>>108
同系統だが方言や慣習に幾何か差異がある村や小島が幾つも在る。
一つだけ経済力や軍事力の突出した町・島があったり、一つだけ他の村・小島に産しない必需品を産していたりするところが在ったりして、
そこだけ言葉の系統や慣習が他の村・小島と大きく違う。
というような状況のときに、どういう現象が起こるか。

大抵の場合、その強みのある一つの町・小島の言語や慣習が他の村・小島の慣習と置き換わってゆく。
仮に、強みのある町・島が、その地域の随分と外れの端っこにあったとしても、そういうことが起きやすい。
そりゃ、近隣の少しずつ違う言葉や慣習を一々憶えて使い分けるよりも、隣もその向こうも反対側のその村あの小島もそれぞれ付き合いの
ある一強の町・島の言葉や慣習で通じて、相互に判ってる言葉・作法で前置きが要らず楽なんだから、一強の町・島の言葉や作法で近隣との
交渉をするようになる。

7世紀の南島人来航の時分の西南諸島と日本本土との関係も、多数の小島と、はずれにある強みのある島、との関係。
各島々で相互に隣と似ていて少しずつ違う言語・慣習を持っていても、島々で自給の困難な産品を日本本土が産し産しそれを交易で得たい、
各島すべて合わせたよりも本土の経済力軍事力は圧倒的という状況で、交易の許しと庇護を求めて難波や大宰府に使節を寄越してきている。
日本本土の慣習に合わせて、日本と交易し、近隣との交渉も日本語と日本の作法でやってるうちに、すっかり言語的に日本化したというのが、
平安時代あたりなんだろう。
それ以前は、全く別系統の言語なのか、日本語の方言のような言語だったのかは判らんが。