八坂神社
社伝によれば、斉明天皇2年(656年)、高句麗から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)の創建とされる。
しかし、上記の伊利之使主創建説は現存する歴史資料からは根拠に乏しいものと批判されている。
久保田は同論文において史料を詳細に検討した結果、祇園社は貞観18年(876年)僧・円如が寺院を建立し、
ほどなく祇園神が垂迹したものと結論づけている。
古くからある神社であるが、延喜式神名帳には記されていない。これは神仏習合の色あいが濃く当初は興福寺、
次いで延暦寺の支配を受けていたことから、神社ではなく寺とみなされていたためと見られるが、後の二十二社の
一社にはなっており、神社としても見られていたことがわかる。平安時代中期ごろから一帯の産土神として信仰さ
れるようになり、朝廷からも篤い崇敬を受けた。

まとめると八坂神社は明治の廃仏毀釈までは感神院祇園社という仏教系の寺院だった。貞観18年に円如という
僧が建立した。祭神は明治の廃仏毀釈を避けて八坂神社になるまでは牛頭天王だった。