら(まぁ、あり得ないが)、
400÷9=44.444…

1世代間44年はおかしいでしょ?

以上。
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